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辞職ドミノと本質回避

2022-11-12 | 時評

改称統一教会関連や「死刑のハンコ」発言での大臣辞職が続き、野党は鬼の首でも取ったようなはしゃぎようであるが、そうした辞職ドミノの中で、本質的な問題が回避されている。

一つは、改称統一教会を含めた宗教団体の選挙介在という問題である。公職選挙過程で宗教団体が組織票集めに大きな役割を果たし、見返りとして政策にも影響を及ぼすことは、政教分離の精神を空洞化させる宿弊である。

こうした宗教介在選挙の実態については国会に特別調査委員会を設置し、国政調査権を行使すべきであるが、現状、相当数の議員(特に連立与党系)が何らかの宗教団体の支援を受けていると見られる中では、タブー化されているテーマである。

改称統一教会被害者救済法案も重要ではあるが、それで幕引きとするなら、宗教介在選挙という大元の本質問題は巧妙に隠蔽されることになる。救済法案をそうした隠蔽の遮蔽物として利用してはならない。

もう一つは、「死刑のハンコ」発言に象徴される機械的死刑執行慣例である。実際、日本は現在でも毎年死刑執行を続ける数少ない国の一つであるが、死刑執行命令の権限を持つ法務大臣は政治家であって法曹ではないため、命令発出に際して法律的な視点からの最終チェックを自ら実施する態勢になっていない。

そのため、大臣は法務省事務方が選び出した死刑囚について執行命令書に機械的にサインするだけで、まさに「死刑のハンコ」である。辞職した法務大臣は本当のことを言ったまでであるが、気の毒にも、それが禍いとなった。

たとえ本当のことでも、死刑制度は野党でさえこれを正面から議論することを避けている日本の巨大なタブーの一つであるから、不用意に口走ってはならなかったのである。

しかし、大臣辞職で幕引きとすることで死刑執行をめぐる問題、ひいては死刑制度存続の是非という本質問題は封印されたことになる。これも、与野党総ぐるみでの本質回避行動と言える。


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