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日本の国益とは何かまで問う、辺野古沖米軍基地問題の訴訟。

2015年12月03日 11時13分27秒 | 日記
 沖縄県 辺野古沖米軍基地移設問題が、沖縄県と政府との話し合いがつかず、司法判断を求めて政府は沖縄県を訴えた。

 本来、政府と県は自治権からいうと、対等の立場であり、とことん両者で話し合うべき内容なのだ。 場合によっては再度国会の大きな論議になっても良い問題だ。

 自民公明で与党が多数を握っている驕りから、沖縄県の言い分に耳を貸さない政府の強硬方針なのだろう。

 多数の日本国民も、米軍基地が本土から遠く離れた沖縄県に73%も集約されているため、あまり自分の痛みとして感じていない。

 しかし、沖縄県はもともとは琉球王国として平和に過ごしてきた歴史を持っており、70年前の日米太平洋戦争では日本本土の防衛前線の犠牲になり、多くの民間人の犠牲も出した悲惨な歴史を持つ。

 戦後は米国の占領統治時代もあり、米軍基地は沖縄県民の意思に無関係に強制的に占拠されてきた歴史がある。

 政府は日米同盟上、日米関係の悪化を招きかねないと国益重視を主張する。

 果たして、国益とは何なのか? 日米同盟があくまで必要であるならば、日米間で沖縄問題をもっと徹底的に検討する必要があるのではないか。

 辺野古沖の新基地建設は絶対に譲れないという政府主張は、果たして本当に必要なのか。 米軍関係者は日本政府と乖離した意見を出す筈もないが、米国政府や米国の防衛関係者には、沖縄を必ずしも、絶対的に必要という意見がある訳ではない。

 米国が軍事的に関心があるのは、今や圧倒的に中東、北アフリカなどの、急進イスラム過激派との戦いなのだ。

 沖縄の米軍基地継続は、日本政府のたっての希望である面が強い。

 そういう見方をすると、果たして国益とは何かをもう一度問う必要がある。

 例によって、朝日と読売の、この裁判に関する社説を見てみよう。

 朝日は沖縄県民側にたった社説であり、読売は例によって、安倍政権にピッタリ身を寄せた政権よりの社説である。

 日本の保守勢力は、読売社説のような見解に立つ見方が多いのであろうが、そこにあるのは米国頼みの、戦後70年にもなるのに、相変わらずの、ちょっともの悲しい独立国家、日本の侘しさを感じるではないか。


(朝日新聞 社説より貼り付け)

政府と沖縄県 地方自治は存在するか
2015年12月3日

 「日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか」――。沖縄県の翁長雄志知事が、福岡高裁那覇支部の法廷から問いかけた言葉を、重く受け止めたい。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、国土交通相が知事に埋め立て承認取り消しの撤回を求めた、代執行訴訟の初回口頭弁論での意見陳述だ。

 国と地方に意見の対立があれば、話し合いで打開するのが本来の姿だ。それを法廷に持ち込んで押し切ろうとする政府の姿勢は、対話による解決を放棄した政治の貧困を物語る。

 裁判の主な争点は、前知事による埋め立て承認や、翁長知事の承認取り消しが適法だったか、といった行政手続きの可否になるだろう。

 だが、この裁判が、真の意味で問うものはそれにとどまらない。憲法がうたう地方自治の内実が問われている。

 自らの地域のことは、自らの判断で考える。地域の自己決定権をできる限り尊重する。それが政府の地方分権推進委員会の議論で打ち出された地方自治の原則である。

 その理念に沿って、1999年、地方自治法は大幅改正された。国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」へと大きく転換したのである。

 国と地方が対等となった今、国が県の権限を制限する代執行は極めて限定的であるべきだろう。その意味でも、十分な対話がないままの政府の提訴は地方自治のあるべき姿とは程遠い。

 政府は、辺野古移設が実現できなければ米国との信頼関係が崩壊しかねないという。ならばなぜ、米国に理解を求めようとしないのか。外交・防衛は国の役割だとしても、県の意思が無視されていいはずがない。

 県は、米軍基地は自治権を直接侵害していると主張する。米軍兵士らによる犯罪や事故、米軍機による騒音被害を引き起こし、日米地位協定による米軍の特権が行政権を妨げる……。

 だからこそ県は、国土面積の0・6%の沖縄に米軍専用施設の73・8%も集中させていながら、「さらに新たな基地を造ることは自治権の侵害で違憲だ」と主張しているのだろう。

 この訴訟は、ひとり沖縄だけの問題ではない。考えの対立する自治体を政府が高圧的に扱えるとすれば、全国の自治体にとっても切実な問題ではないか。

 辺野古移設が問うているのは日本の地方自治、民主主義そのものである。単なる行政手続きの可否を超えた、踏み込んだ判断を司法に求めたい。

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(読売新聞 社説より貼り付け)

辺野古移設訴訟 「公益」を考慮した司法判断を
2015年12月03日 03時10分

 米軍普天間飛行場の辺野古移設について、公正で現実的な司法判断が出ることを期待したい。

 政府が、沖縄県による埋め立て承認取り消し処分の撤回を求めた「代執行訴訟」の第1回口頭弁論が、福岡高裁那覇支部で開かれた。

 法務省の定塚誠訟務局長は「埋め立て承認による不利益は、取り消しによる膨大な不利益を上回るとは到底考えられない」と述べ、県の処分の違法性を指摘した。

 取り消しによる不利益として、日米関係の悪化や、普天間飛行場の危険性除去の白紙化、跡地利用計画の頓挫などを挙げた。

 この主張は、1968年の最高裁判決が示した行政機関の処分取り消し基準に基づいている。

 「取り消す不利益と取り消さない不利益を比較考量」したうえ、「公共の福祉に照らして著しく不当」な場合に限って取り消しができる。これが基準である。

 辺野古移設に伴う不利益は、自然環境への影響や騒音被害などが想定される。だが、普天間飛行場の現状が大幅に改善される利益と比べれば、極めて限定的だ。政府の主張には十分根拠があろう。

 公共事業の環境保全に関して、2012年に東京高裁は「常に最高水準を講じるべきだとする絶対的基準があるわけではない」との判断を示している。政府は、この判決に基づいて、適正な環境対策を実施したとの立場である。

 沖縄県側は、政府の提訴を「代執行手続きの申し立て権の乱用で違法だ」とし、却下を求めた。

 翁長雄志知事は、「県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてきた」と訴えた。「沖縄県に米軍専用施設を集中させ、今また22世紀まで利用可能な基地建設が強行されようとしている」などと政府を批判した。

 だが、96年の最高裁判決は、米軍用地の使用に関して、政府の幅広い「政策的、技術的な裁量」を認めている。翁長氏が県民の「人権」を強調するなら、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民にも配慮すべきではないか。

 疑問なのは、県側が米軍基地建設について、根拠となる国内法がないことを理由に「憲法違反だ」などと主張したことだ。

 日本の安全保障にとって極めて重要な日米同盟を否定している、とも受け取れる内容である。

 そもそも翁長氏が、仲井真弘多前知事が厳密な審査を経て行った埋め立て承認について、「法的瑕疵かしがある」として取り消したことに無理があると言えよう。

(貼り付け終わり)