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12月23日天皇誕生日のTV朝日・報道ステーションを観て。

2015年12月24日 12時46分50秒 | 日記
 12月23日は今上天皇のお誕生日である。この夜のテレビ朝日「報道ステーション」では、昭和天皇の時代に、当時の米ソ冷戦環境の中で、沖縄を米軍の主要基地として提供せざるを得ないとご決断されていて、沖縄からの強い反発を受けたことがあったため、戦後の各県への慰問訪問を続けられたが、沖縄県には結局ご訪問のチャンスを無くされていたという内容に始まり、今上天皇の沖縄訪問を繰り返される状況を多くの時間をかけて、放送していた。

 そして今上天皇は、戦後70年の節目の年にあたり、戦争で犠牲になったのは軍人だけではなく、多くの国民や近隣諸国の人たちに与えたことを、切々と述べられた。

 日本国民を平和に過ごし、戦争の悲劇から守りぬきたいという強いお気持ちを持っておられるお言葉を、心の底から発せられた映像を見ることができた。

 安倍政権がのめりこむ安保法制を、どんなお気持ちで天皇が見ておられるのか、言わずもがなだ。

 やたらと中国脅威論を国民に植えつけ、軍備増強を目指す姿に、米国の軍産複合体からは高価な米国製武器の売り先として、大歓迎されるのであろうが、近隣諸国との平和外交路線を自ら捨てようとする安倍政権に、本当に日本国民は納得しているのだろうか?

 筆者には様変わりしていく日本、しかも若者の数は減るばかりで、高齢者が増える国家で、果たして武力の増強はナントも滑稽に思えて仕方がないのだが、、、、、


(テレビ朝日、報道ステーション12月23日放送内容から貼り付け)

琉歌

 天皇陛下は誕生日を迎え、会見を開いた。会見で触れたのは戦争だった。また、80歳を超えても続けている慰霊の旅、中でも多く訪れているのが沖縄でこれまで10回訪れた。そして、会見でも多く触れているのが沖縄であり、中には自らの系譜について薩摩藩にも繋がるという。天皇陛下の本棚には沖縄の歴史や方言を使った「琉歌」を取り扱ったものがあるという。沖縄へ強い思いを持って訪れることについて昭和史を研究する保阪さんは「昭和天皇の心残りを引き受けているのでは」など話した。沖縄の「波上宮」には沖縄に訪れたいと思いがあったが、病に倒れその勤めを果たせることはなかった。沖縄では「沖縄戦」が起きており、4人1人が死亡している。戦争で生き残った平良啓子さんは「早く降参してくれれば」など語った。


ひめゆりの塔

 強い覚悟を持って沖縄へ訪問した天皇皇后両陛下。ひめゆりの塔へ訪れた際にある男が火炎瓶を投げつけて天皇皇后両陛下の目の前で火があがった。この時の様子について新垣元副知事は「平然として来られたのはびっくりした」など話した。現在に至るまで天皇皇后両陛下は沖縄を訪問し続けている。これにより、被害者の中には気持ちを変えてきている人もいる。照屋さんもそんな1人で、最初は反抗的だったなど話した。それでも未だに複雑な気持ちを持ち続けている人もいる。

(貼り付け終わり)