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犯則と処遇(連載第2回)

2018-11-09 | 犯則と処遇

1 序論―「犯罪」と「犯則」(と「反則」)

 本連載では、「犯罪→刑罰」という現段階では世界でも圧倒的に支配的な刑法体系におけるのとは異なる用語が多用されるが、中でも最も基本的なものは「犯則」である。一方で、人口にも膾炙している「犯罪」の語は行論上必要のない限り、用いられない。そこで、一文字違いの「犯罪」と「犯則」の意味的相違について、冒頭の章で説明しておく。

 まず、よりなじみ深い「犯罪」(crime)は、文字通り、「罪」という道徳的な罪悪観念をベースとした用語である。もっとも、英語表記におけるcrimeは法律的な犯則行為を意味しており、道徳的な罪を表すsinとは区別される。これは、道徳とはひとまず分離された法律に基づく処罰という近代の合理主義的な刑法観念に沿った用語ではある。
 とはいえ、crimeを犯した者に刑罰(punishment)を科すという「犯罪→刑罰」体系の下では、刑罰という応報的な法的効果とあいまって、crimeが道徳的なニュアンスを帯び、限りなくsinと重なり合うことは避けられない。

 その点、「犯則→処遇」体系にあっては、犯罪は道徳的な罪から完全に分離され、法に違反する反社会的な法益侵害行為として純化されるため、もはや「犯罪=crime」ではなく、「犯則=offense」として把握されることになる。
 もちろん、人々の意識においては、窃盗なり殺人なりの典型的な犯則行為は道徳的にも罪と認識されるかもしれないが、「犯則→処遇」体系が根付く典型的な共産主義社会においては、貨幣経済が廃されるので(拙稿)、人間をして最も多く罪悪に駆り立ててきた金銭にまつわる犯則行為は根絶される。
 そうなれば、なお残る少数の犯則行為に対しては、道徳的な糾弾よりも、まずは真相解明とそれに基づく犯行者に対する科学的な矯正処遇を優先させるべきとする認識が高まると期待される。こうして、「犯則→処遇」体系は、合理化された近代的な「犯罪→刑罰」体系の下でもなお未分化だった法と道徳の関係性を完全に切断し、法的・科学的な犯則処理の体系として純化されることになるのである。

 とはいえ、伝統的な「犯罪」と「犯則」は、かなりの程度重なり合うだろう。例えば、窃盗や殺人などは典型的な犯則行為でもある。しかし、猥褻表現犯罪のように表現活動をめぐる道徳的な価値観が前面に出てくる「犯罪」はもはや「犯則」ではなくなるか、ごく限定的に犯則化されるかのいずれかの道をたどるだろう。

 ちなみに、日本語では同音異字語となる「犯則」と「反則」の区別にも触れておきたい。「反則」とは、典型的には、交通法規違反のように、行政的な取締規定に違反する行為であり、その法的効果は矯正処遇ではなく、何らかの行政的なペナルティーである。なお、スポーツのルール違反も「反則」(foul)というが、これは法律外の用法である。


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