ザ・コミュニスト

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アラブの遠い春

2012-07-01 | 時評

エジプトで史上初めてイスラム主義の大統領が直接選挙で誕生した。表面的に観察すれば、いわゆる「アラブの春」を経験した他のアラブ諸国に比べて、一足早く一定の民主化に到達したと評することもできる。

昨年の民衆デモを機に退陣に追い込まれたムバラク体制は、デモの直前までその友人であった欧米・日本のメディア上でステレオタイプに評されたような「独裁体制」というよりは、ムバラク前大統領の出身母体である軍部を権力基盤とする権威主義体制であった。そのうえ、歴史的に見れば、1952年エジプト共和革命とアラブ民族主義の英雄・ナセルの流れを汲む、ナセル体制の変節・堕落形態でもあった。

そのため、エジプトは他のアラブ諸国に比べれば、民主化移行が比較的しやすい条件を備えていた。とはいえ、ムスリム同胞団政権の発足をもって「アラブの春」の完成とみなすのは早計である。

まず何よりも、民衆運動とムバラク体制の間に割って入る形で漁夫の利を得た軍部勢力がなお居座っていることである。かれらは本来旧ムバラク体制とは一蓮托生であるはずだが、民衆デモに直面して、ムバラクと共倒れになることを避けるため、親分を見限って事実上のクーデターで軍部権益を確保する道を選んだのだ。

もう一つは、一応民主選挙によったとはいえ、政権に就いたのはイスラーム主義を掲げる勢力であることだ。かつては武装闘争路線を掲げたムスリム同胞団も現在は非暴力穏健路線であるが、共和革命以来、世俗性と近代化を掲げる体制下で抑圧されていたイスラーム圏の「保守本流」がここに至って台頭してきた事実に変わりない。

これにより、社会の保守・反動化が進み、イスラーム法に基づく別の種類の権威主義が立ち現れ、エジプトでは少なくないフェミニストを含む世俗近代主義者やキリスト教少数派への抑圧が強まる危険性は否定できない。これは真の民主化への障害要因となる。

ただ、「アラブの春」をめぐっては、中東を未開拓市場とみなし、自国資本の中東進出を後押ししようとする欧米が民主化運動支援にかこつけて介入する構えを露骨に示してもきた。そういう状況下では、欧米に受けのよい実務家タイプの候補者でなく、欧米に一定の不安を呼び起こすイスラーム主義者を大統領に選出したのは、かつて欧米資本の餌場として蹂躙された苦い歴史的経験を持つエジプト人にとって、欧米資本への防波堤を築くぎりぎりの選択であったかもしれない。

そうした現実判断はともあれ、アラブの民衆革命は全くもって未完である。各国で民衆デモを担った民主化運動も明確な未来ビジョンに欠け、「良い指導者」に国を託したいという委任民主主義の域を出ない運動である。言い換えれば、民衆自身が自ら政治を担う自己統治に自信を持っていない。

こういう「指導者探し」は選挙に基づく政党政治が根付いている自称先進諸国でも同様に見られる現象である。その意味では、エジプトの現状は決してアフリカ大陸の途上国の他人事ではない。選挙政治は世襲統治や独裁統治よりはましなものだが、選挙政治の実現をもって民主化は終わりなのではない。「その先」がまだある。

それは「指導者」に頼るのでない、自己統治の民主主義である。 


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