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戦後ファシズム史(連載第23回)

2016-03-01 | 〆戦後ファシズム史

第三部 不真正ファシズムの展開

2:カナダ・ケベック州の「大暗黒時代」
 第三部で取り上げるべき典型的な不真正ファシズムの真の先駆けないし雛型と言えるのは、戦前・戦後にかけて通算19年に及んだカナダ・ケベック州の地方政権・民族同盟体制であると考えられる。
 カナダのケベック州は連邦国家カナダにおけるフランス語圏の中心州であり、伝統的にカトリックが優勢で保守的な土地柄であった。しかし州政では19世紀末以来、世俗主義のリベラル政党ケベック自由党が一貫して政権の座にあった。そうした中、自由党支配への倦怠と長期政権の腐敗に対する州民の不満を吸収する形で現われたのが、弁護士出身のモーリス・デュプレシに率いられた新たな保守政党民族同盟であった。 
 デュプレシは永年野党に甘んじていたケベック保守党と自由党を離党した反主流派グループを統合する形で民族同盟を結成し、1936年の州議会選挙に勝利して政権獲得に成功、州首相に就任したのである。
 ただ、一期目は政権基盤が確立されておらず、カナダがドイツに宣戦布告した直後に行なわれた39年の選挙では、自由党が徴兵免除を公約したことも響いて敗北、民族同盟は3年で下野することとなった。しかし、第二次大戦末期の44年に行なわれた選挙で民族同盟は政権を奪回、以後は59年のデュプレシ首相の急死をまたいで60年まで政権を独占した。
 民族同盟自体は、前述したように保守党と自由党反主流派の合同により成立した保守系新党で、この種の合同政党にありがちなように綱領には曖昧な点があったが、デュプレシ政権は一期目からその強固な反共主義とカトリック教権主義の立場をあらわにした。その象徴が37年に制定された通称パッドロック法である。
 パッドロックとは南京錠のことであるが、まさに共産主義に南京錠をかけて封じるというイメージを表わした通称である。この法律は極めてあいまいに定義された共産主義的プロパガンダを禁じる言論統制法であり、これによって州警察を動員し、共産主義的とみなされた新聞社の封鎖や出版物の没収などが実行された。
 またデュプレシ政権は反労働組合の立場を鮮明にし、警察力を使ってストを弾圧した。これは反共主義とも連動しており、54年には労組員が共産主義を支持することを禁じ、共産主義を支持するメンバーが一人でも存在する労組の法的資格を取り消すという抑圧策を導入している。
 こうした強権統治の基盤はカトリック教会と地方農村にあり、デュプレシ政権は農村ばらまき政策と同時に、聖職者に公的資金を供与して公教育や医療その他の社会サービスを委ねる一方、州は社会サービスに関与しない福祉消極政策を採った。聖職者らは選挙での支持によってこれに答え、自由党支持者を破門にするなど反デュプレシ派迫害の中心を担った。
 いつしか「首領」と通称されるようになったデュプレシの時代は、体験者の回想によれば「沈黙による服従、慣れの惰性」が支配し、否定的に「大暗黒時代」とも呼ばれている。ただし、この間、デュプレシはヒトラーのような全権執政者に就任したわけではなく、州議会制の枠内で規定どおり四年ごとの選挙に四連勝して州政権を維持している。そのため、彼の体制は単なる超保守政権にすぎないと見ることも可能であり、事実カナダ史上もそのようにみなされているようである。
 しかし、今日的な視点からとらえ直すと、デュプレシ体制は議会制に適応化した不真正ファシズム(議会制ファシズム)の先駆けないし雛型と見ることができる。もし「首領」デュプレシが急死していなければ、政権はさらに十年以上継続された可能性もあった。
 だが、59年、デュプレシは脳卒中で死去し、後継首相のポール・ソーヴェもわずか四か月で急死するという連続的な不運に見舞われた民族同盟は60年の選挙に敗北、ケベック自由党が政権を奪回した。以後は66年まで自由党政権の下、デュプレシ時代の清算と社会民主主義的な社会改革が矢継ぎ早に行なわれたため、この転換期は「静かな革命」とも呼ばれる。
 民族同盟は66年の総選挙で再び政権を奪回するも、すでに穏健化されており、70年選挙で惨敗した後はすみやかに退潮した。71年にケベック連合と党名変更した後も二度と政権に返り咲くことなく、81年以降は議席を喪失、89年に至り解党・消滅した。
 デュプレシ時代の強固な反共政策、そして民族同盟が冷戦終結と時を同じくして消滅したことからすれば、ケベックの民族同盟体制もまた反共ファシズムの一環だったと見ることもできるが、一方でデュプレシ政権がユニオンジャックに代えて制定したケベック州旗は今なお維持されているなど、ケベック地方主義の先駆けという歴史的意義も認められる。
 従って、このタイプの地方主義と結びついた「地方ファシズム」は、現代でも連邦国家や地方自治国家の内部から発現してくる可能性があるという意味では、今日的な意義も見逃すことはできない。


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