近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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平成30年10月1日 江戸川乱歩 「人間椅子」読書会

2018-10-22 01:26:36 | Weblog
こんにちは。
秋色いよいよ深くなってきた今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
遅くなってしまいましたが、10月1日に行われた江戸川乱歩「人間椅子」の読書会のご報告です。
司会は2年小奈が務めさせていただきました。


「人間椅子」は、大正14年10月「苦楽」にて発表され、昭和6年7月、平凡社より刊行された『江戸川乱歩全集第1集』に収録されました。
「人間椅子」は江戸川乱歩の初期の作品であり、また、現代においてもコミカライズや「人間椅子」をモチーフにした創作の多い、影響力の強い作品でもあります。

 
 先行研究では「人間椅子」はエログロナンセンス〈小説〉なのかという争点や、欧米への憧れを指摘する論も多く見られましたが、今回の読書会では「人間椅子」に見られる二重性や介在する距離、作中作としての〈人間椅子〉、また送られてきた手紙の虚構性について議論しました。


「人間椅子」の構造には、三つの距離が介在しています。作家と享受者との「無限の距離」、手紙の差出人と名宛人との「身体的距離」、職人と購買者との「無関心の距離」が「人間椅子」には介在してあります。そしてその距離を無化させるように「奥様」という親しみのある呼びかけで手紙は始まっています。これは先行研究でも指摘がなされていました。

 また、「人間椅子」は江戸川乱歩自身の立ち位置を明確にした小説でもあるという岡崎先生のご指摘も頂きました。手紙の中で「私」のいう「醜い現実」が自然主義の描いてきた世界であり、この「人間椅子」は自然主義への批判として書かれたものであるということです。つまりこの「人間椅子」は江戸川乱歩のプロパカンダ小説ということになります。そうして読むと新たな読み方展開でき、とても面白いと思いました。

 また一番議論がかわされたのが手紙の虚構性についてです。この虚構を満たしているのは佳子であり、この手紙の「明らかにしえない」部分が恐ろしさの根源でもあります。椅子の中に人がいるという「存在しえない所に存在している恐怖」がこの小説の醍醐味でもあると思います。
そして、この「人間椅子」の作中作とされている手紙が信実でも虚構でも、佳子は一生、悪夢を見続け、椅子に座るたびに幻想に取りつかれていきます。手紙が創作だと知らされた後の佳子の反応を描かずとも、先まで想像させてしまう江戸川乱歩の魔術性は本当に素晴らしいですね。

今回の江戸川乱歩の「人間椅子」は後期テーマの「嘘」に非常にピッタリな作品であったと思います。
また読書会も全員が発言してくださったりと、非常に有意義なものになったと思います。

次回の研究発表は梶井基次郎の「檸檬」です。読んだ方は一度は丸善に檸檬を置きに行きたくなったのではないでしょうか。私自身も好きな作品なのでとても楽しみです。



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