近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

平成30年10月8日 国木田独歩 「運命論者」

2018-10-27 00:51:12 | Weblog
こんにちは。大変遅くなりました。10月8日に行われた国木田独歩「運命論者」研究発表のご報告をさせていただきます。
発表者は3年望月さん、2年佐々木さんです。司会は1年永田が務めさせていただきました。

「運命論者」は、明治36年3月に「山比古」に掲載され、その後明治39年3月に佐久良書房『運命』に収録されました。
「余の『運命論者』は全然空想に依りて、作られたる人物なるも、此運命に對する余の思想を具體化したるものなり」とは、「病牀録」(明治41年)に収められた国木田自身の発言です。ここから国木田がもつ「運命観」を知ることができます。研究史は独歩の出生に関する、本文の内容についての言及の少ない論から始まり、その後作中の登場人物が語る運命観と国木田の運命観を比較検討する論が目立つようになりました。このような研究の流れの中で、平成5年に発表された関肇の論は作品の構造など作品世界の内実を主に扱った画期的なものでした。

発表者は、作品の構造やナラトロジーを追うのを主題に置き検討しました。発表では、「自分」の前に現れた怪しい男=信造が「自分」に語る物語には〈自分とは何者か〉という問いが含まれており、その問いが〈運命とは何か〉という問いに隠されている、という意見がなされました。また、信造と「自分」の気性を比較する発言がありました。

岡崎先生からは、自身の「運命」について物語る信造の気性について注目することの重要性を指摘していただきました。「惑」を見せる信造の気性は、運命によるものだけでなく、信造が生来持つ気性によるものではないかと考えることもできます。「運命論者」は主に信造の語りによって話が進んでいきます。それだけにこの作品を読み解くには、信造がどのような人間として描かれているか、これに注目する必要があります。この作品の中心となる「運命」だけでなく、舞台である鎌倉という「場所」、そして信造自身の「気性」といった様々な要素が信造にどのような影響を与えているか、一考の余地があります。
また、議論の中で信造が「過去」について語るという物語の構造に関する指摘がなされました。信造が語る物語は果たして事実であると言えるのか、この物語には「歪んだ事実」があるのではないか、といった指摘がなされました。よくよく考えてみれば、人が過去の出来事を余すところなく記憶し、それを語ることは不可能であります。とすれば、この作品内で信造はどのようにして過去を語るのか、そこには信造の主観が含まれるのではないか、このようにして考えれば信造の人物像を浮かび上がらせることができるかもしれません。このように、「過去を語る」という行為に注目することで、後期のテーマ「嘘と文学」と「運命論者」を結びつけることができる、と言えるのではないでしょうか。

次回は、谷崎潤一郎「幇間」研究発表です。後期の研究発表が始まりました。後期もいい研究会にすることができるよう、精進していきます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿