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近代革命の社会力学(連載第468回)

2022-08-02 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(7)シリア(未遂)革命

〈7‐2〉民衆蜂起の開始と展開
 シリアでは、「ダマスカスの春」の後、再び抑圧統制が強化され、表面上は安定が維持されたとはいえ、父アサド政権時代から開始されていた市場経済化による格差拡大や青年層の高失業率など、社会経済的な面での不満は相当に鬱積していた。
 とはいえ、父アサド時代に構築された多重的な保安組織による監視網は有効に機能し、大衆の間には政治的沈黙が習慣化されていたこともあり、「アラブの春」のシリアへの波及はやや時間的に遅れたが、2011年の1月末(以下の年月日はすべて2011年中)には散発的ながらも抗議行動が始まっていた。
 転機となるのは、3月初旬、シリア南端の町ダルアーで、15人の学生が反政府運動への参加のかどで拘束され、拷問を受けたというシリアではさして珍しくもない出来事を引き金に、抗議行動が全国の主要都市に拡大された時である。
 特に、ダルアーでは、政治犯の釈放や半世紀近く敷かれてきた非常事態令の解除など、「ダマスカスの春」で知識人が提起した政治的要求事項を掲げる民衆蜂起が発生したことは、シリアにおける革命の端緒となった。
 これ以降、4月には首都ダマスカスでも大規模な抗議行動が発生し、全国的な騒乱への急速な展開が見られたが、これに対し、政権側は治安部隊を投入して暴力的な鎮圧を展開するとともに、譲歩による慰撫を図る巧妙な両面作戦を見せた。
 そうした慰撫策として最初のものは、48年の長きに及んだ非常事態令の解除と政治犯を裁く不公正な最高国家保安裁判所の廃止であった。これらは父アサド時代から政治的抑圧の法的な武器となっていたものであり、かねてより知識人グループも要求していたところであった。
 しかし、これだけではもはや抗議行動を鎮静化することは困難になっており、騒乱は収束せず、政権側は第二弾の慰撫策として、憲法改正を含む改革を議題とする反政府勢力との対話を打ち出した。
 しかし、7月10日に開始されたこの対話には反政府勢力の多くが欠席し、充分な討議を行うことはできなかったが、憲法で定められたバアス党の指導性条項の撤廃という反政府側の要求事項は政権側に受け入れられ、月末には複数政党制を認める新法が制定された。
 ここまでの展開は1980年代末からの中・東欧における脱社会主義革命の展開状況とも類似しているが、中・東欧で成功した革命では野党勢力との対話が制度化され、非武装革命への展開が見られたのに対し、シリアではそうした展開が見られなかった。
 そうならなかったのは、政権側に権力放棄の意思がなく、武力鎮圧方針を維持していたことに対抗して、反政府勢力も武装組織を結成し、武装革命へ進展する力学が働いたためであり、そのことがやがて熾烈な内戦状況を招来する動因となる。


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