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不具者の世界歴史(連載第9回)

2017-03-22 | 〆不具者の世界歴史

Ⅱ 悪魔化の時代

宮廷道化師たち
 道化は現代では大衆芸能化しているが、本来の道化は単なる見世物ではなかった。特に王や貴族に近侍する一種の公務員としてのお抱え道化師(以下、宮廷道化師で代表させる)は古代エジプトやペルシャに発祥したとされ、壁画などに残されたその姿にはすでに身体障碍者と見られる者が認められる。
 道化師の役割は滑稽な言動によって人々を笑わせることにあるが、滑稽さを醸し出すには健常的で均整の取れた容姿であるよりは、醜形を含めた不具者であるほうがインパクトがあるため、宮廷道化師には成人しても著しい低身長となる小人症のような身体障碍を持つ者が少なくなかった。
 しかし、その一方、宮廷道化師は身体芸とともに音楽や詩などの文芸的素養をも要求される高度な専門職であり、時に奇矯な言動をしてみせるも、それは現代のコメディアンのように意図的な笑いを取る芸であって、身体障碍者ではあっても知的障碍者や精神障碍者では務まらない職であった。
 フランスの政治人類学者バランディエによれば、「(宮廷)道化師の性格は、醜さ、動物性、怪物性の側に属するのであるが、一方、身体の技によって彼の肉体そのものが言語となる。外見からすると、彼は正気の者とは思えない。しかし、彼は、彼一流のしかたで言葉を操る力をもち、言葉を道具としているのである」。(渡辺公三訳)
 つまり、宮廷道化師は小人症のような目に見える身体障碍のゆえに好奇の視線を浴びつつ、時には王をも茶化す不敬な話芸をもって人々を楽しませる免責特権を許された、小気味よい小悪魔的な存在だったと言える。
 こうした高度な能力を要する宮廷道化師の選抜訓練は厳正であったから、すべての身体障碍者が宮廷道化師になれたわけでないのはもちろん、宮廷道化師のすべてが身体障碍者というわけでもなかったようである。
 とはいえ宮廷道化師の地位は低く、記録も十分に残されていないが、宮廷道化師が最も古くから、しかも政治的にも重要な役割を担った中世フランスではフランソワ1世に仕えたトリブレという道化師がよく知られ、文豪ユゴーの戯曲『王は愉しむ』の題材にも利用されている。
 記録によれば脊椎側彎症だったと見られるトリブレは王の御前会議にも出席し、王に助言する政治顧問的な役割も負っていたとされ、単なる道化師を越えた重臣的存在にまで上昇していたようであるが、最後は王妃にまつわる冗談を禁ずる王命に違反したため、死罪は免れたものの、追放された。
 より成功した宮廷道化師としては、英国のヘンリー8世に近侍したウィル・ソマーズがいる。肖像画からすると小人症と見られる彼は、重臣や王妃をも安易に処刑する衝動のあった気難しいヘンリーを癒す存在として終生近侍し、その没後はヘンリーの二人の娘メアリー1世・エリザベス1世両女王の時代まで勤め上げ、無事引退している。
 こうした宮廷道化師とは別に、民間の道化師という職能もあったが、こちらは後に、曲芸を披露する軽業師などとも混淆し、近現代の見世物としての大衆芸能に発展していったと見られるが、これについては章を改めて論ずる。


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