近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

読書会 安部公房「棒」

2010-04-20 22:00:06 | Weblog
こんばんは。
今週の例会では、安部公房の「棒」の読書会を行いました。
この作品は、安部公房の初期短編で、その話の展開の面白さから、近年では高校の教科書にも掲載されています。

初読の感想では、やはりなぜ棒になったのかという点が問題として挙げられていました。そこから、棒として描くことで何があるのか、私のありようはどうなのか、といった議論へと発展しました。また後半では、先生と生徒の存在についてや、先生がつけひげや眼鏡といった道具を身につける意味、「裁かれぬことによって裁いたことになる」ということの意味が議論されていました。
今回の読書会で、この作品を読むときに私たちの持っている常識や価値観を一度疑問視してみなければいけないのではないかという意見が、私の中では一番印象的でした。二人の生徒が棒を誠実と無能・単純と言い、同じことを相反する言葉で形容したように、また先生が棒は棒であるとそれをばっさりと切り捨てたように、同じものでも価値観の違いによって見える面が変わってきてしまいます。自分の見方に固執せず、疑問視していくことが、これから他の作品に当たる場合でも大切なのではないかと思いました。

次週の発表は野間宏の「第三十六号」です。
発表者の方はよろしくお願いします。

以上、ニシムラでした。

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2 コメント

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res (Unknown)
2010-06-09 15:47:18
通りすがりものです。
「棒」を読んでいて、付け髭の部分がどうしても引っかかり、検索したところこのサイトにたどり着きました。

先生がつけひげをしているという描写に何か意図はあるのでしょうか?
超現実の世界の者がただ変装しているとしか考えが出ません。
コメントいただけたら幸いです。
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Unknown (にしやま)
2010-06-21 17:07:18
コメント有難うございます。返信が遅くなってしまいまして申し訳ありません。
付け髭に関してですが、私どもの間でも意見が分かれました。
付け髭やめがねという道具の力を借りなければ権威を表すことができない存在であるという解釈もあり、それとは逆に超現実の権威を隠すために道具を用いているという解釈もありました。
難しいところですので、私どもももっと考えてみようと思います。
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