近研2年の佐藤です。
5月28日の例会では横光利一「頭ならびに腹」の発表をしました。発表者は4年藤野先輩、司会者は佐藤が務めました。
今回の発表では、論が分かれる「子僧」の在り方を中心に論が進められました。
それでは本文分析に移ります。
冒頭部2行で、子僧が周りを気にしないこと、周りの群衆がすぐに興味を失うといった作品の基調象徴的に表現している。
子僧の行動は周囲の人々からは異質なものであるが、子僧は揺るがない意思を持っている。
電車が故障線のために止まり、修復の時間が予測不可能のため到着時間も予測できず、「一切の者は不運であった」が、子僧は電車が止まる前と変わらない。
ここでは、子僧だけが「一切の者は不運であった」という言葉から逃れている。
復旧の見込みがたたない特急電車より、到着時間の予測ができる迂回線の方が大切だとわかる。
しかし、群衆は答えがでない選択に悩む。
そこで富と自信に満ちた腹を持つ紳士が、人気があるはずだという理由で迂回線を選び、群衆も一斉にそれに従う。
「頭」(群衆)と「腹」(紳士)の状態を象徴的に表現し、この表現から「頭」と「腹」が同列のものと読むこともできる。
まとめとして、子僧の在り方は、乗客を批判する表現者の目を持つだけでなく、他者に侵害されることのない自我を持つ体現者の一面も持っている。子僧の手拭の鉢巻や唄は、他者との差別化と自我の体現の為の表現と考えられ、作者はそれを特急電車と対応させながら表現したのではないか。
とまとめてくださいました。
いただいたご意見としましては、関東大震災の翌年に出された作品ということもあり、近代化が時間を気にし、自我を失う点で視野を狭めているが、子僧は時間を気にせず、自我を持つことで無駄も大事であることを伝えているのではないか。
「頭ならびに腹」というタイトルとは、「頭」に自我や子僧を表し、「腹」に金や権力、紳士を表しているのではないか。
といったものが挙げられました。
OBの先輩方や岡崎先生からは、レジュメの書き方や、引用論文に対する自分の意見をまとめること、作品背景も研究視野に含める、といったご指摘をいただきました。
ただ、先行論を読むだけでなく作者や背景にも目を向けるとともに、先行論に対する自分の意見を持つことでより深い研究をすることができると実感しました。
次回は江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」の読者会です。
それでは失礼します。
5月28日の例会では横光利一「頭ならびに腹」の発表をしました。発表者は4年藤野先輩、司会者は佐藤が務めました。
今回の発表では、論が分かれる「子僧」の在り方を中心に論が進められました。
それでは本文分析に移ります。
冒頭部2行で、子僧が周りを気にしないこと、周りの群衆がすぐに興味を失うといった作品の基調象徴的に表現している。
子僧の行動は周囲の人々からは異質なものであるが、子僧は揺るがない意思を持っている。
電車が故障線のために止まり、修復の時間が予測不可能のため到着時間も予測できず、「一切の者は不運であった」が、子僧は電車が止まる前と変わらない。
ここでは、子僧だけが「一切の者は不運であった」という言葉から逃れている。
復旧の見込みがたたない特急電車より、到着時間の予測ができる迂回線の方が大切だとわかる。
しかし、群衆は答えがでない選択に悩む。
そこで富と自信に満ちた腹を持つ紳士が、人気があるはずだという理由で迂回線を選び、群衆も一斉にそれに従う。
「頭」(群衆)と「腹」(紳士)の状態を象徴的に表現し、この表現から「頭」と「腹」が同列のものと読むこともできる。
まとめとして、子僧の在り方は、乗客を批判する表現者の目を持つだけでなく、他者に侵害されることのない自我を持つ体現者の一面も持っている。子僧の手拭の鉢巻や唄は、他者との差別化と自我の体現の為の表現と考えられ、作者はそれを特急電車と対応させながら表現したのではないか。
とまとめてくださいました。
いただいたご意見としましては、関東大震災の翌年に出された作品ということもあり、近代化が時間を気にし、自我を失う点で視野を狭めているが、子僧は時間を気にせず、自我を持つことで無駄も大事であることを伝えているのではないか。
「頭ならびに腹」というタイトルとは、「頭」に自我や子僧を表し、「腹」に金や権力、紳士を表しているのではないか。
といったものが挙げられました。
OBの先輩方や岡崎先生からは、レジュメの書き方や、引用論文に対する自分の意見をまとめること、作品背景も研究視野に含める、といったご指摘をいただきました。
ただ、先行論を読むだけでなく作者や背景にも目を向けるとともに、先行論に対する自分の意見を持つことでより深い研究をすることができると実感しました。
次回は江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」の読者会です。
それでは失礼します。