近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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森鴎外「舞姫」・吉行淳之介「星と月は天の穴」卒業論文報告会

2012-02-03 23:37:20 | Weblog
最初に、ブログの更新が大変遅くなってしまいましたこと、お詫び申し上げます。

1月21日に、木佐貫さんの森鴎外「舞姫」と種井先輩の吉行淳之介「星と月は天の穴」の卒業論文報告会を行いました。

木佐貫さんの卒業論文報告では、森鴎外「舞姫」をジェンダー的視点から研究し、豊太郎の性質と女性の関わりと、豊太郎と男性の関わりについて論じられていました。
豊太郎と女性の関わりについては、豊太郎の持つ「弱さ」という性質は、女性ジェンダーの表現が用いられることと、「所動的、受動的」と合わせて受動性が強調されていることなどから、弱さと女性が結び付けられて連想されるような記述となっているとし、この「弱さ」が実際には母に起因するものではなくとも、豊太郎としては「弱さ」と「母」を結び付けようとしている。これは豊太郎が男性である自分の中にある「弱さ」
を母や涙といった女性的なものに結び付けて考えているとしている。そして母だけでなく、エリスも弱さと結び付けて考えられることで、弱さが「父―母」という対比だけでなく、「男性―女性」の間の問題であることがより強められている。
ここでは、豊太郎と女性の関わりの中で、作中の女性という立場がどのようなものなのかが窺える。
次に、豊太郎と男性の関わりについては、豊太郎と相澤の関係から論じられている。相澤は豊太郎が免官になったときに、現れ豊太郎を官僚復帰をするためにたどるべき道を示すことで、豊太郎の運命を変化させていることが窺え、豊太郎を自らと同じように生きていく「仲間」とみなしていた。こうして相澤は豊太郎が自分と同じような価値観を持つことを促すことで、二人の間にホモソーシャル的な絆を結び、豊太郎をを官僚復帰の道へと導いる。
このような関わりが、豊太郎と相澤に強弱関係を生んでいる。豊太郎は自身の意思に関係なく相澤の働きかけに流される態度を示す。そのため、エリスを精神的に殺してしまったが、エリスとのことは本来彼女と豊太郎二人の問題である。それなのに、「相澤と議りて」エリスの処遇を決める豊太郎と相澤の間には強弱関係が見受けられる。
豊太郎の弱さは男性だけの関係において現れるものである。

以上のことから、『舞姫』は豊太郎が洋行の帰路の船中で自らの洋行時の体験を思い出すという過去回想体小説の形をとっおり、テキスト全体は豊太郎の認識や意図が大きく反映された文章の体裁をとっている。その中で「女性」と「弱さ」を結び付けるような記述が見られることは、男性同士の結びつきが強固な男性社会の価値観が豊太郎の中に反映された結果と言えるのではないかと、まとめられていまいした。

前回の中間発表際に出た、作品の豊太郎による過去回想体という構造をどのように考えているのか、というご意見を豊太郎の女性への価値観が反映と、エリスの美化がされているということが言及された。
そしてジェンダーの視点に、豊太郎と相澤の関係に男性のジェンダーを見出すことで、今まであまり論点として挙げられなかった作品の研究がなされたものであった。


次に、種井先輩の卒業論文報告では、吉行淳之介「星と月は天の穴」を作中作(作品の中で主人公「矢添」が書く小説)と作中作外(主人公「矢添」自身のこと)の関係・部屋と小公園・矢添と道具、という章建てで論じられていました。
作品の構造である、作中作と作中作外から窺える関係として、矢添が紀子との関係を形成していく中で、作中作にどのような影響を与えているのか、また作中作がどのような影響を矢添に与えているのかという両面から響き合いを意識して論じていた。これは矢添(書き手)とA(登場人物)が反対の性格(性欲⇔精神)を持ち、矢添によって書かれるA、そしてAによって影響を与えられる矢添、こうして互いに入り込み、類似点が生まれる。
この作品においての作中作の意義は、矢添が自己を客観的に見つめる(自己と向き合う)機会となり、矢添の内面の回復させている。
部屋と小公園については、矢添の考える人間関係の変化とともに、その意味合いも変化していく。部屋は内面の心象風景との関わり、人との接触を避ける矢添は人を部屋に入れない。だが後に、他者との交流によって人を部屋に入れることになる。
小公園については、別れた妻の記憶(トラウマ)への案内役になっており、小公園に入ることはなかった。だが後に、自ら小公園に入る。これはトラウマからの解放を意味している。
矢添えと道具の関係は、腕時計は時間へのこだわりを示し、女性を道具とみなすかんがえの現れであった。電話は、自己の空間である部屋(内面)へ侵入するものと考え嫌悪していた。これが矢添の変化によって、時間のこだわりがなくなり、電話に普通に出られるようになるのである。
そして、コンプレックスでもあった入れ歯を隠すという行為は、矢添が他者がいることを意識していることから生まれている、と論じていました。

以上ことからこの作品は、関係の文学といわれる吉行淳之介作品の中で、他者との関係(つながり)をもっとも書けている作品であり、関係の文学最高作につながる作品であると論じられていました。


先輩方の卒業論文報告から、これから書く卒業論文への参考になりました。自分も近代日本文学研究会一員として恥ずかしくない、卒業論文を書けるようにこれからも努めてまいりたいと思います。


                                  三年 藤野