奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

斑鳩に行って法隆寺に行かない贅沢

2014年04月19日 | 色々・モシクハお勉強
4月11日に王寺&斑鳩を歩いてきました。
コンセプトは「歩きそこねていた所を巡ろう!」

斑鳩町には「法隆寺」というビッグな存在があるので、
誰しも一度は来たことがあるであろう場所ですが、
それ以外の場所っていうと、なかなか行かない(行けない)
そんな「観光バスツアー」では滅多に行かないであろう場所を回りつつ、
つなげつつ、テクテクしてみようかなと。

旅の最初はJR三郷駅。
大阪方面への道路(R25)ではしょっちゅうここらへんは通っていたものの、
この駅は素通り、かつ、下車したことがない、という場所。
とりあえずココで9時に現地集合してスタートです。

まず最初は、龍田大社。
この龍田大社ってのが有名な割には縁がなかったんだな。
最寄り駅が三郷駅ですから。
しかし三郷駅からは徒歩5分。近っ!

龍田大社は七月の「風鎮大祭」が有名な風の神様。
崇神天皇の御世に凶作が続き、天皇の夢枕に龍田の神がたち、
「神社建ててちょ☆」と申されたので、
そのとおりにしたという縁起(をい、はしょりすぎ)

この神社の南には大和川。
国中盆地の川をすべて集めて西へと流れます。
ここに神様がおられるというのは、そういう意味もあるのです。
(どんな意味や)

龍田大社からは道なりに下って大和川を渡り、王寺のニュータウン方面へ。
途中大和川に葛下川が合流するポイントで、何故かテンションアゲアゲ↑な我々。

というのも、今年の奈良検定のソムリエ問題で「400字問題」に「葛下川」ってのが出まして、
その問題を初見した時思わず「葛下川ってどこ流れてんだよ!!」
と思わず毒気づいてしまったもんで。
早速地図をひっくり返して、ここらへんを流れている川なんだなって調べましたが、
しかしながら、「葛下川流域で何を書けってんだ?!」
とさらに更に悩む羽目になったもんですから。

そんなことから思わず、その合流地点を発見して「ヲオォ!」状態に。
ちゅうことで、その現場で撮影大会が始ってしまいまして、
周辺のヒトからしたら何をしてんの?状態に見えたことでしょう。
いいのですいいのです、自己満足ですから。(ふん)

その後は川を越えて、団地の中を歩き、
途中有名な仏さんがいるという品善寺にたどり着いたのですが、本堂が開かず…。
県指定文化財の薬師如来像がいらっしゃるとのことだったのですがね。
(お会いできなくて残念&リサーチ不足でスミマセン)

その後、団地内のキレイな道路を渡って、いかにも古墳!っていう竹林の脇を歩き、
孝霊天皇陵に到着。
孝霊天皇って誰だよー(をい)って、第七代の天皇じゃないですか(←現地で慌てて調べた)

ご本人よりも、
ムスメが倭迹迹日百襲媛命(やまとととびももそひめのみこと)@箸墓古墳のヌシ
だとか、
ムスコの彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)が「桃太郎」のモデル
だとかが、有名かも。

まあ、欠史八代のおひとりゆえ、宮内庁が「ここがお墓です!」と言い張っても、
中はどうなっているのかわからんもんですけどね(をい)
しかし、訪問した時には、お掃除の方がきれいに階段の落ち葉を払っておられて、
天皇陵としての威厳は漂っておりました。

その後、親殿神社(おやどのじんじゃ)へ。
ここは中世、片岡(ここらの地名)武士集団の守り神として信仰を集めていたそうです。
室町時代に春日若宮社の神を勧請して祀ったのが始まりなんだとか。
ゆえにご祭神が「たけ・ふつ・あめ・ひめ」なのだな。
ということで拝殿には、勇ましい武士姿の絵馬がたくさんかかっていました。

ここで、不思議な燈籠を発見して「燈籠の研究始めちゃう?」とか大盛り上がり。
碍子が付いている灯篭とかもあって、
「電気式の燈籠だったのか?」とかとか、
「燈籠が月と太陽だ~」とか、ここは結構楽しめました。

その後は、広く拡張されたR168を北上して片岡神社へ。
境内は王寺小学校に侵食されて(?)現在はこじんまりしていましたが、
『延喜式』の神名帳にも「片岡坐神社」として名前の見える由緒正しい神社だったようす。

その左手からぐるっと奥に回りこむと、放光寺
今ではこじんまりとした堂宇しかないけど、
ここは聖徳太子が建立したという「片岡王寺」だったといいます。
そう、「王寺」という町の名前は、このお寺が発祥の地だったのですね。

『放光寺古今縁起』によれば敏達天皇の勅願所として
同帝第三皇女片岡姫王が建立し(?、さっきとは縁起がちゃうやん)
歴代の天皇に敬われ、金堂・講堂・食堂・五重塔・経蔵・鐘楼などなどを
供えた大伽藍だったとのこと。

今は小学校にデカイ顔されて、肩身の狭い土地でひっそりとしておられますが、
その門構えからしても、品格のある美しいお寺だったんであろうことは想像できました。

その後、道路の向い側の達磨寺へ。
行った日は偶然にも(ウソ。結構選びました)お寺の縁日の日で、
境内は屋台が出て結構にぎやか。
普段はこんなに人はいないのでしょうが、結構な人出があり華やかでした。

この寺は、聖徳太子が飢えた死にそうな人に会い、衣を掛けてあげたら、
実はその人は達磨大師であったという「片岡飢人伝説」に基づくお寺。
しかしながらその由来以外にも、古墳があったり、聖徳太子の飼い犬の石造があったり、
松永久秀の墓があったりと、盛りだくさんなお寺なのでした。

中でも一番びっくりしたのが、古墳の上に石仏を祀る祠がたっていたこと。
これって、仏壇の上に、神棚を作っちゃったみたいなもんじゃないですか。
(おうちでお祭するときのルールとしてNGです)

それには度肝を抜かれましたが、後は雪丸像が可愛かったり、
お堂が新しかったり、本堂の下に埋まっていたという舎利容器なども見るところも満載でした。

これにて午前の部は終わり。
王寺駅前で昼ごはんを食べて、午後は斑鳩町に突入です。

さて。
おなかもふくれたところで、腹ごなしにテクテクさらに歩きます。
大和川を渡って、川べりを歩き、途中住宅街の坂を上がっていくと三室山。
その中腹にあるのが神岳神社(かみおかじんじゃ)
聖徳太子が斑鳩宮をたてる時、三輪山の神を三室山に祀ったとされます。
ここの桜はほぼ散り掛かっていましたが、桜の景色もなかなかの眺め。
秋だけではなく、春もいいってわかりました。

竜田公園を竜田川沿いに北上して、竜田大橋(現在工事中)から龍田の街並みを歩き、
滝谷神社を経由して春日神社へ。
この神社の宮元座は、昔は坂戸座といい、法隆寺や龍田神社に猿楽を奉納していたんだとか。
あれ?坂戸座って、龍田神社が発祥の地なんじゃないの?
とか思いつつ、とりあえず、ここもそういうイワレがあるというので訪問してみた。

次はその龍田神社へ。
龍田神社は聖徳太子がお寺建立の地を探している際に老人と出会い、
「いい場所があるぜ、ダンナ」と教えてもらったのが斑鳩の地。
その老人は実は龍田明神であり、法隆寺を守護しようといってくれたので
明神をお祀りするために社を建てたというのが、この龍田神社。

そして、ありましたよ>「金剛流発祥之地」の石碑。
加えてお隣には、巨大なソテツのツリー。
なんでも県指定の天然記念物なんだそうな。
「これもソムリエに出るよ~!」
とウソをかましつつ、写真をぱちぱち。

次は目の前の国道を南下して吉田寺(きちでんじ)へ。
ここは別名の「ぽっくり寺」の方が有名かも。
ここにお参りするとシモの世話にならずにポックリ往生できるというので、
年配の方のお参りが絶えないというお寺でございます。

境内には珍しい多宝塔があり、残っている桜と青空とのコントラストも美しく。
堂内にあげてもらうと、本尊の前にずらっと並んでいる木魚の数に圧倒!
「ぽーくぽーくぽーくぽーく♪」
と念仏を唱えながら、叩くわけね。

その後は、いけるトコまで歩くでルート。
まずは「ぶーふーうー」という出来たばかりの喫茶ルームでお茶して、その後、藤ノ木古墳へ。
それから、ウォーナー塔へ。

第二次世界大戦時に日本の古都と文化財を守ることに尽力してくれた
ウォーナーさんを顕彰するという理由で建てられた碑だけど。
法隆寺の西門を出た道を壁沿いに北上するだけの道なんだけど、
法隆寺まで来ていても、今まで一度も行ったことがなかった。

その証拠に「お宅らどこまでいきますのん?」と
土地の古老に声かけられるまで延々歩いていってしまいましたから。
「この先なんかあるん?」
「え?ウォーナー塔に行こうと思ってますが」
「そんなんあったっけ?ホトケヅカ古墳ちゃうの?」
「ええ?そんな先まで歩いて来てる?!」
慌てて少しだけ戻ってみると、看板も、道標もないところに、
ひっそりと立っておられましたよ>ウォーナー塔。
(声かけてもらってよかったよかった)

法隆寺の隣にいながら、寺域には入らず、遠景のみ眺めて本日は終了。
どんどん南下して、「斑鳩大塚古墳」なる古墳を目指します。

私が見た写真では、それなりに、田んぼの真ん中でポツンとしている古墳だったのに、
やっとの思いでたどり着いたソレは…うーむ。
現在では古墳というよりは、その墳丘のうえに立つ殉國碑がどどどどーんと…。
確かに碑を建てるにはいい場所だったかもしれないけど、
古墳だと判った時点で、中止しないもんですかねえ。
(なかなか良いものも出土したみたいなのに)

しかし、ここって奈良大が発掘調査に参加していたのね。
おお、頑張ってる~。

その後、道なりに南下して、五百井伊弉冊命神社と、素盞鳴神社(牛頭神社)を巡り、
法隆寺駅へとたどり着き、本日の予定は終了となりました。

9時~17時半までひたすら歩くという一日で、
歩いた歩数は三万歩ほど。
とりあえず、のんびり歩き通すにはよいルートでございました。
コメント (4)
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