近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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大江健三郎「死者の奢り」研究発表

2014-07-10 08:14:24 | Weblog
どうもこんにちは。
早いもので前期最後の例会です。
今回は7/7(月)に行われた、大江健三郎「死者の奢り」の研究発表についてご報告させていただきます。
発表者は、3年斎藤さん、田中さん、藤田君、1年今泉さん、小宮山君です。司会は3年松尾が務めさせていただきました。

今回の研究発表の副題は、―「僕」の志向する死者像―、 です。
発表要旨としては、大野登子「大江健三郎「死者の奢り」論」(「玉藻」平成12年5月)の論を中心に考察し、主題として、
①作中で多用されている「厚い粘液質の膜」の機能
②「僕」の死者に対する理想の追求について
③題名にある「奢り」の意味
などの事柄を挙げています。

まとめでは、安定を望む「僕」は《物》である死者たちに憧れているとしています。また死者には生者の不安定さから来る苦しみを味わうことがないので、これが死者の「奢り」なのではないかと結論付けています。それから、「僕」は生者に対して「厚い粘液質の膜」を感じているが、それは生者の不安定さを嫌う「僕」自身が生者との間に作り出したものであるとも指摘しています。

意見としましては、レジュメの「《物》としての安定性」や、「死者から想定外の実体を感じる」とはどういう意味なのかについての質問や、「「僕」が死体に対して優劣をつけている」という表現が適切かどうか、作中の「女子学生は罠にひっかかってしまっている」の「罠」について発表者がどう解釈したのか、「僕」はアルバイトを始める前から「死者の世界」に近い考え方をしていたという発表者側の解釈に対する疑問など、様々な意見をいただきました。

岡崎先生からは、生者に対してだけではなく死者に対しても「厚い粘液質の膜」という表現が使われている点に注意すべきであることや、「僕」が育ってきた時代を擬人法で描いていること、「僕」が物と人間の中間ではいられず、生きている間は不安定なままでいるしかない点に注意すべきであることなどのご意見をいただきました。


今回で前期の例会は最後なので、来週と再来週はお休みになります。次回はたぶん納会でお会いすることになるかと思います。酒が飲めるんで今から楽しみです。


3年 松尾

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1 コメント

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Unknown (Nihao)
2014-07-14 17:43:46
毎週の更新を楽しみにしています。
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