今週は大学院生の方による修士論文発表「明治・大正期における「漫画」の変遷 -新聞「漫画」から『正チャンの冒険』に至るまで-」でした。
本論では、現代のマンガ史観が現代から過去へという形で検討されている問題点を指摘し、過去から現代へという検証方法でマンガの変遷を追っていました。
〈要旨〉
「漫画」という語の起源は山東京伝の『四時交加』であり、絵を描く行為をさして「漫画する」と用いた。これは「漫画鳥」が魚を集めている様子に絵を描く自分の様子を重ね合わせたしゃれで、そこから「絵で記録する」という意味が生まれたのだろう。
江戸期~明治初期の『北斎漫画』では、「漫画」という語が使われており、コマ漫画と思われる絵がいくつかある。そこから、現代のマンガと同じような「漫画」とする説もあるが、コマ漫画以外の表現も多数存在しているので、ここでの「漫画」は図案集、画集という意味で使われていると考えられる。
明治になると、日本人最初の漫画雑誌と呼ばれる「絵新聞日本地(エシンブンニッポンチ)」が仮名垣魯文、河鍋暁哉により誕生する。これはワーグマンが発行していた「ジャパン・パンチ」に影響を受けている。ポンチ絵というと今では風刺画の意味で使われるが、当時の魯文の使い方からすると、ポンチは「ジャパン・パンチ」そのものを指していたと考えられる。ポンチが「ジャパン・ポンチ」(風刺雑誌)から風刺画を指す言葉と変遷していったのはもっと後である。また、「絵新聞日本地」に使われている表現方法は「ジャパン・ポンチ」がもたらしたものではなく、鳥羽僧正などの日本の伝統的な表現方法を用いており、表現の新しさは見出せない。
「漫画」の主目的が風刺になったのは、今泉秀太郎の『時事新報』に載せられた4コママンガがきっかけである。今泉はアメリカでマンガを学び、風刺を意識的に「漫画」に取り入れた。ここで初めて江戸からの「漫画」とポンチ絵が結びつき、マンガ史のターニングポイントとなったのである。
発表は多くの図の資料を用いて説明がなされ、視覚的にも理解できる発表となっていました。質疑応答では「絵」と「画」の使い分けのされ方や、コマが日本で完成された時期のこと、まとめに関してなどの質問が出ました。
120枚書いても大正期まで行きつかなかったということでしたが、丁寧に順を追って研究する姿勢、後の研究への課題を残したことが評価されていました。結論を立ててそこから読みを出すのではなく、読んでいった結果に結論があるということを例会の資料や、レポートを作る際に心に留めておくことを学んだ発表でした。
以上、西村でした。
本論では、現代のマンガ史観が現代から過去へという形で検討されている問題点を指摘し、過去から現代へという検証方法でマンガの変遷を追っていました。
〈要旨〉
「漫画」という語の起源は山東京伝の『四時交加』であり、絵を描く行為をさして「漫画する」と用いた。これは「漫画鳥」が魚を集めている様子に絵を描く自分の様子を重ね合わせたしゃれで、そこから「絵で記録する」という意味が生まれたのだろう。
江戸期~明治初期の『北斎漫画』では、「漫画」という語が使われており、コマ漫画と思われる絵がいくつかある。そこから、現代のマンガと同じような「漫画」とする説もあるが、コマ漫画以外の表現も多数存在しているので、ここでの「漫画」は図案集、画集という意味で使われていると考えられる。
明治になると、日本人最初の漫画雑誌と呼ばれる「絵新聞日本地(エシンブンニッポンチ)」が仮名垣魯文、河鍋暁哉により誕生する。これはワーグマンが発行していた「ジャパン・パンチ」に影響を受けている。ポンチ絵というと今では風刺画の意味で使われるが、当時の魯文の使い方からすると、ポンチは「ジャパン・パンチ」そのものを指していたと考えられる。ポンチが「ジャパン・ポンチ」(風刺雑誌)から風刺画を指す言葉と変遷していったのはもっと後である。また、「絵新聞日本地」に使われている表現方法は「ジャパン・ポンチ」がもたらしたものではなく、鳥羽僧正などの日本の伝統的な表現方法を用いており、表現の新しさは見出せない。
「漫画」の主目的が風刺になったのは、今泉秀太郎の『時事新報』に載せられた4コママンガがきっかけである。今泉はアメリカでマンガを学び、風刺を意識的に「漫画」に取り入れた。ここで初めて江戸からの「漫画」とポンチ絵が結びつき、マンガ史のターニングポイントとなったのである。
発表は多くの図の資料を用いて説明がなされ、視覚的にも理解できる発表となっていました。質疑応答では「絵」と「画」の使い分けのされ方や、コマが日本で完成された時期のこと、まとめに関してなどの質問が出ました。
120枚書いても大正期まで行きつかなかったということでしたが、丁寧に順を追って研究する姿勢、後の研究への課題を残したことが評価されていました。結論を立ててそこから読みを出すのではなく、読んでいった結果に結論があるということを例会の資料や、レポートを作る際に心に留めておくことを学んだ発表でした。
以上、西村でした。