ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第188回)

2021-01-11 | 〆近代革命の社会力学

二十七 コスタリカ常備軍廃止革命

(3)カリブ軍団の結成と活動
 コスタリカの1948年革命を率いたのは、前回見たように、ホセ・フィゲーレス・フェレールであるが、この人物は中流階級に生まれ、自力で農園を買収し、中規模のコーヒー農園主兼ロープ工場主となったセルフ・メイドのブルジョワジーであった。
 このような人物は、当時のコスタリカ社会では保守勢力の中核的な支持層となるはずのところ、フィゲーレスは自らを「農園主社会主義者」と規定する社会主義者となり、当初は自己資金で労働者の医療や衣食住をまかなう一種の理想郷を営んでいた。その点では、いわゆる空想的社会主義からスタートしたと言える。
 やがて、現実政治と関わるうちに、彼は時のカルデロン大統領の汚職を公然と批判したため、弾圧され、メキシコへの亡命を強いられたが、カルデロンが退任した後、1944年に帰国すると、民主党を結党し、反体制運動を開始した。
 他方、第二次大戦後の1946年、カリブ地域を中心とする進歩的人士や革命家が結集し、当時、ドミニカ共和国、ニカラグアなど中米の親米独裁体制の打倒を目指す革命支援集団として、カリブ軍団(以下、軍団)が結成された。そのメンバーには、後にキューバ革命の指導者となるフィデル・カストロも含まれていた。
 実際のところ、軍団の最大の目標は、当時カリブ地域最凶レベルの独裁体制と目されていたドミニカ共和国のトルヒーヨ体制の打倒に置かれていたため、メンバーの多くは亡命ドミニカ人であり、活動資金も主にドミニカの実業家から出ていた。
 軍団は武装革命を目指して、第二次大戦の中古兵器を購入し、1947年には、当時のキューバのラモン・グラウ大統領の後援の下、実際にドミニカへの侵攻・革命を計画したが、事前に察知したアメリカ政府がグラウに圧力をかけ、未遂に終わった。
 この事件の後、当時のグアテマラ革新民政のアレヴァロ大統領が軍団の後援者となるが、そのために、軍団は共産主義に否定的なアレヴァロ色が強まり、反独裁・反共・反ソを基調路線とするようになった。
 軍団の次なる目標はニカラグアのソモサ独裁体制の打倒に向けられていたが、このような状況下で、フィゲーレスは軍団に接触し、アレヴァロに対し、コスタリカでの革命に対する支援を条件に、ニカラグアと隣接するコスタリカを軍団の拠点とすることを申し出たのであった。
 この取引が成立するや、フィゲーレスは早速、軍団の軍事訓練を開始するが、そのメンバ―の多くは実は亡命ニカラグア人であり、フィゲーレスが預かった軍団兵士は彼の傭兵に等しいものであった。
 こうしたことからも、フィゲーレスは早くから、コスタリカでの革命を構想していたことになるが、実際のところ、当時のコスタリカは汚職問題はともかく、政治的には中米において最も安定した民政が定着し、ドミニカやニカラグアとは政情が異なっており、革命の可能性は現実的ではなかった。
 しかも、外国人傭兵主力の貧弱な軍団だけで革命を起こすことは到底無理であったが、折しも、時のピカード政権がカルデロン前大統領の返り咲きを助けるため、1948年大統領選挙の結果を転覆するという暴挙に出たことが、革命のタイムリーな動因となった。


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