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軍は暴走する

2016-08-07 | 時評

軍の暴走と言えば、大日本帝国の侵略行動の代名詞のような表現であるが、同じことは日本軍部の暴走を止めたはずの米軍にも起きていた―。6日のNHK特集「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」は、アメリカによる原爆投下の意思決定過程に関する通説を覆す衝撃の内容を伝えた。

原爆投下に関する通説とは、「原爆投下は戦争を早く終わらせ、多数の米兵の命を救うために必要だとして、当時のトルーマン大統領が慎重に決断した」というもので、トルーマン自身が後付け的に情宣し、日本でも長くそう信じられてきた。

ところが、実際には、原爆投下作戦は原爆の威力を試したい気持ちにはやる一握りの中堅軍人と協力科学者らがトルーマン大統領の頭越しに主導したもので、大統領は市街地への投下を承認しておらず、その結果としての一般市民大量殺戮の事実も事後的に知らされたのだという。

つまりは軍の暴走であり、人類史上最初の作戦に関して、アメリカご自慢の文民統制が全く機能していなかったことになる。核開発を開始したローズベルト大統領の急死を受け、副大統領から自動昇格したトルーマン大統領の統治能力の弱さも影響したのだろうが、弁解にはならない。

トルーマンは戦後の冷戦を開始した張本人でもあるが、これについても、どこまで彼の明確な施政方針に基づくものか疑わしく、冷戦とは原爆開発でライバルのソ連軍に対して優位に立った米軍主導で仕掛けられたもう一つの暴走だったという見方もできるかもしれない。

米軍の暴走が疑われる事例は、冷戦期のベトナム戦争や、冷戦後のイラク戦争に至るまで、重要な戦争においていくつも見られる。世界で最も文民統制が行き届いた民主的軍隊のモデルと目されるアメリカ合衆国軍隊にしてそんなありさまである。

中でも人類史的に重大な原爆投下作戦における米軍の暴走は、軍の文民統制という命題の幻想性を物語っている。日本の将来にとっても、改憲再軍備を急ぐことの危険性に対する警告事例として受け止める必要があると考えたい。


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