近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

1月18日修論発表

2010-01-22 17:15:09 | Weblog
今週は大学院生の方による修士論文発表「明治・大正期における「漫画」の変遷 -新聞「漫画」から『正チャンの冒険』に至るまで-」でした。
本論では、現代のマンガ史観が現代から過去へという形で検討されている問題点を指摘し、過去から現代へという検証方法でマンガの変遷を追っていました。

〈要旨〉
「漫画」という語の起源は山東京伝の『四時交加』であり、絵を描く行為をさして「漫画する」と用いた。これは「漫画鳥」が魚を集めている様子に絵を描く自分の様子を重ね合わせたしゃれで、そこから「絵で記録する」という意味が生まれたのだろう。
江戸期~明治初期の『北斎漫画』では、「漫画」という語が使われており、コマ漫画と思われる絵がいくつかある。そこから、現代のマンガと同じような「漫画」とする説もあるが、コマ漫画以外の表現も多数存在しているので、ここでの「漫画」は図案集、画集という意味で使われていると考えられる。
明治になると、日本人最初の漫画雑誌と呼ばれる「絵新聞日本地(エシンブンニッポンチ)」が仮名垣魯文、河鍋暁哉により誕生する。これはワーグマンが発行していた「ジャパン・パンチ」に影響を受けている。ポンチ絵というと今では風刺画の意味で使われるが、当時の魯文の使い方からすると、ポンチは「ジャパン・パンチ」そのものを指していたと考えられる。ポンチが「ジャパン・ポンチ」(風刺雑誌)から風刺画を指す言葉と変遷していったのはもっと後である。また、「絵新聞日本地」に使われている表現方法は「ジャパン・ポンチ」がもたらしたものではなく、鳥羽僧正などの日本の伝統的な表現方法を用いており、表現の新しさは見出せない。
「漫画」の主目的が風刺になったのは、今泉秀太郎の『時事新報』に載せられた4コママンガがきっかけである。今泉はアメリカでマンガを学び、風刺を意識的に「漫画」に取り入れた。ここで初めて江戸からの「漫画」とポンチ絵が結びつき、マンガ史のターニングポイントとなったのである。

発表は多くの図の資料を用いて説明がなされ、視覚的にも理解できる発表となっていました。質疑応答では「絵」と「画」の使い分けのされ方や、コマが日本で完成された時期のこと、まとめに関してなどの質問が出ました。
120枚書いても大正期まで行きつかなかったということでしたが、丁寧に順を追って研究する姿勢、後の研究への課題を残したことが評価されていました。結論を立ててそこから読みを出すのではなく、読んでいった結果に結論があるということを例会の資料や、レポートを作る際に心に留めておくことを学んだ発表でした。
以上、西村でした。

静かなる羅列

2010-01-22 14:22:16 | Weblog
こんにちは、ニシムラです。
大変遅くなりましたが、勉強会で扱った「静かなる羅列」についてのレポートです。


Q川とS川、その川の側にすむ人々は闘争によって発展を遂げている。闘争は、Q城がS城を征服しても、今度は個人と個人の財力の闘争が生まれ、SQ市となっても無産者たちが闘争を引き起こしており、どこまでいっても無くなることはない。まさに盛者必衰というべき権力交代が繰り広げられる。
また、川と人々は密接な相互関係をもって描かれている。川が繁栄すれば、流域の人々は豊かになり、人が征服されれば、川も同様に征服される。
しかし、冒頭の民衆と王朝の闘争、最終場面のSQ市の団結した無産者によって引き起こされた闘争の二つは今までの闘争、川との関係と異なっている。そして、二つは同じ国土や市の中で引き起こされた点で共通しているが、引き起こされた結果が違う。それはSQ市の無産者たちが王朝の敗北した人々と違い、逃げ場が無かったことが大きな要因ではある。しかし、それだけではなく、SQ市の人々が伝統や因習のない新しい文化の上に成り立っており、基盤となる古き習性、形式を持っていなかったことも関係しているのではないだろうか。この小説は、伝統や習性を捨てた文化の行き着く先を危惧していると感じた。
初読の感想で、文章中では「静かな羅列」であるのに、何故タイトルは「静かなる羅列」なのだろうかと疑問に思ったので、少し考察したい。無産者たちによって引き起こされた闘争はSQ市を崩壊させ、没落させた。今まではSQと分けて語られていたが、「大市街の重力は大気となった」と、ここから語りの視点が離れた位置に遠ざかる。すると、SとQであった街と川は「傷つける肉体と、歪める金具と、掻き乱された血痕と、石と、木と、油と川と。」と羅列され、一緒くたにされる。この視点は、冒頭と中間にあらわれた、天界の視点だろう。ここから、離れた立場からみると、SやQ市は所詮同列のものであって変わりがなく、SとQの争いも関係がない「静かな羅列」がされるような状態であることがわかる。しかし、天界の星たちも絶えず、頂点の位置を狙っている。この天界の争いを含んだ全ての文章の羅列が「静かなる羅列」となるのではないだろうか。



事務連絡(春の勉強会について)

2010-01-19 21:54:50 | Weblog
春の勉強会につきまして、決定事項を簡単ながら説明いたします。

使用テキスト
野間宏「暗い絵」

日時
2月13日(土)
13:30~18:00(予定)

場所
1017研究室にて行います。

形式
レジェメをペアないしグループで作成し、口頭での発表を行う。
質疑応答と討論を各自の発表時に行う。


※終了時間はあくまでも予定です。ご了承ください。
その他、変更点がございましたら改めて掲示いたします。

本日(1月18日)の修論発表について

2010-01-18 03:16:21 | 会員向け
本日担当のエンドウです。本日は、僕の修士論文について発表させていただけると云う事で、門外漢の内容ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。さて、発表当日の未明にこのようなことを書いても、あまりに遅すぎますが、本日の発表に関しての参考をあげておきます。

タイトル:明治・大正期における「漫画」の変遷 -新聞「漫画」から『正チャンの冒険』に至るまで-

本日の発表に際しては、原則秋の國文學會を踏まえています(修論がそうなので)。内容は、「漫画」とは何か?という問いをスタートにしていますので、皆さんのマンガ体験上での「マンガとは何か?」を考えてきて聴いていただくと、より一層おもしろくなるかと思いますし、僕自身も勉強になります。

なお、参考文献としては、清水勲『年表日本漫画史』(渋谷図書館:726.1//2 第5)があります(大学図書館にあるものとしては)。あと、ウィキペディアの「日本の漫画」の記述についても参考になるものがあります。

読書会 横光利一「静かなる羅列」

2010-01-15 22:47:57 | Weblog
 当日参加できませんでしたが、遅ればせながらレポートを提出させていただきます。

横光利一「静かなる羅列」試論 ―「R」の行方―
                            学部三年 川邉絢一郎

 本文中で、「Q」という英字は九十三回、「S」は百十回用いられている。この二つの英字が表す、川やその流域に住む人々が、中心なのは間違いないだろう。しかし、本文で用いられる二つの英字は、並びあったものではない。アルファベット順で示すと、Q→R→Sと進むため、二つの間にあるべきはずの英字「R」が明示されていないのである。
 作品のストーリィを追ってみると、「静かなる羅列」は、〈Q川〉と〈S川〉、あるいはその二つ川の河口に住む人々の〈争〉いが描かれていることは明白であろう。先に指摘した「R」が、二つの英字の中間に位置することと重ね合わせてみると、その二つの〈争闘〉のあいだに「R」の文字が浮かび上がってくるのではないだろうか。
 作品の構成を見てみよう。本文には番号が振られていて、全部で十八の部分に分けられている。(便宜上、漢数字+章で表現する)末尾に当たる十八章以外の部分は、一から五という少数の形式段落によって成り立っている。
 「S」と「Q」の中間を探る。各章共に二つの英字が使われている。その英字の使用回数に着目して論を進める。章内で用いられるアルファベットの数が拮抗する最初の部分は、五章である。続く第六章も数的均衡が見られる。次の均衡は十一章。また、最終章も同数である。
 各章の共通項を取り出してみると、どの章においても二つの勢力のどちらかが圧倒的なのではなく、均衡状態を示していることがわかる。この均衡状態こそが、見えない「R」の正体なのではないだろうか。何か一つの価値観、あるいは勢力が支配的ではなく二つのものが拮抗している。そのときに浮かび上がる「R」の文字が「Q」「S」の間に入って並ぶとき、はじめて「静かなる羅列」が私たちの前に、現れてくるのではないだろうか。