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農民の世界歴史(連載第37回)

2017-03-29 | 〆農民の世界歴史

第9章 アメリカ大陸の大土地制度改革

(4)キューバ革命と農民

 キューバの独立はラテンアメリカでも最も遅れ、スペインが米西戦争で敗れた後の1902年のことであった。しかしこの「独立」は形だけのものであり、実態としてはアメリカの属国に近い状態に置かれた。
 スペイン支配時代のキューバは元来、砂糖栽培プランテーションの拠点であり、19世紀には世界最大の砂糖生産地となっていた。しかし「独立」後はアメリカ資本が進出、製糖を初めとする主産業を支配するようになる。
 中でも、ユナイテッド・フルーツ社の構造搾取がキューバにも及んできた。同社は19世紀末、合併により創業され、1930年代にユダヤ系実業家によって買収された後も、主としてラテンアメリカ諸国でプランテーション栽培されたバナナを主力とする果物の販売を手がける商社的な企業であった。
 同社は20世紀初頭以降、ラテンアメリカやカリブ海域の広大な範囲を商圏に収めつつ、アメリカ政府とも密着しつつ、これらの地域をアメリカの従属下に置くうえで重要な役割を果たした準国策会社であり、言わば「東インド会社」ならぬ「西インド会社」のような存在であった。
 とりわけ1940年代、中米のグアテマラでは軍事政権と結託しつつ広大な農地を収得してバナナ栽培を支配した。しかし1951年に当選した左派軍人のハコボ・アルベンス・グスマン大統領が大規模な農地改革に着手すると、アメリカは右派軍人らを動かしてクーデターを強行、アルベンスを追放した。この策動の狙いの一つは、ユナイテッド・フルーツ社の権益護持にあった。
 一方、キューバでも1940年代から実質的な独裁者として支配した親米派フルヘンシオ・バティスタの下で、ユナイテッド・フルーツ社が砂糖栽培を支配するようになっていた。こうしたアメリカの政治経済支配への抵抗として武装蜂起したのが、フィデル・カストロらの青年革命家たちであった。
 59年の革命後、カストロ政権が最初に着手したのは農地改革であった。これにより、当時農地の70パーセントを支配していたユナイテッド・フルーツ社の権益が一挙に失われようとしたことは、アメリカを激怒させ、グアテマラの先例にならった政権転覆工作に走らせた。
 しかしカストロ政権は親ソ連に傾くことでこれを乗り切り―その過程で発生した米ソ核戦争危機については本稿論外として割愛する―、社会主義体制を確立していった。
 このキューバ社会主義体制は基本的にソ連にならったものではあったが、農地改革に関してはソ連あるいは中国のような強制的な農業集団化を志向しなかった。その代わり、農地の80パーセントは国有化され、残りが協同組合及び自作農の農地とされたのである。
 このような国営農場主体の農地改革は比較的狭小な島国で、元来から大規模プランテーションが盛んだった典型的な旧植民地キューバで社会主義的な農地改革を実行するうえでは、最も現実的な選択肢であったのだろう。ただし、国営農場は次第に限界を露呈し始める。
 中央管理された国営農場の農民は「農民」というより労働者であり、しかも低賃金であった。当然、生産性も低く、当初はソ連の援助で維持されるも、頼みのソ連が解体消滅すると、持続は困難となった。結局、93年の農業改革により国営農場は実質解体され、新たな協同組合農場に取って代えられることとなる。
 ちなみに、ユナイテッド・フルーツ社は1984年以降、社名をチキータ・ブランドと変え、経営主体を転々としながら、依然としてバナナを主力とする食糧農業資本として存続している。


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