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高度成長の夢よ、もう一度?

2016-10-02 | 時評

政府が2020年東京五輪に続き、2025年大阪万博の誘致にも乗り出すのだという。これはまさに1964年東京五輪―1970年大阪万博という高度成長期の懐かしい昭和の歴史をもう一度なぞりたいというはかない支配層総体の願望の現れである。

すでに開催が決定している第二次東京五輪でさえ、誘致運動当時の予算見積もりは「コンパクト五輪」を謳った内外への宣伝用過少数値であり、実際にはその数倍の見積もりに膨張して問題化しているところである。

“都民ファースト”ポピュリスト知事の豪腕をもってどうにか圧縮に成功したとしても、全体で兆の単位に達することは避けられそうにない。そのうえ、西でも第二次大阪万博誘致で巨費を投ずるのは客観的に見て愚策と思われるが、高度成長の夢をもう一度見たい支配層にとっては決してそうではないらしい。

しかし、歴史上高度成長を二度経験した国はない。人間と同じで、経済の成長期も一回きりのものである。その厳然たる法則性を直視する勇気がなく、悪あがきしたがるのは、敗戦・降伏を最後の最後まで認めなかった旧軍国勢力と似ている。

軍事大国を断念させられ、戦後は経済大国に衣替えしたものの、ひたすら規模の拡大を欲望する支配層の基本的な精神構造は不変のままであるので、潔く大国の看板を降ろす勇気が出せないのだろう。

しかし、線香花火的な経済効果を狙って大祝祭イベントに巨費を投ずるのでなく、公費を市民の暮らしの充実のために振り向けるのは、成長期をとうに過ぎ、成熟期―という名の老化期―に入った国にとっては理にかなった政策転換である。

ちなみに大阪万博のテーマは「人類の健康・長寿への挑戦」だそうだが、「人類の健康・長寿への挑戦」のためには、維持管理に難儀する箱物を将来に残し、社会サービスを切り詰める一層の緊縮財政を強いるだけの五輪や万博には手を出さず、公的な社会サービスの充実に注力することがさしあたり最も近道である。

残念ながら、そのことを理解したくない夢見心地の政官財“エリート”たちを信奉し、踊らされ、さぁ五輪だ・次は万博だと浮かれている国民の暮らしの行く末は限りなく暗い。生活崩壊という敗戦さながらの苦境が訪れる前に覚醒されんことを。


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