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晩期資本論(連載第37回)

2015-04-07 | 〆晩期資本論

八 資本の回転(2)

前回見た資本の回転期間は、労働期間・生産期間・流通期間の三つの構成部分から成る。細かい議論ではあるが、資本の回転数を上げる回転期間の短縮がいかに行なわれるかをみる上で参考になるので、ここで取り上げる。

われわれが労働日というときには、労働者が自分の労働力を毎日支出しなければならない労働時間、すなわち彼が毎日労働しなければならない労働時間の長さを意味する。これにたいして労働期間という場合には、一定の事業部門で一つの完成生産物を供給するために必要な相関連する労働日の数を意味する。

 労働日の概念は第一巻でしばしば出てきたが、新たに登場した労働期間は言わば労働日の集積である。例えば10人の労働者が週5日8時間ずつ労働すれば、労働期間は5日、労働日(総労働時間)は400時間となる。労働者数が不変の場合、労働時間を短縮すれば、労働期間は長くなり、資本の回転数は減少する。

個々の労働日の生産物を増大させる諸事情、すなわち協業や分業、機械の充用は、同時にまた、関連する生産行為の労働期間を短縮する。

 一般に、機械化―さらには電子化―は、労働時間の短縮と労働期間の短縮を両立させる。すなわち、「労働期間を短縮し、したがってまた流動資本が前貸しされていなければならない期間を短縮する諸改良は、たいていは固定資本の投下の増大と結びついている」。

労働期間がかなり長い大規模な事業の遂行がはじめて完全に資本主義的生産のものになるのは、資本の集積がすでに非常に大きくなっており、他方では、信用制度の発達が資本家に提供する便利な手段によって、自分の資本の代わりに他人の資本を前貸しし、したがってまたそれを危険にさらすことができるようになっているときである。

 大規模事業は機械化してもなお相当の労働期間を要するため、資本主義が未発達な段階では資本主義的には運営できない。そのため、多くの未開発諸国でいわゆる基幹産業が国有化されてきた。しかし、資本主義的経済成長に伴い、資本の集積と信用制度の発達が実現すれば、大規模事業を資本主義的に民営化することが可能となってくる。現代の資本主義先進国・新興国では、こうした「民営化」がモードとなっているゆえんである。

労働期間はつねに生産期間である。すなわち、資本が生産部門に拘束されている期間である。とはいえ、逆に、資本が生産過程にあるすべての期間が必ず労働期間であるとはかぎらない。

 資本の回転を構成する第二の要素、生産期間とは第一の労働期間に労働休止期間を加えたものである。先の例で言えば、週5日の労働期間に週休2日を加えた7日が生産期間となる。生産期間の短縮も資本の回転数を上げる秘訣である。
 労働休止期間は、機械などの固定資本が遊休を強いられ、資本家にとってはいまいましい限りだが、このような「労働力そのものの自然的制約によって引き起こされる労働過程の中断」は、今日では労働基準法のような法令によっても強制される。そこで、再びこうした法的制限を緩和しようとする逆行が起きているわけである。
 これに対し、マルクスが第二巻で特に議論の対象としているのは、「労働過程の長さにはかかわりのない、生産物とその生産の性質そのものによって引き起こされる中断」である。その例は専ら自然の生物を栽培する農業などの第一次産業である。これは作物の生育季節や成熟期間など自然界の法則がもたらす中断であるが、現代資本主義は遺伝子組み換えや工場栽培などの科学技術を駆使して、環境や健康を犠牲にしてでもこうした限界を乗り越えようとしているところである。

・・・資本の回転時期は資本の生産期間と流通期間の合計に等しい。それゆえ、流通期間の長さの相違は回転期間を相違させ、したがってまた回転周期の長さを相違させることは自明である。

 資本の回転の第三の要素、流通期間は、第二の生産期間と通算されて、最終的に資本の回転期間を構成する。この流通期間もさらに「販売期間、すなわち資本が商品資本の状態にある期間」と、「購買期間、すなわち資本が貨幣形態から生産資本の諸要素に再転化する期間」とから成る。中でも販売期間の短縮が資本の回転数を早める秘訣となる。現代資本主義では高速交通機関及び情報通信技術の発達がそれを可能としているが、それらの発達を促進したのも、販売期間短縮へのあくなき欲求だったとも言える。


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