ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

兄っちゃんオラ達だって・・・!

2008-03-03 13:40:34 | Weblog




朝は冷え込んだけど、この冬一番の快晴、
アンヌプリの頂上からは,暑寒別岳、大雪山系も
見渡せるくらいの澄み切った青空だ。

黄砂が・・という情報もテレビから流れる。

しばらく、3名様で200歳を超えるというお客様が
続き、(最高齢のj氏が残った)3月になって
ドイツのお客様、オーストラリアのお客様が訪れるようになった。

宿の仲間では日本人しか受け入れしていない宿もある。
もちろん,食事の提供を一切止め、外国人だけ受け入れている仲間もいる。
こうなって来ると,余程、空間に余裕があるか、ビジネスホテルチックな
スタイルにでもしないと、住み分け出来ない。
生半可な日常会話だけでは済まされないトラブルも発生する。

大きなホテルのフロントには専用の外国人スタッフが待機しているし
事務室には、メールの対応専用の翻訳スタッフが何人もパソコンを
睨みつけている。最初に、e-mailで相手(お客様)の意向が伝えられる、
オーストラリアだったり、香港だったり、ヨーロッパ各地だったり
北アメリカ大陸だったりする。多分大きなホテルでは,毎日何百もの
パーソナルな問い合わせが入るのだろう。想像出来る。

後3年で、この地域は一変すると見た。(いまでも3変くらいしたのだけど)
町役場が、対応に苦慮しようが、後手後手にになろうが
原野であろうが,造成地であろうが、畑であろうが?
おそらく関係ないだろう、この冬、そんな空気を感じた。

ビジネスチャンスは、誰にも訪れ、ニセコと称される地域は変わる。
Nacのロスが倶知安のK建設でバイトをしていたのが、今から13年くらい
前か。
ずっとずっと前に、ヒラフでコンビニを考えた仲間もいた。
コンビニが出来た時は、『夏、どーすんだべ』『ペンションで酒売れなくなる』
だった。今は,各チケット売り場にATMを設置して欲しい。

余程の勢いで地球環境が変わらない限り、ニセコはここ2~3年で変わる。

えりもの昆布漁の下働きで、漁師の親方の番小屋に、初めて
挨拶に行った時、親方の第一声が
『兄っちゃん、オラ達だって昆布漁で目落とすこと(命を落とす)
あんダベ、浜さ気荒いし、言葉も荒いけど気にすんな!』だった。
それから、60日怒鳴られっぱなし、浜をかけずり回った。
『怒鳴らなければ,お前が怪我するからよ!!!、ぼ~っとするな!』

ぷ~からも,『心してかかれ』は学んだけど、漁師の親方からも
いっぱい学んだ。