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持続可能的計画経済論(連載第20回)

2018-06-25 | 〆持続可能的計画経済論

第5章 計画経済と企業経営

(1)公益的経営判断
 計画経済における企業経営は、当然にも市場経済におけるそれとは大きく異なったものとなる。すでに述べたように、真の計画経済ならば貨幣交換を前提としないから、およそ企業活動にはそれによって貨幣収益を獲得するという目的が伴わない。とりわけ計画経済の対象となる公企業にあっては、まさに公益への奉仕が企業活動のすべてである。
 こうした公企業の経営は経済計画会議が策定した共同計画に準拠して行われるから、経営機関の裁量は限られたものとなる。ここでの経営判断は共同計画の範囲内で、いかに環境的に持続可能で、安全かつ良質の製品・サービスを生産し、公益の増進に寄与し得るかという観点からなされることになる。
 このことは、ソ連式計画経済の下で起きていたように「中央計画」にただ従うだけの機械的・官僚的な経営判断を意味していない。持続可能的計画経済にあっては、経済計画会議を通じた企業自身による自主的な「共同計画」―「中央計画」ではない―が経営の共通指針となるのであるから、この共同計画(3か年計画)の策定へ向けた見通しと準備も重要な経営判断事項となる。
 こうした非収益的な経営判断を公益的経営判断と呼ぶことができるであろう。ただ、このような経営判断は主として計画経済の対象となる公企業に妥当するものであり、計画経済の対象外となる私企業については全面的に妥当するものではない。
 とはいえ、私企業であっても、市場経済下とは異なり、やはり貨幣交換による収益獲得が存在しない点では公企業と同様であり、公企業から製品・サービス等の供与を受ける限りでは、間接的な形で経済計画が及ぶことからすれば、その経営判断はある程度公益的性質を帯びることになるだろう。
 もっとも、私企業にあっては、物々交換の形で一定の交換取引に従事することも認められることから、その面では収益的な活動を展開する自由がある。その限りで、私企業では収益的経営判断が必要とされるだろう。
 総じて言えば、計画経済下での経営判断はいかに儲けるかではなく、いかに社会に貢献するかという公益性を帯びるという点において、市場経済下ではせいぜい企業の二次的な責務にすぎず、所詮はPRの一助でしかない「社会的責任(CSR)」が、そうした特殊な用語も不要となるほど、企業経営の本質として埋め込まれると考えられる。


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