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近代革命の社会力学(連載第181回)

2020-12-21 | 〆近代革命の社会力学

二十六 グアテマラ民主化革命

(1)概観
 スペイン・アナーキスト革命が挫折した後、欧州における大規模な革命事象は途絶える。この時までにイギリス、フランスなど先発の西欧諸国はブルジョワ民主主義の枠内での民主化が進展していたのに対し、西欧でもドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルのほか、東欧の後発諸国ではファシズムの潮流が起き、第二次世界大戦へとなだれ込んでいくからである。
 世界大戦のような国家総力戦の局面になると、総動員体制が敷かれ、戦争遂行へ向けた思想統一がなされるため、革命運動は停止の状態となることが通例である。大戦に対して中立を標榜し、参戦を回避したスペインやポルトガルではファシズム体制が内政を固めていたため、革命運動は抑圧され、長い冬の時代を迎えていた。
 そうした中、大戦末期の1944年に中米の小国グアテマラで勃発した民主化革命は、戦時中に発生した稀有の革命事例である。当時のグアテマラは、大恐慌後の混乱の中、1931年の大統領選で当選した職業軍人出身のホルヘ・ウビコがドイツやイタリアを模したファシズム体制を樹立し、徹底した独裁体制を敷いていた。
 大恐慌を契機とするこうした流れはナチスドイツの樹立過程とも類似しており、ウビコ自身、自らをヒトラーになぞらえていた。ウビコ政権の存続期間もナチスドイツとおおむね重なっているが、違っていたのは、ウビコ政権が地政学上の打算から親米・反独の立場を取り、連合国側に加わったことである。
 そのため、終戦まで政権が持続していれば、アメリカの庇護を受けて戦後も体制が長期間存続した可能性もあったところ、終戦直前の1944年に民主化革命に直面し、体制崩壊を来したのであった。
 その他の主要なファシズム体制は、“本家”のイタリア・ファシズムやナチスドイツ、さらに日本の軍国疑似ファシズムも含め、敗戦という外部要因的な崩壊契機なくしては打倒されなかったのに対し、グアテマラでは内発的な革命により打倒されたことは、注目すべき点である。
 世上「グアテマラの春」と呼ばれるこの1944年革命の後、グアテマラでは選挙を通じた革新民政が形成され、二代の民選大統領の下、全般的な社会・経済改革が実行されていく。この過程はアメリカが背後で操る反革命クーデターにより潰された1954年に至るまで、丸10年に及ぶ「長い革命」であった。
 そのため、厳密には1944年の民衆蜂起のみが革命であり、その後の10年間はポスト革命体制とみなすこともできるが、この10年間は1944年革命なくしてはあり得ないほど革命の直接的な所産の年月でもあったことからして、ここでは戦後を含めた10年にわたる長いプロセスの全体を「民主化革命」と把握して、叙述していくことにする。


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