兄を積んだ、渋黒に磨き上げられたクラウンは
ゆっくり斎場に滑り込んだ。後から、親族、兄弟家族が続いた。
2月にしては、北海道の初夏を思わせる、車の屋根を外して走っても良い
くらいの陽気だった。
それほど大きくないジェット機は、明石海峡の上空から
人工的に埋め立てられた滑走路目がけて滑り込んで行く。
べた凪の海に浮かぶ,大小の船の航路まではっきり見える
西の空の夕日が実に美しい夕暮れだった。
ジェット機が高度を下げ始めた頃から、
頭の毛細血管が破裂するんじゃないか・・・と思われる程のキリキリ・・・
頭痛が始まった。耳はベコベコ言いながら、
聞こえたり聞こえなかったりする。
「そんな急に高度を下げるな!」と運転手に言いたくなった。
今の飛行機搭乗は,地下鉄の改札と同じくらい簡素化されて
画面にカードを翳すだけで、チケットも出て来るし、
シートNOも出る、それだけだった。
あの「手荷物のチェックさえなければ・・・・」
千歳の街は、殆ど雪は降っていないに等しい・・そんな印象を持った。
朝,洞爺湖の出張レッスンの前に,
銀行で指定された口座へ、チケット代金を振り込んだ。
ネットで探した,非常に強気のディスカウント屋で、頭に来たけど
試しに,振り込んでみた。
日曜日(21日)、深夜札幌から帰って、24日(水曜日)の千歳~神戸、
日帰り航空券をムリクリ予約していた。
一番お世話になった「兄」が昨年暮れ頃から、悪く
そろそろ・・・というお話と、まだ大丈夫だよ・・・・・という二説に
意見が錯綜していた。
平成22年・2月22日 兄は天国に召された。
若い頃から、アコーディオンを弾いていた兄は、定年後の晩年も
熱心にアコーディオンを弾いていた。
札幌にも来て頂き、HAAのコンサートで,一緒に演奏していただいた。
山と旅行も好きで,羊蹄山には2回も登っている。
どうしようもない,ぼんくらな,末の弟を父親がわりのように
面倒を見てくれた。兄には、どれほどお礼を言っても,言い足りない。
白いブガリーと黒いエキセルが、ぽつんと残った。