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戦後ファシズム史(連載第52回)

2016-08-15 | 〆戦後ファシズム史

第四部 現代型ファシズムの諸相

4‐3:トルコの宗教反動化
 欧州周辺域で「ファッショ化要警戒現象」が観察されるのは、地政学上欧州の東端とも言えるトルコである。トルコはオスマン帝国1923年のトルコ革命以来、共和体制の下で政教分離を国是として近代化を推進してきた。
 この間のトルコでは革命の中心を担った軍部が政教分離国是の「守護者」として時折クーデターを含む硬軟の政治介入も敢行する政治力を保持しつつ、親軍部系の世俗政党・共和人民党を軸とした議会政治が定着しつつあった。この体制は、近代化という側面ではトルコをイスラーム圏内で最も近代的な国に押し上げる効果を持った一方、民主主義という側面ではトルコを軍部の政治力が留保された半民主主義の段階にとどめる制約を課してきた。
 この構造に最初の転機が訪れたのは1995年の総選挙で、イスラーム保守系の福祉党が第一党に躍進し、翌年、福祉党中心の連立政権が発足した時であった。しかし、これに危機感を抱いた軍部は97年、圧力をかけて福祉党政権を退陣に追い込み、98年には憲法裁判所による違憲・非合法化決定により福祉党は解体された。
 しかし、一度火がついたイスラーム系政党の躍進は止まらず、2002年の総選挙では、福祉党の後継政党で前年にやはり憲法裁判所決定により非合法化されていた美徳党から分かれた公正発展党が圧勝し、政権与党となった。この時から、現在まで四度の選挙をはさんで公正発展党政権が続いており、トルコ現代史は大きく変化している。
 この間、政権を主導しているのは、2003年から14年まで首相を務めた後、大統領に転出したレジェップ・タイイップ・エルドアンである。彼は福祉党→美徳党で活動したベテラン政治家で、イスタンブル市長時代にはイスラーム主義を煽動した罪で投獄、公民権停止処分を受けたこともある人物である。
 そうした政治弾圧の経験からも、エルドアン政権の前半期は軍部及び軍部と連携する司法部の権力をそぐことに置かれていた。この課題は憲法改正を通じて達成されていき、軍部はかつてのように政治介入することができなくなった。
 これは一面で民主化の進展とも受け取れたため、エルドアンへの内外の評価は一時高まったが、11年の総選挙で勝利した後、別の側面が浮き彫りになり始める。権力基盤の強化を背景に、イスラーム保守色を強めるとともに、言論統制や反対派弾圧などの権威主義的な性格が発現し始めたのだ。
 14年に大統領に転出したエルドアンが従来の憲法上おおむね象徴的な元首にとどまってきた大統領の権限を強化し、長期体制化を狙っていることが明らかになると、この問題をめぐる党内対立も表面化する中、16年には大規模なクーデター未遂事件が発生した。
 クーデターは短時日で鎮圧されたが、エルドアン大統領はクーデターの背後に新興宗派的なイスラーム運動を展開して政権と対峙するフェトフッラー・ギュレン師が潜むという構図を作り出し、ギュレン派と目される各界メンバーの大量パージに乗り出しているほか、一度は廃止した死刑の復活も主張している。同時に、反クーデター集会を通じた大衆動員によりエルドアン支持と愛国的な感情を煽る手法で、野党も翼賛的に巻き込む全体主義的な空気を醸成しようとしているため、ファッショ化の現実的な危険が懸念される。
 他方で、エルドアン政権は欧州が受け入れない難民の送還先として欧州における反移民政策の協力者という位置にもあって、欧州の反移民国粋主義の波ともリンクしており、欧州がエルドアン体制の強権化への批判を強める中、今後の地政学的複雑化が注視される。
 いずれにせよ、近代トルコの国是であった政教分離政策は岐路に立っており、従来、民主主義の観点からは後進的な面もあった軍部の政治介入によるコントロールも効かなくなった現在、ファッショ化の危険も孕むトルコの宗教反動化は避けられなくなっている。
 ちなみに、トルコには1969年に結成されたより欧州的なファッショ色の強い世俗政党として民族主義者行動党が存在しているが、同党は近年穏健化し、親イスラームにも傾斜しつつあり、クーデター未遂後の公正発展党体制との関わりが注目される。

[追記]
民族主義行動党は2018年6月の総選挙で公正発展党と政党連合を組み、勝利した。同時に実施された大統領選ではエルドアンが再選し、政権延長に成功した。


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