近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

平成29年5月22日 菊池寛「父帰る」読書会

2017-05-24 12:32:09 | Weblog
 こんにちは。
5月22日に行われました、菊池寛「父帰る」の読書会についてご報告致します。
司会は三年長谷川が務めさせていただきました。

 「父帰る」は大正六年一月、「新思潮」にて発表された一幕の戯曲です。二年後の大正八年一月、新潮社刊の創作集『心の王国』に収録されました。
翌大正九年十月には、新富座にて二代目市川猿之助主演で上演されました。この上演は好評を博したようで、招待客であった芥川龍之介、久米正雄、小島政二郎、佐々木茂索、そして作者自身までもが涙したそうです。この上演により、菊池寛の劇作家としての立ち位置が確立されました。

 作者は「父帰るの事」というエッセイで、「「父帰る」は私の作品の中では、功成り名を遂げているもの」「十年や二十年の後まではきっと残るに違いない。少なくとも、私の作品の中では、一番最後に亡びるものだろう」として、本作に対する自信のほどを述べています。
 発想については、イギリスの劇作家ジョン=ハンキンの『The Return of the Prodigal(註:放蕩息子の帰宅)』から、「蕩父だって帰ってくる」という逆説的な考えを得て制作したと述べています。
 作者は戯曲においてテーマを重視しており、藤森淳三が「舞台のことが分からなければ戯曲は書けないだろう」と言った際には「舞台なんか知らなくてもいい、テーマさえよければ書ける」と答えたそうです。このような言及が、研究初期の主題探求の優勢を招いたひとつの要因と考えられます。

 発表当時は同時代評がほとんどなく、注目度の低い作品でしたが、春秋座の上演以降一躍脚光を浴び、多くの評価を受けることになります。菊池寛の他の戯曲や後に出された長編通俗小説と比較し、「父帰る」は優れた作品であったと評価するものがいくつかみられました。

 研究初期はその主題や作劇術が評価されています。
 先行研究に多く見られるものとして、それまでの封建的家父長制や儒教道徳に対して、近代合理主義的立場からの転換を図った点を評価したものが挙げられます。これらの論では、賢一郎が父を探しに家を飛び出す幕切れを、合理主義的考えをもつ賢一郎にもあたたかな人間性があったと解釈しています。
 幕切れについては先行研究で最も着目されている要素のひとつであり、この幕切れをどう捉えるかが、作品の評価を左右しているように思われます。
 他には、心理学的見地から本作に描かれた〈家族〉を論じたもの、本作にあらわれた家父長制をジェンダー論的視点から論じたもの、作中人物の〈涙〉や本作がもたらす〈感動〉について時代背景や人間心理を交えつつ論じたものなどがみられます。

 読書会ではまず、戯曲特有の書かれ方についての意見が出ました。ト書きの中に語り手をみることはできないか、セリフの前に書かれている名前の表記ゆれについてなどです。また、時系列順に物語が進んでいく中で、回想シーンを織り交ぜることなく過去の情報を開示していくことの見事さが指摘されました。
 先行研究でも着目されていた賢一郎による父親の拒絶についての意見も出ました。これには岡崎先生が当時の時代背景を交えてご意見をくださりました。賢一郎は、封建的家父長制や儒教道徳によって無条件に受け入れられる父親に対して、近代合理主義の立場から「権利」という言葉を持ち出しました。権利を捨てた生みの親ではなく、実際に家を支えている自分こそが〈父〉なのだと主張するこの姿勢は、言わば新しい家父長制を再編成したといえる非常に新しいものであったとのことでした。
 賢一郎の合理的な考えが取り上げられる一方、賢一郎の感情的な面についての意見も出ました。物語の前半で父のことを話そうとする母を遮り、父について沈黙を貫いた賢一郎ですが、帰ってきた父を責め立てるときは誰よりも饒舌になります。ここに賢一郎の感情的な面がみられるとのことでした。
 賢一郎の合理的な面と感情的な面を暴き出したこれらの意見から、幕切れについての意見も出ました。黒田家の家父長として父を受け入れられなかった賢一郎は、一方で息子として父に帰ってきてほしいという感情を隠し持っており、そのことが幕切れの展開へつながっているとのことでした。また、最後に父が見つかるところまで描くと読み手は拍子抜けしてしまうし、反対に、父が死んでしまった、あるいは帰ってこなかったというところまで描くとあまりに悲劇的過ぎる。賢一郎が父を探しに家を飛び出すところで幕切れにしたことによって、読み手は希望を残しつつ、深い感動を与えられるという意見も出ました。
 また「――幕」という記号によって、舞台の幕が閉まり、観客から拍手が湧き起こる様が想像せられ、深いカタルシスをもたらすのではないかという意見も出ました。
 他にも、ト書きの外面描写によってメタ的視点がテクストに織り込まれているとする意見や、演劇経験者からの意見も出ました。
 最後に、菊池寛の小説は簡潔でわかりやすく、そのため読みどころが少ないといわれてきだが、様々な角度から論じる余地が充分にあるのだとわかったというご感想をいただきました。

 今回は戯曲という、普段研究会で扱っている小説とはまた違った形式を扱いました。小説以外の形式へのアプローチの仕方、形式それ自体へ目を向けることの大切さについて考え直すよい機会になったかと思います。
 次回は吉行淳之介「驟雨」の読書会です。

平成29年5月4日 日本近代文学館

2017-05-07 15:34:19 | Weblog
こんにちは、幹事の長谷川です。
今回はゴールデンウィークに行われました文学館見学についてのご報告を致します。
5月4日(木)に、日本近代文学館で開催中の「新資料から見る谷崎潤一郎」並びに「川端康成が見出した作家たち」の展示を見に行ってまいりました。

「新資料から見る谷崎潤一郎」では、谷崎書「近代文学史展」の題字にはじまり、貴重な資料の数々を見ることができました。
まず始めに谷崎の生涯と作家的出発を年表を中心に確認し、続く「第二部 単行本でたどる谷崎文学」では、色彩豊かな装幀を施された美しい単行本を見ることができました。このように視覚的に鑑賞できることが、文学館の醍醐味のひとつですね。
谷崎は長きに渡って黄色い表紙の日記帖に日記を綴っていたそうですが、ある日突然思うところあって焼いてしまいます。「第三部 晩年の日記から」では、その出来事以降の日記帖が公開されていました。
「第四部 創作ノートの小宇宙」では、今回の展示の目玉である、平成27年4月に発見されたばかりの創作ノート「松の木陰」の印画紙が公開されていました。谷崎の創作過程を知ることができる貴重な資料でした。
「第五部 「細雪」と松子夫人」は、美しい松子夫人の写真を交えて、谷崎文学の松子夫人からの影響を伺い知ることができる展示でした。
「第六部 書簡に見る谷崎潤一郎」では、サイデンステッカー宛の書簡などから、世界に羽ばたく谷崎文学の片鱗を見ることができました。また、松子夫人から丸谷才一宛の書簡は、色彩豊かな料紙や便箋が使用されており、松子夫人の感性が垣間見られました。
5月15日の谷崎潤一郎「刺青」研究発表を控え、谷崎文学への理解が一歩進んだのではないでしょうか。

「川端康成が見出した作家たち」は、堀辰雄・三島由紀夫・岡本かの子などの才能を見出した川端の、批評家としての面に着目した展示でした。研究発表の際、同時代評として川端の「文芸時評」を引用したことのある会員も多いことでしょう。
川端がどのように文豪の才能を発見してきたかが解説されたこの展示は、今年度前期テーマである「出発点の文学」にも通ずるものでした。今年度前期に扱う三島由紀夫「花ざかりの森」や堀辰雄「聖家族」の単行本も展示されていました。
会員たちが「出発点の文学」というテーマについて改めて考え直すいい機会になったのではないでしょうか。

今後も文学館等に積極的に足を運び、貴重な資料を自分の目で見る機会を大切にしていきたいと思います。
ゴールデンウィーク明け、たくさんの新入生に入会していただけるよう願っております。

平成29年4月24日 志賀直哉「清兵衛と瓢箪」研究発表

2017-05-01 23:49:25 | Weblog
 こんばんは。1週間経ての投稿となりますが、4月24日に行われました、『志賀直哉「清兵衛と瓢箪」-語られるエピソードと語られない側面-』と題する研究発表、その報告をさせていただきます。
 発表者は三年長谷川さん、三年吉野さんです。司会は二年望月が務めさせていただきました。
 
 4月17日の森鷗外「舞姫」の読書会から引き続き参加してくださった方、今回開かれた例会が初めてという方、お忙しい中お越しいただきありがとうございます。前回の読書会とは異なる形式ですので、例会中は肩に力が入って帰る頃には疲労困憊、という方も多かったのではないかと思われます。私は体調不備で例会に臨んだため、歩を速めての帰路でしたが。
 瑣事はさて置き、例会では発表資料を基に討論を行います。我々研究会員は研究史とテクストに加え、発表者がまとめた資料についても言及を行います。そのため、お越しくださった方の多くの、それまで抱いていた研究会の像と少し異なる点もあったかと思われます。しかしそれはきっと良い意味での期待の裏切り、「国語」とは違った「文学」による思考、感性の刺激ではないでしょうか。尤も、今回の例会が難解なものに思われたのであれば、それは所謂「小説の神様」の所為かもしれませんが。

 前置きが過ぎました。志賀直哉「清兵衛と瓢箪」は大正一月一日「読売新聞」に発表され、大正六年六月、新潮社『大津順吉』に収められました。志賀直哉は父・直温との不和により大正元年、秋頃に尾道に赴いており、「清兵衛と瓢箪」は一般にいうところの「尾道時代」に書かれたものであります。作者自身「暗夜行路草稿4」、「創作余談」(それぞれ全集、『第六巻』、『第八巻』岩波書店を参照されたい)において作品を書く気になった経緯を残していて、先行論においては作品内の父と子の不和を作者の像と重ねているものも多く見られました。研究史としては他にも、語りに注目した論、教材としても扱われることも多いからか、文学教育研究からの論、武士道や浪花節との関連を持つ作中人物である「教員」、その中央集権的な人物に焦点を当てた論等、様々な視点から解読されていたようです。
 今回の発表は主に語りに注目したものでしたが、岡崎先生の方から、語りの位相を踏まえた上で、「父」や「教員」に見られる政治性や社会性についてのお話も伺うことができました。
 発表要旨として、本文内の語り手は全知的であり、エピソードの取捨選択によって「清兵衛」に寄り添った語りがなされている、という主張を中心軸に発表は行われました。その上での「清兵衛」と「瓢箪」の関連性、他の人物との関係が考察されました。「瓢箪」については、あくまでも「清兵衛」と「瓢箪」の関係が語られるのであって、「瓢箪」と関わりを持つ以前の話は語られていないという発表者側の見解でした。また、三人称小説であるにも関わらず、「清兵衛」以外の人物は固有名詞を与えられず、「清兵衛」からの視点、関係で呼ばれるという指摘もありました。
 お越しくださった方の中から、清兵衛の人間像が明瞭でなくて違和を覚えるという意見がありました。知らず知らず主題を父と子の対立として受け止め、「清兵衛」に対して可哀そうと思ってしまうのが我々読者であり、またそれは根拠のない人情であろうかと思われますが、そのためか私自身この意見にはただ恐縮するばかりでした。この意見を言い換えれば、「清兵衛」の人間像を語らない語り手が存在するということになるでしょうか。この意見は意図してかせずしてか、副題の「語られない側面」とは何か、を平叙したものであるでしょう。
 この小説は従来言われている通り、絵を描く「清兵衛」が語られる冒頭と末尾、それらによる「額縁構造」を呈しています。先行論においても度々目を向けられてきた箇所ですが、今回の発表を踏まえて新たな解釈が生まれることがあればと願っています。例会の中においても「熱中」についてや細かな分析が企てられましたが、時間惜しくもそこで例会を閉じることになってしまいました。

 さて、少々長くなった割に浅薄な報告となりましたが、例会は楽しんでいただけたでしょうか。無駄を語らぬ志賀直哉ですから、今回の例会に際して取っつきにくいという印象を抱いた方も多かったかと思います。
 次回5月8日は芥川龍之介「鼻」の読書会となりますが、多くの方にお越しいただければそれだけ喜ばしいことです。例会は作品によっても雰囲気が変わりますが、会員によっても当然変わります。人が多ければそれだけ多くの作品理解、果ては多視点による芸術鑑賞も可能となります。より多くの人が「文学」、「芸術」の世界に耽溺することを願ってやまない所存でございます。では失礼します。