第66回正倉院展に行った話はすでに書きましたが、
ただの”文句日記”と化してしまっていたので(反省)、
とりあえず、気を取り直して(?)落ち着いて、感想など…。
今回は『天皇皇后両陛下傘寿記念』というタイトルがついている通り、
お目出度い記念大会(っていわないか、記念開催くらいか)
中身も、天皇と皇后の絆の強さを感じさせるものとなっておりました。
現在、正倉院宝物として伝わるたからものは元々、
聖武天皇の冥福を祈って光明皇后が東大寺の大仏様に奉献した品々。
聖武天皇の愛用の品を見るたびに、涙が出ると光明皇后は言っていたそうで、
だったら目に付かない場所に納めてしまえ!
そうだ、大仏さまに差し上げてしまおう!
(おいおい、そんな乱暴な解釈…)
しかし、それが結果的に良かったのかもしれません。
ちゃんと千年の時を越えて残ってきたのだから。
自分のダンナが寝ていたベッドとか(介護用ベッドだったら確かに不必要か)、
自分のダンナが履いていた靴とか(サイズが合わなかったら履けないよね)、
確かに、もう要らんかもなあ(こら!)
しかし、ベッドで寝ていたのに、
肘掛けがある=床に座るって生活も並行してあったってのは、
この頃から和洋折衷ならぬ、和中折衷な生活をしていたというべきか?
そして、やはり今年の目玉は「鳥毛立女屏風」(ははは)
「天平時代の美人」とはこういう顔なのだな…ということがわかるもので、
六名のうちの二名様はトーハクに出張中。
ですが、一度に美女がこれだけ揃うってのも珍しいことで、
これが目玉だってのは仕方がないかも(謎)
個人的には今回の出品のうちでは「白瑠璃瓶(はくるりのへい)」が一番のお気に入り。
正倉院御物の中で好きなものはダントツでガラス製品のわたくし。
(こんなやつね→こんなの)
「白琉璃碗」とか「紺琉璃坏」とか好き好き大好き。
キラキラしたものが好きだってのもあるけど、
「ガラス=壊れやすい」ってイメージから、
よくもまあ、こんな壊れやすいものが残ってきたわねえっ感嘆を禁じえないから。
粗忽者のアタクシはコップだのグラスだのをよく壊すので(をい)、
こんな割れやすいものが千年もの間こんこんと眠り続けてくれただなんて…ねぇ!
あと、好きといえば、「吹絵紙」
鳥や蝶などの型に切り取った紙を和紙の上に置き、
絵の具を散らして模様をつけたもので、
子供の頃にそういえば型紙おいて、歯ブラシと網で絵の具をはじいて色を載せて、
模様を付けた紙を作ったのを思い出しました。
なんだかぼんやりとした色彩のものが多かったですが、
夏休みの宿題でこんなの作ったっけって思い出まで思い出したのがミソでした。
(これのコースターとかあったら買ってたかも>なかったと思うけど)
あとは、「玉好き」(ははは)のわたしゆえ、
雑玉幡残欠(ざつぎょくのばんざんけつ)とかも好き。
散華を載せた盆か、もしくは堂内を荘厳する幡だったのでは?
ってことらしいのですが、こんな小さなガラス玉が千年以上前に
造られていたってことにも感動。
好きなものではないけど、
ちょっと驚いたのが「東大寺封戸処分勅書(とうだいじふこしょぶんちょくしょ)」
(封戸の使途処分を定めた勅書)という、藤原仲麻呂が書いたと伝わる書。
最後の行に”藤原恵美朝臣”と書いてあるのだけど、
その名前を含めた文章すべての文字が、誰かの文字に似ていたということ。
その誰かというのは、光明皇后。
光明皇后臨書の『楽毅論』の最後にある「藤三娘」って文字。
あの力強い、女々しくない、男らしい、堂々とした字に似ているなあって。
皇后となってもいまだに「藤原の娘」であることを示す
「藤三娘」と自らのことを書く、その文字が、
仲麻呂の字と似てるなあと思いました。
やはり血は争えないんでしょうか。
藤原の人間同士。
今回も二時間以上滞在してのんびり宝物を見せていただきました。
最終日、無料デーにまた行きたいもんです(ははは)
以下午後の部へつづく→next。
ただの”文句日記”と化してしまっていたので(反省)、
とりあえず、気を取り直して(?)落ち着いて、感想など…。
今回は『天皇皇后両陛下傘寿記念』というタイトルがついている通り、
お目出度い記念大会(っていわないか、記念開催くらいか)
中身も、天皇と皇后の絆の強さを感じさせるものとなっておりました。
現在、正倉院宝物として伝わるたからものは元々、
聖武天皇の冥福を祈って光明皇后が東大寺の大仏様に奉献した品々。
聖武天皇の愛用の品を見るたびに、涙が出ると光明皇后は言っていたそうで、
だったら目に付かない場所に納めてしまえ!
そうだ、大仏さまに差し上げてしまおう!
(おいおい、そんな乱暴な解釈…)
しかし、それが結果的に良かったのかもしれません。
ちゃんと千年の時を越えて残ってきたのだから。
自分のダンナが寝ていたベッドとか(介護用ベッドだったら確かに不必要か)、
自分のダンナが履いていた靴とか(サイズが合わなかったら履けないよね)、
確かに、もう要らんかもなあ(こら!)
しかし、ベッドで寝ていたのに、
肘掛けがある=床に座るって生活も並行してあったってのは、
この頃から和洋折衷ならぬ、和中折衷な生活をしていたというべきか?
そして、やはり今年の目玉は「鳥毛立女屏風」(ははは)
「天平時代の美人」とはこういう顔なのだな…ということがわかるもので、
六名のうちの二名様はトーハクに出張中。
ですが、一度に美女がこれだけ揃うってのも珍しいことで、
これが目玉だってのは仕方がないかも(謎)
個人的には今回の出品のうちでは「白瑠璃瓶(はくるりのへい)」が一番のお気に入り。
正倉院御物の中で好きなものはダントツでガラス製品のわたくし。
(こんなやつね→こんなの)
「白琉璃碗」とか「紺琉璃坏」とか好き好き大好き。
キラキラしたものが好きだってのもあるけど、
「ガラス=壊れやすい」ってイメージから、
よくもまあ、こんな壊れやすいものが残ってきたわねえっ感嘆を禁じえないから。
粗忽者のアタクシはコップだのグラスだのをよく壊すので(をい)、
こんな割れやすいものが千年もの間こんこんと眠り続けてくれただなんて…ねぇ!
あと、好きといえば、「吹絵紙」
鳥や蝶などの型に切り取った紙を和紙の上に置き、
絵の具を散らして模様をつけたもので、
子供の頃にそういえば型紙おいて、歯ブラシと網で絵の具をはじいて色を載せて、
模様を付けた紙を作ったのを思い出しました。
なんだかぼんやりとした色彩のものが多かったですが、
夏休みの宿題でこんなの作ったっけって思い出まで思い出したのがミソでした。
(これのコースターとかあったら買ってたかも>なかったと思うけど)
あとは、「玉好き」(ははは)のわたしゆえ、
雑玉幡残欠(ざつぎょくのばんざんけつ)とかも好き。
散華を載せた盆か、もしくは堂内を荘厳する幡だったのでは?
ってことらしいのですが、こんな小さなガラス玉が千年以上前に
造られていたってことにも感動。
好きなものではないけど、
ちょっと驚いたのが「東大寺封戸処分勅書(とうだいじふこしょぶんちょくしょ)」
(封戸の使途処分を定めた勅書)という、藤原仲麻呂が書いたと伝わる書。
最後の行に”藤原恵美朝臣”と書いてあるのだけど、
その名前を含めた文章すべての文字が、誰かの文字に似ていたということ。
その誰かというのは、光明皇后。
光明皇后臨書の『楽毅論』の最後にある「藤三娘」って文字。
あの力強い、女々しくない、男らしい、堂々とした字に似ているなあって。
皇后となってもいまだに「藤原の娘」であることを示す
「藤三娘」と自らのことを書く、その文字が、
仲麻呂の字と似てるなあと思いました。
やはり血は争えないんでしょうか。
藤原の人間同士。
今回も二時間以上滞在してのんびり宝物を見せていただきました。
最終日、無料デーにまた行きたいもんです(ははは)
以下午後の部へつづく→next。