近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

倉橋由美子「パルタイ」第2週目発表

2010-10-27 22:48:20 | Weblog
こんにちは、ハギワラです。
先週に引き続き、倉橋由美子「パルタイ」の第2週目の発表でした。
今回の発表主旨は、
倉橋由美子は、明晰であろうとした女主人公を描き出したが、本文中の語り手の〈わたし〉と語られる『わたし』を明確に区別することは困難であった。その〈わたし〉を表白することの難しさを「パルタイ」という作品で表現している
というものでありました。

しかし、小説の内容にさらに踏み込んで考える必要があるという指摘を受け、先週の質疑応答であげられた問題点について話し合うなど、小説「パルタイ」とは何なのか?”という討議がなされました。
〈パルタイ〉とは何か?を考えていく上で、思想やシステム、また大きな組織の中の人間とは・・・を考える上で時代背景から結びつけられることはないか。また〈あなた〉(男)によって生かされている〈わたし〉(女)、といった性の問題と、思想の問題とが本文中でどのように関係しているか。
他にも、語句について、頻繁に使われる〈明晰〉や〈自由〉〈オント〉とはいったいなにか。本文中には文字通りの意味だけではないものが多く、読みの重要なポイントであったと思われます。
本文中の《 》の使い方についても先週同様質問が挙げられていました。

個人的な感想ですが、さらに検討が必要な作品だと感じるとともに、語句ひとつひとつの意味がすんなりと呑み込めず非常に読みづらい内容でした。


次回の発表は永井荷風「踊子」となります。発表者の方よろしくお願いします。



倉橋由美子「パルタイ」第1週発表

2010-10-22 14:03:55 | Weblog
こんにちは。
今週の例会は倉橋由美子の「パルタイ」の研究発表でした。
発表者はこの作品を〈経歴書〉の否定、「非経歴書」の物語であるとしたうえで、語り手の〈わたし〉と〈パルタイ〉との関係を論じつつそこからの脱却を〈わたし〉が志向したものと発表しました。
それについての質問と、作品解釈のための討議は、まず〈わたし〉をどう規定するか、この語り手は、どのような人物であり、どのような存在として作品内に象られているのかというものが挙げられます。それについで、〈パルタイ〉とは「なんであるのか」……これは作中での扱われ方にかぎらず、そもそも本質的に、〈パルタイ〉とはどのようなものなのか。この二点が、作品解釈のうえでは絶対的条件ではないかという討議がなされました。
そのほかにも、なぜ〈わたし〉はパルタイに入ろうと〈決心〉し、終焉部で出ようと〈決心〉するのか、この道筋を論理だてて説明する必要があるのではないかという質問が出ました。ほかにも、逆説的な表現の多用、因果の拒否とはどのような意味を帯びるのか、などの質問がありました。
これらを踏まえて、第2週の発表へつなげていければ、との発表者のことばに期待しつつ、短いまとめではありますが、ご報告は以上とさせていただきます。

モロクマ

卒論発表「幸田文 人と文学論―「あとみよそわか」「台所のおと」「きもの」を中心に―」

2010-10-12 11:20:06 | Weblog
 発表者の方お疲れ様でした。今週は卒論発表という形で、発表が行われました。発表者は幸田文の「あとみよそわか」「台所の音」「きもの」の三作品を中心に、作者の文学論を読み解く論旨で発表されました。

 論文の構成としては、
序、『しつけ怗』『台所怗』『きもの怗』について
1、同時代表
2、先行論
3、作品分析
結、特殊な空間と身体的描写

 という構成で書く予定のようです。

 今日の発表では、論文を構成する前段階の発表として、作者の原点となっている父から教育された「衣・食・住」を題材とした三作品を中心に、藤本寿彦氏が指摘した〈身体性〉を探っていくことが主なテーマとなりました。
 まとめでは、父の厳格な教育を受けた非常に特殊な空間で、培われた作者の体験が、「台所の音」の〈音〉や「あとみやそわか」の〈父〉の姿のような、身体的な描写を描かく〈玄人〉としての文体へと変貌させていると述べられました。

 一方、参加者から発表者への指摘では、〈父〉の教えの本質的な意味が不足していることや、使用しているテキストの年代がそれぞれ異なることから、〈身体性〉という言葉の意味合いも各作品によって異なるといったことが指摘されました。
 私としましては、三つの作品を同時平行に扱って論文を執筆するというのは、技術的に難しく、精神的に辛いことだと思われます。
 ですから発表者の方は、まだ制作段階が途中ですが、残りの分を今回先生や先輩方が指摘されたことを踏まえて、新たな論文作りに励んでもらえればと思います。頑張ってください。

 以上が卒論発表の報告でした。来週は倉橋由美子の「パルタイ」です。来週発表の方は頑張って準備してきてください。

司会:石井

武田泰淳「女賊の哲学」第二週目発表

2010-10-06 20:32:16 | Weblog
 先週に引き続いての武田泰淳「女賊の哲学」の発表、そのなかでの問題点、質疑応答と、それについての感想を記載いたします。

 発表では、先週のなかでだされた質問から、主に作品が帯びている思想に集中して資料作成に臨みました。外部資料などを盛り込みつつ、その当時の武田泰淳の思想を、作品から読みこんでいき、なんらかの評価基準を設けることができないか、という視点によって、発表の準備を行ったわけでしたが、結果として発表では以下のようなご意見をいただきました。

・宗教(白蓮教)
・近代以前の中国の婚姻制度
・「賊」の字義について
・作中で用いられる「愛」「信」について

 宗教・婚姻制度については、作品の世界観を理解するうえでぜひとも必要な知識であり、これを調べていない点は、痛恨事でした。また、「賊」「愛」「信」といった字義についての解釈は、作品の主題を知るうえでも、ダイレクトな評価へとつながっていくと思いますから、より深い研究的態度が求められます。これらについては、ただただ反省するばかりです。
 武田泰淳という、複数の思想、主義、背景への跨り、越境の度合いにおいて、埴谷雄高にも比せられる作家とはいえ、もう少しやりようのある、読みがいのある資料にすることができたかと思います。
また、この作品に限っていえば、三人称の語り手でありながら、〈第二夫人〉についての情報のだし方がどこか、一人称の小説を 読んでいるような感覚になるものでした。ここに、読みの奥深さと、陥穽のごときものを感じ、今週の発表はまんまと後者に落ち込んでしまったと思うと、我ながら残念です。

 上記を踏まえた発表、これをより大切にしなければならない、そう思う次第です。

発表者:モロクマ