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裁判員制度五周年

2014-05-21 | 時評

2009年5月の裁判員制度施行から今日でちょうど5年。この間、裁判員選任手続への出席率が年々減少を続け、初年度の40%から本年度は3月現在の集計で25%まで低落した。

こうしたデータをみると、裁判員制度は所期どおりに機能しておらず、ジリ貧状態とも言えるが、実はこの状態こそが、所期の成果なのである。どういうことか。

以前拙論の中で、裁判員制度は罰則付きで広く国民に動員をかける形をとりながらも、実際上司法当局としては相当数の辞退者・拒否者が出ることを想定して、それらの者は深追いせず、積極的な協力姿勢を示す候補者だけをピックアップして翼賛的な「少数精鋭主義」で制度を運用しようとの方針を持っているのではないか、と指摘した。

7割以上の裁判員候補者が選任手続に出席しないという現状は、まさにこうした「参加司法」ならぬ「翼賛司法」が実現されつつあることの結果である。であればこそ、裁判員経験者向けのアンケートでは実に95%が「よい経験だった」と回答している事実をもって、当局は制度運用はおおむね順調と評価しているのである。

これは、決して当局の強弁ではない。他人を裁き、刑罰を下すことを「よい経験」とする応報主義的な価値観の協力的な裁判員だけを擁して粛々と被告人を断罪していく現状は、たしかに市民感情を反映した「犯罪との戦い」のイデオロギー装置である裁判員制度本来の狙いどおりと言えるからだ。

制度反対運動の側では、出席率の低下をもって制度破綻・廃止への道と認識する向きもあるようであるが、事実は逆で、むしろ少数精鋭の翼賛司法制度の完成へと向かっている。このままなら、当局は決して裁判員制度を手放さそうとしないだろう。

もし当局が制度廃止を真剣に検討することがあるとすれば、それは上記拙論でも触れたように、辞退者・拒否者が増えるよりも、制度批判派市民が積極的に参加することで(批判的裁判参加)、無罪評決や厳罰回避評決が目立って増え始めたときである。


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