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持続可能的計画経済論(連載第8回)

2018-05-15 | 〆持続可能的計画経済論

第2章 ソ連式計画経済批判

(4)政策的欠陥
 ソ連経済は、大戦をはさんでスターリン政権時代に高度経済成長を遂げた。ソ連式計画経済の全盛期は独裁者スターリンの時代であったと言ってよい。その政策的な秘訣が、徹底した重工業及び軍需産業傾斜政策であった。
 ソ連では、マルクスが『資本論』の中で資本主義の分析に用いた生産財生産に係る第一部門と消費財生産に係る第二部門という産業区分を援用して、生産財(資本財)をAグループ財、消費財をBグループ財と区分したうえ―この分類自体大雑把だが―、Aグループ財の生産を最優先したのであった。これに米国に対抗して軍事大国化を目指す先軍政治的な政策が加わり、軍需産業の成長が導かれた。
 こうした初期の成功の秘訣が、後期になると政策的な欠陥として発現してきた。傾斜政策の中で劣位に置かれた消費財生産は大衆の暮らしにとっては最重要部門であって、経済成長に見合った生活の豊かさを実現するうえで鍵となるはずであったが、ソ連では1953年のスターリン死後にようやくテコ入れが始まった。
 しかしこうした部門でも国営企業が生産主体となったため、西側でしばしば揶揄されたように靴まで国営工場で製造されるという状態で、品質も粗悪であった。そのうえ、前節でも述べたような計画の杜撰さによる需要‐供給のアンバランスや物資横領などの腐敗によって流通が停滞・混乱し、末端の国営商店での品薄状態が恒常化する結果となり、批判的論者をして「不足の経済」と命名されるまでになった。
 結局、ソ連経済の後期になると、良質な消費財は石油危機による石油価格高騰を利用して獲得した外貨を投入し、西側資本主義諸国からの輸入品で補充するほかなくなった。
 一方、傾斜政策のゆえにソ連経済の強みでもあったはずのAグループ財に関しても、計画経済は主として量的な拡大生産に重点を置いていたため技術革新が進まず、老朽化した工場設備が更新されないまま使用され続ける状態であり、生産効率も悪化していった。
 こうした結果、総体としてソ連経済は資本主義的な過剰生産状態には陥らなかったものの、傾斜政策による産業間のアンバランスと質的革新を軽視した量的拡大政策による生産性の低下という欠陥を内蔵させることになった。
 ソ連は冷戦時代、ライバルの市場経済大国・米国に追いつき、追い越すことを目指していたが、結局のところ、どうにか米国と肩を並べることができたのは、核開発と宇宙開発に象徴される軍需産業分野だけであった。
 ソ連終末期のゴルバチョフ政権による「改革」は、市場経済原理の中途半端な政策的導入により、ソ連式計画経済の本質的欠陥を増悪させ、いっそう不足の経済に拍車をかけ、体制崩壊を早める契機となった。
 これは、ソ連式計画経済の模倣から始めつつ、ソ連よりいち早く市場経済化を野心的に進め、最終的には事実上計画経済と決別した共産党中国との明暗を分けたポイントでもあったと言える。


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