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奴隷の世界歴史(連載第17回)

2017-09-12 | 〆奴隷の世界歴史

第二章 奴隷制廃止への長い歴史

イスラーム奴隷制度の「廃止」
 19世紀を通じて欧米諸国―より広くはラテンアメリカも含めたキリスト教諸国―での奴隷貿易・奴隷制廃止が漸次進行していく一方で、イスラーム教諸国では、奴隷制度は根強く残存していた。
 聖典コーランが奴隷制度を容認している事情もあって、イスラーム圏では宗教的な観点からの奴隷制廃止運動は低調で、奴隷制廃止は近代化改革ないし革命の内圧によるか、西欧植民地支配や国際社会による外圧による場合にしか起こりにくい構造となっていたのである。 
 欧米諸国で奴隷制廃止が進展していた時代におけるイスラーム「諸国」は、ほぼオスマン帝国の版図に包含されていたから、この時代のイスラーム諸国≒オスマン帝国領であった。黒人のみならず、白人も対象としたオスマン帝国の体系的な奴隷制度及びその基底にある中世イスラーム奴隷制の概要は後に改めて見ることとするが、オスマン帝国社会、特に軍隊と宮廷は奴隷制度なくして成り立ち難い構造となっていた。
 とはいえ、オスマン帝国は19世紀後半期における欧化改革の中で、1882年の勅令をもって奴隷解放を宣言し、国際社会が初めて奴隷貿易の禁止を公式に協定した1890年のブリュッセル会議条約にも加盟したものの、結局、1922年の終焉まで奴隷慣習を完全に手放すことはできなかった。
 一方、オスマン帝国とともにイスラーム圏から同条約に署名した諸国の中で東アフリカのザンジバルは英国の保護領化された状況下で、1897年に奴隷制を廃止したのに対し、ペルシャ(イラン)は封建的なカージャール朝を転覆したパフラヴィ朝の近代化改革の一環として1929年に廃止した。
 しかしイスラーム圏全体で見ると、奴隷制廃止の進展は20世紀に入っても遅々として進まず、モロッコやスーダンなど西欧列強の植民地支配下で廃止された例が散見される程度である。特に湾岸諸国での奴隷制廃止は第二次大戦後まで持ち越される。代表的な事例を上げると、カタール(1952年)、サウジアラビア(1962年)、イエメン(1962年)、アラブ首長国連邦(1963年)、オマーン(1970年)などである。
 また前章で見た西アフリカのモーリタニアのように建て前上奴隷制を「廃止」しても社会構造上残存している事例や、内戦後リビアに出現した移民奴隷市場など、イスラーム圏には奴隷制の残存/復刻の危険性を孕む要素が潜在している。


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