奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

真夏のキョーハク

2012年08月03日 | 色々・モシクハお勉強
学芸員実習OB会にかこつけて、ひさびさの上京です。
しかも今回は上洛と、南都への二か所訪問。
(え?大阪も行ったんですけど…あれは数のうちに入ってないのか?)
とりあえずキョーハクの話など。

奈良博やトーハクにはたびたび出かけていたけど、
実はわたくし京博とは今まで縁がなかったのだな。(マジ)
近所の三十三間堂や、智積院やらはうろうろしてるのに、
なぜか京博には縁がなかった。

最近常設館の工事をしているせいもあって、特別展以外の常設部は開いてないし、
ここんとこの特別展もそんなに見たいと思うものがなかった(のかなあ)ので、
なかなか訪問する機会がないうちに、今日の今日まで来てしまったってワケ。

で。
そのあたくしが重い腰をあげてでかけたってんだからただ事ではない(笑)
古事記編纂1300年記念ってことで、何故か、京博が「大出雲展」をやる
と聞いたからでして。まあ「古事記展」は奈良博でやっていたけど、期間中に
でかけることが叶わなかったから、次の「頼朝と重源」には行くぜ!
と思ってたところに、『京博では大出雲展やるらしいですよ』という情報。
どうせ夜行バスで京都に乗り込んでからの移動なので、
奈良に入る前に京都を荒らしまわればいいではないか!ってことで、
キョーハク→ナラハク→シュクハクの計画が完了です♪

とりあえずはキョーハクへ。
高速バスで京都へ辿り着くと、なんとなくいつもよりはしのぎやすそうな朝。
身支度して、モーニングでひといきついて、9時頃に”出勤”してみたら、
若干の行列ができていました。
それでも私が11人目でございました(11人いる!ってやつですか(謎))

計画実行段階になってから気が付いたのだけど、
なんとその日、大出雲展の初日でございました。
初日といえば”正倉院展を初日に見る酔狂な人たちの会(略して酔狂会)”を
思い出しますわね。正倉院展の初日の混雑はこんなもんじゃないけど、
まあ初日は楽しいよね、初日はね。

しかし京都の夏をなめてはアカン。
しのぎやすそうなんて感想はどこへやら。
並んでいた十数分のうちに汗だくだくになり、並んでまで入るか?って
後悔をしかけた時に開門となり、とりあえず日蔭の場所に整列しなおし。
まあ、真夏のこの時期に、初日とはいえ、これだけのひとが集まったってのは
さすがはキョーハク(のネームバリュー?それとも内容に惹かれて?)。

9時半入場開始。
で、そこから建物までがまた遠かった(笑)
正面ゲートがあって、入場門があって、さらに園内を歩いて移動して建物へ。
これだと東博形式のですね。
建物そのものが歴史を感じさせるいい逸品で、おお~とか見惚れますが、まずは中へ。

今回のタイトルは、
”古事記1300年 出雲大社大遷宮 「特別展覧会 大出雲展」”だそうで、
「神話」「出雲大社」「出雲の祭祀」「出雲の神仏」「出雲のお宝」が並んでいました。

太安万侶の墓誌が出ていたり、見たことがあるものもチラホラだけど。
中でも、個人的には人物埴輪に目が釘付け。

褌姿の力士なのですが、注目すべきは、その足首。
(え?出雲博だろ?なぜに埴輪?しかも、力士?というのはおいといて)

”首”という文字のつく体の部位に古代のひとはよく玉を巻いていたのですが、
この力士さんの足首には円錐状の先のとがった玉が巻かれています。
ハードロックの人たちのコスチュームで、トゲトゲがついた腕輪とか首輪とか
ありますが、あんなような感じのものが足にぐるっと一周してまして…。
はて、このトゲトゲしさはなんだろう?
新たな研究テーマ発見か?!

埴輪には鹿の埴輪も出ていまして、もぐもぐしていたんだけど、
だれか来たな?と振り返ったところのポーズを形作った「見返り美鹿(?)」
コイツがグッズでもたくさん商品化されていまして、
わたしもまんまと一冊、一筆箋買わされてしまいましたわ。

初日だし、土曜日だし、キョーハクだし、どんなもんじゃろと思いましたが。
正倉院展のような混雑はなし。
ほどほどな混雑よりも空いていて快適な空間でした。
そりゃそうでしょう。
節電&節電が叫ばれている昨今において、
「室温25度&湿度55%」が厳密に守られているとこなんて屋内博物館くらいなもん。
入場の際のご案内に、「長時間ご覧になっている場合には寒い場合がございます
ので、着るもので調整をお願いいたします」って云ってたもん。

その通りで、最初こそ「涼しい~快適~」とか思っていたものの、
時間が経つに従って「涼しいってか、体が冷たくなってきたぞ」って感じ。
長時間ご観覧の際には、ストールや、上着などご用意いただくとよろしいかと存じます。

島根県立古代出雲歴史博物館(長い!)にあった、
出雲大社から掘り起こされた「宇豆柱」(木を三本束ねて大きな柱にしてある)とか、
出雲大社のかつての姿を復元した模型とかも出品されていて、
出雲大社のスケールがしのばれます。

現在は8丈(24m)の高さですが、かつては16丈(48m)、
さらには32丈(96m!)の頃もあったんだとか。

出品されていた『口遊(くちづさみ)』という子供向けの暗記本にも、
”雲太、和二、京三”とあり、
”1番は出雲(大社)、2番は大和(東大寺大仏殿)、3番は京(大極殿)”
が高い建物ベスト3であることを示してるんだとか。

『口遊』の作者は源為憲(みなもとのためのり)。
生年不詳で寛弘8年(1011年)没ということで、平安時代中期のひと。
南都焼き打ちは治承4年(1181)年だから、為憲が知ってる大仏殿は
奈良時代に建てられたオリジナルということになる。

ということは平安時代中期には、出雲の大社さんは、
東大寺大仏殿よりも大きかったという認識が
世の中に広まっていたということでして。
奈良時代に建てられた東大寺大仏殿は高さが約45m。
それよりも大きいのが、出雲大社本殿ということになります。
んじゃ16丈って大きさはまだ現実的ですが、
伝承では32丈≒96m、ほぼ100m!
なんて数が古代の建築物で出来るのかというのは甚だ疑問。

しかし、出雲大社の祭祀を司る千家(せんけ)家には、
古代より出雲大社の社は16丈の高さと記された図面が残されてきた。
伝承としてはそれはアリでも、実際に建てるとなると、
さすがにこれはまゆつばなのでは?と思っていたということ。
無理もない。

こんな非常識な建て物を建てるための土台というのも特別で、
三本の木をまとめて、ひとつの柱と出来るように鉄の輪をはめて、
一本の巨大な柱を作る方法を描いた『金輪御造営差図』というのが、
その千家家に残されておるブツであり、今回出品されていました。

それが2000年の発掘調査において、現在の本殿前の空間から
本当にそんな形状のものが出てきちゃったからさあ大変。
やっぱ昔の出雲大社は超高層建築だったのかもーってことに。

この柱はその後の調査で、鎌倉時代前半の宝治2年(1248)に
造営された本殿を支えていた柱である可能性が高くなったとのこと。
でもそれだけでは、当時の本殿の高さまでは推測できない。
しかし、想像の産物と思われていた金輪で束ねられた柱が出てきたって
ことだけでも、古代ロマンですねぇ。

出雲大社の建築模型は32丈のスケールではなく、16丈の1/10で
作られているとのことだけど、模型とはいえかなり高いし、なにせ
階段の部分が邪魔なくらいデカイ&広い&長い。
まさに社に向かって登っていくと「天国への階段」(byツェッペリン)を
思い出させる壮大さです。

そういえば、春の明日香ウォーキング(講師、水野先生&上野先生)と
はしごして(?え?明日香と出雲をハシゴですかい?)出雲大社に行った時、
あの宇豆柱見たなあ>島根県立、古代、出雲、歴史、博物館、で(長いっ!)
また再会できちゃったよ。きゃっぽー。

ってな具合で二時間ほど、空調完備の空間で、ヒトトキの涼をむさぼりつつ、
歴史ロマンに触れまくってきたのでありました。

帰りには図録は重いのでパスをして(をい)。
それこそ、見返り鹿さんの便箋と、スサノオの絵ハガキ(どういう
組み合わせなんだ)を特別展会場で買い求め、常設ミュージアムショップで
しこたま鳥獣戯画の絵ハガキを買いこんできました。
サルの背中を流してやっているウサギさんがらびりー(non、ラブリー)♪

優雅なひとときでした。

コメント
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