近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

平成二十八年夏季合宿 コラム

2016-08-15 13:17:55 | Weblog

こんにちは。この度合宿委員を務めさせていただきました、二年の長谷川です。


小玉さんの発案により、今回の合宿からしおりにコラムを追加するという試みがなされました。「金沢の近代文学」「金沢の三文豪」「読書会で扱う作品紹介」に項目を分け、合宿委員で手分けして作成しました。以上をここに紹介させていただきます。



会員が各々コラムを読んできてから合宿に参加することで、合宿地と文学への理解がより一層深まりました。このように活動の質を上げるための試みを積極的にしていき、近研をよりよいものにしていきたいと思います。


平成二八年夏季合宿報告

2016-08-11 01:38:34 | Weblog
こんにちは。
夏季合宿の合宿委員を務めました、三年小玉です。
今年の夏季合宿は会員からの強い要望があり、八月八日から十日まで二泊三日で金沢へ行ってまいりました。
金沢といえば泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲を筆頭に数々の文豪が生まれ、育ち、過ごした地です。近研の合宿の場所としてもふさわしく、とても充実した合宿になったと思いますので、簡単にではありますがここに報告させていただきます。

さて、初日は大宮駅に集合しました。北陸新幹線が開通して以来観光地として大成功している金沢ですので、新幹線のチケットもなかなかとることが難しく、午前十時集合という比較的ゆっくりした出発になりました。岡崎先生をはじめ一人の欠席もなく順調に出発することができました、
二時間強ほど新幹線に乗ると金沢駅に到着しました。私事ですが以前金沢を訪れたときは夜行バスで八時間近くもかけたので、新幹線の速さに改めて驚嘆しました。冬は豪雪地帯にもかかわらず、非常に暑くなるのも金沢の特徴の一つのようです。金沢駅に着いた時の気温は三三度を記録していました。
着いたその足で向かったのは、金沢名物ハントンライスで有名な「グリルオーツカ」さんです。ハントンライスとは1960年ごろ金沢で定着した料理のようで、オムライスのうえにエビやマグロのフライを乗せたものでした。お店の雰囲気もなつかしさ感じる昔の喫茶店のようで、料理の乗ったプレートがいい味を出していました。
名物を堪能した後は今回の旅行のメインの一つ、室生犀星記念館へ行きました。建物は新しく現代的なつくりをしていました。入り口近くに四方に仏を配した蹲踞が置かれていたのが印象的でした。(この蹲踞も犀星の所持品の一つであったことは後から知りました…)収蔵品は決して多くはありませんでしたが、きれいに整理展示されていて非常に見やすい文学館でした。知識として知っていることでも、実際に見ることでその世界を身近に感じ、入り込みやすくしてくれるのが博物館の良いところだと思います。その点で、視覚資料の充実したよい文学館だったと思います。
室生犀星記念館は犀川近くにあるのですが、この犀川というのが犀星の名前の由来にもなり、犀星の心象風景を形作った場所です。このほとりにある雨宝院というお寺が犀星の育った場所です。ここではお寺の住職から犀星にまつわる貴重なお話を聞くことができました。なかでも、犀星との仲が悪かったと伝えられる養母赤井ハツが実際は犀星思いであった話などは、小説のフィクション構造を考えるうえでも重要なきっかけを与えてくれる話であり大変興味深かったです。
今回、近研でお世話になったのは「鹿島屋旅館」さんです。鹿島屋さんは近研が何度もお世話なっている旅館で、HPにも写真が載っていてとても好意的に受け入れていただきました。

夜の読書会では日中勉強をした室生犀星の「性に目覚める頃」を扱いました。
この作品は「幼年時代」、「或る少女の死まで」と併せて自伝的三部作と呼ばれています。作品内には先ほど紹介した雨宝院も登場し、確かに自伝的性格を強めています。
読書会ではまずこの点、小説の性格をどのように解釈すべきかという問題提起がなされました。すなわち自伝的性格の強さからそれぞれの物語(父、賽銭泥棒の娘、表)の繋がりが読みづらく、果たして「小説」というジャンルに組み込んでよいのかという疑問でした。これについて、たしかに一見何のかかわりもないような断片の羅列であるが、主人公「私」の内面が押さえられており、「私」の成長、精神史を読み取ることができ、小説としてそん色ない力強い構成がなされているという意見が出されました。また、「私」が「父」と「表」に象徴される倫理とタブーの狭間で揺れ動くことで生まれる矛盾を、解決しようとすることなくそのまま矛盾としてとらえられる老練した語り手「私」が想定できるとし、そこから逆説的に「私」の成長を読み取っていくことができるとした意見は非常に面白いと感じました。
ほかの観点からは、物語の表層には現れないが常に実存する犀川から小説の基調低音を考える話や、もともと犀星自身がつけていた「発生時代」という題と当時の新潮社編集長滝田樗陰のつけた現存の題とどちらがよりふさわしいかなど、興味深い議題が飛び交いました。
普段の例会より短い時間の中で、内容のある充実した読書会ができたと思います。

二日目もまた日差しが強く暑い日でした。
二日目はひがし茶屋街と兼六園、金沢城址公園をめぐり、観光的にも充実していました。
ひがし茶屋街での自由時間では岡崎先生とともに徳田秋声記念館に訪れました。現在は駐車場になってしまった秋声邸跡地の近くに建てられた記念館で、ことらも非常にきれいな建物でした。展示物が多くないのが少し物足りなく感じましたが、小説に登場する女性たちの人形を作成しミニシアター風の展示など、拝観していて飽きさせない工夫を感じました。また、秋声の小説は多くが絶版になっていて手に入りづらくなっていますが、この記念館では独自に秋声の小説を出版し、普及しようと努めていました。
午後に訪れた石川近代文学館は、金沢三文豪を輩出した旧制第四高等学校を利用した文学館でした。文学館内は学芸員の方がご丁寧に案内をしてくださり、個人で回る以上に勉強をさせていただきました。また特別展示では「作家といきもの展」を開催しており、石川県ゆかりの作家たちと動物のかかわりが見て取れる展示がなされていました。不勉強から中西悟堂の名をこの展示ではじめて知りましたが、部屋の中にモモンガを飼っていたり、日本野鳥の会の創設者であったりと様々なことが判明しその人柄に興味がわきました。

三日目、最終日は鏡花記念館を訪れました。
ほかの文学館もそうでしたが、金沢の文学館は総じて新しくきれいにされている印象を受けました。
鏡花記念館もその例に漏れず、こじんまりとはしていましたが初出版の蒐集や、展示資料、解説文など非常にきれいに配置され、見ごたえのある文学館でした。個人的に興味を惹かれたのが、鏡花の愛用していた火鉢と小説「春昼」の一場面を再現したジオラマです。鏡花は潔癖から生もの嫌いであったことは有名ですが、その生もの嫌いが高じてよく煮るか焼くかしたものでないと口にしなかったそうです。それがお酒にも適用され、ぐらぐらと熱燗でないと飲まなかったというのには思わず笑ってしまいました。また、ジオラマは非常に精巧に作られており、スポットライトの当て方や映像技術との掛け合いもあり、凝った展示だなと感じました。
その後はひがし茶屋街へ再び訪れ、こちらも金沢名物まつり寿司をいただきました。

今回の合宿はさまざまな文学館を訪れたり、岡崎先生も交えて会員同士が普段なかなか面と向かって話し合えないことなども自由闊達に話し合うことができました。それもまた合宿の醍醐味といえるのかなと感じながら、楽しくも充実した三日間を過ごすことができました。
今回の合宿ようにのびのびと会員のやりたいことを実現させていく、この風潮を後輩たちにも受け継いでいってもらえたらなと感じた合宿になりました。


補記
今回の合宿から、合宿のしおりにも資料的価値をつけようという試みを実践し、いくつかのコラムのようなものを合宿委員が手分けをして作成しました。
最近の活動の一環として、後ほどこちらにもアップさせていただきますので、ぜひご覧ください。

7/11井伏鱒二「朽助のゐる谷間」研究発表

2016-08-05 00:00:27 | Weblog
こんにちは。
7月11日に行われた井伏鱒二「朽助のゐる谷間」の研究発表のご報告です。
発表者は三年小玉くん、一年柳谷さん、司会は三年Tが務めさせて頂きました。


今回の発表は「私」の言葉とタエトの行動という副題です。発表では「私」の視点を中心に人間関係の読み解きに着目する形で展開されました。「朽助のいる谷間」は登場人物である「私」を通して物語が展開していきます。視点人物の「私」は主観的な把握によって世界を自分の言葉に「訳述」していくような人物でした。一方の朽助は旧来の生き方を通そうとする人物であるため「私」と朽助の接点は谷間のみとなり、次第に関係は希薄になり物語は停滞します。そんな中でタエトの存在、行動によって再び「私」と朽助との物語が進行します。この物語の根底にはタエトが中心とする人間関係があるといえます。

その上で発表者側は、「私」という存在は他者を自身の論理によって解体してしまう方法をとっており本来の「私」を「メタ・私」として表出させ、他者を「メタ・他者」に解体してしまうと述べ、「私」が他者理解を拒んでいるという見解になりました。ここに関しては、例会で様々な意見が交わされ必ずしも「私」は他者理解を拒んではいない、寧ろそれによって他者理解をしようとしていたのではないかといった、読み手によって異なる意見が散見されました。

他にも本文検討で物語のタエトの「日本人性」についても議論されました。ここでいう日本人性とは、日本という国柄に基づいた日本人性ではなく、単に谷間の中にひっそりと生活を営むタエトが「明日も力いっぱい働くこと」だけを望んでいるという勤労的な日本人性であります。そして「日本人の心を真似る」タエトはある意味、日本人以上に日本人であるといったことも挙げられました。


初めての司会だったので上手く纏められませんが、他にも多くの意見が交わされ意義のある研究となりました。



さて8月8日から8月10日は近研の夏合宿です。今年は石川県の金沢です。 個人的な話ですが昔、兼六園に行ったことを思い出します。
今回、私は合宿に大学の実習関係の都合で参加できませんが、他の会員の方々から合宿から戻ってこられた際にお話しを伺えればと思います。