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良い忖度、悪い忖度があるという政治家がいるが、忖度そのものが問題だと指摘するFT。

2017年03月31日 14時02分34秒 | 日記
 筆者も先日このブログで、外国特派員協会で籠池理事長が会見したときに、忖度を海外の記者に理解してもらうのに、翻訳者が困っていたことを書きました。

 今日の日経にフィナンシャルタイムズの特約記事が掲載されています。

 「Sontaku がつなぐ日本のスキャンダル」という題で、森友学園問題だけでなく、民放のニュースキャスターが降板した件や、東芝の不正会計事件も、同じ忖度の問題だと読み解いているところが、さすがに海外の記者の見方だと筆者は思った。

 日本の政治家で、良い忖度と悪い忖度があると発言した人がいるが、果たして忖度とは、悪いことを行うから問題なのではないのだろうか?

 良い事を行うのは忖度とは言わず、当然の行いなので、忖度とは言わないのではないだろうか?

 直接の命令指示がある訳でもないのに、日本人特有の忖度が働いて、不正に近いことが行われると、FTの記者は、厳しく忖度の問題を指摘している。

 
(日経新聞特約 ファイナンシャルタイムズより貼り付け)

[FT] Sontaku がつなぐ日本のスキャンダル
By  Leo Lewis
2017/3/31

 一見したところ、スキャンダルまみれの幼稚園と、不正に水増しされた東芝の会計不祥事、クビになったニュースキャスター3人とを結びつけるものはほとんどない。 だがめったに使われない日本語、「忖度(そんたく)、Sontaku」がすべてを解明し始めている。 日常語 彙とかけ離れたところから引っ張り出され、突如、表舞台に上がることを押しつけられた言葉だ。

 忖度は、与えられていない命令を先取りし、穏便に従うことを指す。 この言葉は日本人に広く使われていないかもしれないが、政府、民間部門でいろいろな形で普及していることは、すべての人が本能的に知っている。 忖度の概念は日本特有ではないものの、安倍晋三首相時代の日本を説明するうえで、これほど強力に響く言葉はそう多くない。

 忖度が日常会話に入り込んだタイミングは、政治スキャンダルと重なった。 これは安倍氏と首相夫人を個人的に巻き込み、安倍氏のリーダーシップにとって、4年前の首相就任以来最大の長丁場になる脅威となっている。 問題の根幹にあるのは、安倍昭恵首相夫人が名誉校長を務めていた学校の国家主義的な民間幼稚園が、評価額の数分の1という安値で国有地を払い下げられた取引だ。スキャンダルを受けて支持率が低下している安倍首相は、自分か夫人を取引と結びつける証拠があれば辞任すると約束し、反撃した。

 この発言は、首相が以下を完全に理解していることを示唆する。 忖度が働く仕組みと、そして安倍氏自身の明確な権力掌握が――7人の首相が次々誕生した後だけに、なおのこと目を引く――政府、官僚機構の間で忖度をよみがえらせていった点だ。

 忖度論者らは、土地を安く払い下げる命令の証拠が一つでも見つかる可能性は低いと話している。 というのも、命令は、首相夫妻が優遇するかもしれない事案について一連の迎合的な臆測としてしか存在しないからだ。

 忖度が突如、新聞の見出しを独占し、推量による統治を通して腐敗した制度を暗示する中、安倍氏自身がこの言葉を使った。幼稚園のスキャンダルがなかなかおさまらない中で、同氏は27日、「忖度の働く余地は全くなかった」と断言している。

 忖度という言葉が一気に広まった今、人々はほかのところでも忖度が働いていることに気づき始めた。

 昨年、3つのテレビ局で安倍氏に批判的だったニュースキャスター3人がほぼ同時に突如降板させられた件を分析しているメディアアナリストらは、忖度が原因だとみている。問題の局のジャーナリストらは、テレビ局の経営者は推し量るのがこれほどうまいのだから、何をしろと命令される必要もないと話している。

 安倍氏が政権を握って以来、厳しくなる制約を強いられたと感じ、腹を立てている多くの日本人ジャーナリストは内々に、「自己検閲」の同義語として忖度という言葉を使っている。

■権力の基盤を固めた直接的な結果

 一方、日本の産業界は強い最高経営責任者(CEO)を何百人も生み出しており、その多くもまた忖度を誘うオーラを備えていた。自動車部品大手の曙ブレーキ工業が2015年の利益水増しスキャンダルに関する報告書を発表したとき、そこで財務部門の人間による過剰な斟酌(しんしゃく)を公然と批判していた。

 深刻化する東芝の経営危機の分析も、忖度による説明から遠くないはずだ。13億ドルにのぼる全社的な不適切会計スキャンダルに関する東芝の社内分析は、名指しでこの現象に触れるところまでいかないが、遠回しに「上司の意向」と、その意をくむために実施された策略に言及し、忖度が働いたという紛れもないヒントを残している。

 多くの意味で、忖度は典型的な責任逃れだ――日本人が自己批判する際のリスト項目で、「集団思考」や「反射的服従」と並び、不正行為の言い訳だ。文化に根ざす説明がわき出る泉で個人の責任を薄めている。

 だが、決定的な違いは、忖度には権力の中枢を特定する紛れもない才覚を伴う。幼稚園の問題で実際に忖度が働いたのだとすれば、安倍氏が現在感じている戸惑いは、長年権力からの影響を完全に免れてきたように見える政治環境において、同氏がとてつもなく大きな個人的権力の基盤を固めた直接的な結果として解釈できるのだ。

(2017年3月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙 https://www.ft.com/)

(貼り付け終わり)