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老子超解:第六十三章 為政者の等級

2013-04-28 | 〆老子超解

六十三 為政者の等級

最上の為政者は(無為の政治を行うので)民衆にその存在を知られる程度である。その次(次善)の為政者は(善政を施すので)民衆に親しまれ、ほめたたえられる。その次の(凡庸な)為政者は(恐怖政治を敷くので)民衆に畏れられる。その次(最低)の為政者は(暗愚のため)民衆に軽侮される。
(為政者が)民衆を信頼しなければ、民衆に信頼されないことになるのだ。
(為政者が)悠然として言葉を貴べば、政治的な功業が成し遂げられても、民衆は自然にそうなったと言うであろう。

 

 通行本第十七章に当たる本章から先は、為政者の条件や心得に関するすぐれて実践的な章がしばらく続く。一見浮世離れしているかに見える老子の意外な現実的関心が現れる箇所である。
 本章第一段は、為政者を独特の視点でランキングする点でとりわけ興味深い。出色なのは、善政を施す為政者が次善と評価されるところである。おそらくこれは儒教に基づく政治を示唆するものであろう。
 当然ながら、老子にとって最上の為政者はに基づく政治―無為の政治―を実践する者である。その場合、為政者はことさらに善政を施そうとはしないから、民衆はその存在を知ってはいても、特段称賛もせず、功業が成っても、それを自然なことと受け止めるという。これは政治指導者にカリスマ性を求めるような政論とは対極にある為政者論である。
 なお、三番目の凡庸な為政者による恐怖政治とは、おそらく法家思想に基づく厳格な社会統制の政治を示唆しているであろう。法家政治は暗愚の為政者による失政よりはましとはいえ、その次にランクされる悪政なのである。それは民衆を信頼しない政治であるから、民衆を信頼しない為政者は民衆からも信頼されないというのである。


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