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奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

奈良大学と喜光寺

2019年02月22日 | 奈良大学お勉強日記
毎月2日は行基さんの月命日。
中でも月おくれの祥月命日(3月2日)にある、行基会大祭に行こうかなとHPを調べてみたら…。

『★四天王像が発見されました★』

なる文言を見つけました。

しかも、そこに続く文字には、我が母校の名が…。

江戸時代まで喜光寺に安置されていた四天王像が奈良大学で発見されました。

明治の廃仏毀釈で、喜光寺から流出したものだそうです。
その四天王像には「行基菩薩御作 菅原寺」と江戸時代の銘文がありました。
行基さんが亡くなられてから1270年の今年に、このような発見があり大変喜ばしく思います。

このニュースは、ネットニュースでも掲載されておりますので、合わせてご覧くださいませ。”


なんですと?!

リンク先の情報としては。

”奈良の四天王像から「行基」銘文 菅原寺に安置か

共同通信 / 2019年1月28日 20時48分

「行基大菩薩御作 菅原寺」と墨で記された銘文(奈良大提供)

 奈良市にある奈良大は28日、所蔵する木造四天王像から
「行基大菩薩御作 菅原寺」と墨で記された銘文が見つかったと発表した。
銘文は江戸時代に書かれた可能性があるが、奈良時代の僧行基が創建したとされる
菅原寺(奈良市、喜光寺)で安置されていたという伝承を裏付ける銘文という。

 同大学によると、四つの像は寄せ木造りでいずれも高さ約1.6メートル。
平安時代末期から鎌倉時代前期の作とみられる。解体の過程で、広目天像と
多聞天像の計7カ所から江戸時代に記されたとみられる銘文が見つかった。
像自体は行基の作ではないが、長年の信仰から記されたとみられる。”


奈良大、なんちゅうものを入手していたんだ!

確かにすごいもの一杯持っている奈良大だし、
ダーウィンの『種の起源』の初版本やら、世界最初の印刷物である『百万塔陀羅尼経』とか、
すごいものいっぱい所蔵しているけど、菅原寺の仏像までもっていたなんて。

久しぶりに母校に行ってみるか…って公開されているわけじゃないか。
私が在学時に、図書館の入り口に立っていたアレか?と思ったけど、違うみたいだし。

ってことで、もうちょっと調べてみたら。

” 奈良大学(奈良市山陵町)は28日、額安寺(大和郡山市額田部寺町)に伝来した
木造四天王像から、「行基大菩薩御作菅原寺」などと記された墨書銘文が見つかった
と発表した。同像が奈良時代の高僧・行基(668~749年)ゆかりの菅原寺(現・喜光寺、
奈良市菅原町)から額安寺へ移されたとする伝承を裏づける成果。銘文は
江戸時代前期の修理時に記されたとみられ、行基への深い信仰を表す資料という。”
(→https://www.nara-np.co.jp/newhttps://www.nara-np.co.jp/news/20190129092038.htmls/20190129092038.html)

ほほー。
額安寺からのものなのね。


 同大は平成17年、額安寺から四天王像を譲り受け、文学部文化財学科の関根俊一教授らが
26年から解体修理と調査を実施。本年度に修理中の多聞天像では、右腰部材の裏側に
「行基大菩薩御作菅原寺」と書かれるなど6カ所で銘文が見つかった。

 また既に調査が終わった3体うち広目天像の背面上部材にも「行御作菅原寺 
大小廿(二十)八之内」の銘文があった。

 四天王像はいずれも像高約160センチで、ヒノキ材などの寄木造り。
材質や技法などから平安時代末から鎌倉時代前期に制作されたとみられる。

 戦前に出版された仏教考古学者の石田茂作の著書に、四天王像が菅原寺(喜光寺)から
移されたとされると記述。喜光寺に残る古文書にも江戸時代前期の享保15(1730)年に
四天王像などを修理した記録があり、銘文はそのときに記されたと考えられる。

 菅原寺は奈良時代に社会基盤整備や弱者救済に尽くした行基の終焉(しゅうえん)の地。
四天王像は制作年代などから行基が作ったとは考えられないが、ゆかりの深い同寺に
伝わったことで、「行基作」の伝承が生まれたとみられる。明治維新の神仏分離令で
菅原寺が衰退した際、額安寺に移されたと推定される。

 関根教授は「四天王像は細部にわたる丁寧な修理を数度にわたって施している。
行基への深い信仰に支えられて大切に残されてきたのだろう」としている。

 奈良大は9月に完成予定の「50周年記念館」で四天王像の公開を予定している。


ってことなので、秋に公開される模様。
しかし、いや、しかも「50周年記念館」なるものも出来るってこと?
わたし寄付金納めてないけど、行ってもいいかなあ(ははは)

とりあえず、来月は喜光寺いっとこう。
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夏の終わり

2018年08月17日 | 奈良大学お勉強日記
盆が終われば…夏も終わり?
あれれと思う程、本日は涼しく、
もう夏終わりか?ってくらい涼しかったです。

そして、終わっちゃった夏もある。
奈良大付属高校の高校野球での夏は終わりました。

今日だったらテレビ観戦で応援できたのに、
お盆シーズンは何かと忙しいので観戦できぬまま、
健闘も空しく二回戦で惜敗。
その戦いを制した日大三校は準々決勝に進出。
次も頑張って下さいね。

そして、奈良大付属のオリジナル応援曲「青のプライド」がまた来年も聞けますように。
奈良大付属、お疲れ様でした。
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祝!甲子園初戦突破>奈良大付属

2018年08月10日 | 奈良大学お勉強日記
おめでとう!
奈良大学付属高等学校、甲子園初戦突破!
テレビの前で踊りながら応援してました(笑)

二回攻撃の前(?)の校歌が流れる時、チャンネルの切り替えがあって、
奈良大付属の校歌を聞きそこねたので、
「うぎゃー」って思ったけど。
勝って聞く校歌は格別。
美酒に酔いしれました(といいたいところだが、下戸だし、かき氷で乾杯した)

次の第二回戦も楽しんで戦って下さい。
応援してます。
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祝!甲子園出場>奈良大付属高校

2018年07月30日 | 奈良大学お勉強日記
7月28日(土)

台風がくるぞぉ~来るぞお~といわれていたけど晴れていてた土曜日。
うれしい知らせがありました。

奈良大学付属高等学校が、
第100回全国高校野球選手権奈良大会において優勝したというお知らせ、です。

きゃー!!(≧∇≦)
年甲斐もなく黄色い声で叫びましたよ。

よくやった!
でかした!

大和西大寺から一本で行ける甲子園(笑)
しかし、近くて遠い甲子園。

行けるんですね。
奈良大付属高校は。

楽しんで戦ってきてください。
応援しています♪
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文化のかほり

2017年11月03日 | 奈良大学お勉強日記
文化の日です。(トートツ)

てことで(?)
平成29年度の文化功労者に、
奈良大学名誉教授の東野治之(とうのはるゆき)先生が選ばれました。


東野先生は2010年に紫綬褒章を受賞されております。
うーん、文化の日らしい話題ではないですか♪

そうか。
東野先生は今年の3月で退職されていたのですね。
現職は東京国立博物館客員研究員。

そういえば、酒井龍一先生も退官されたっけ。

ということで、大学の教員紹介など眺めてみたら、
私が在学していた時の教授陣も軒並み総入れ替えの様相。

私が入学したの、12年も前だもんなあ。
そりゃそうかも。

最近、見慣れた奈良大のセンセ陣がテレビ出演していることが多くて…
うれしいやら、懐かしいやら。
(というか、私が見るような番組ですから、出ていて当然なのかもしれませんが)

城関係で千田嘉博センセ、
仏像製作で山崎隆之センセ、
今日も今日とて、歴史秘話ヒストリアで白石太一郎センセをお見掛けしました。

でも、奈良大の看板が外れていたり、現職が変わっていたりしたので、
「そうかー」とは思っていましたが。

スクーリングでお世話になった土平センセも、
卒論でお世話になった植野センセも、助教授から教授になっておられたし、
その土平センセは現在、通信教育部長だそうで。
ははー。

そして、我らが水野正好センセはお星さまになってしまいました。
入学して12年、卒業して8年。
それだけの年月が流れたんだなあとしみじみしました。

てことであとは、上野センセ、頼みますよ(何を?)

最近文化的な生活してないから、講演会とか講演会とか講演会とかに行きたいし(謎)
健康で文化的な生活、憧れます(をい)
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二年ぶりの学芸員同窓会part2

2017年07月25日 | 奈良大学お勉強日記
先週の日曜日、奈良大学芸員の同窓会に行ってきました。

同窓会っていうネーミングですが、
通信教育部での二回目の学芸員実習に参加した人が
勝手に始めたゆるーいつながりの会です。

日中(わたしは午後から)は学芸員実習のお手伝いをして、
夜は飲むという黄金のパターン。
それは今年も健在で。

今年の実習はなぜか(?)障子張りがメインだったようで。
私がまだ到達できなかった午前中に、古い障子紙を外して洗い、
午後はそれに新しい紙を張るというミッションが残されていたようでした。
とりあえず数名ずつ、各館に分かれて散らばり、
わたくしも手を貸したり、貸さなかったりで、猫の手状態をしておりました。
(実習生さんたちの仕事を奪ってはいかんからね>レポートのネタが減るし)

私が学生として、実際に参加した博物館実習は2007年ですから、
とうとう10年たっちゃいましたね>それから。

10年ひと昔。
学芸員実習の最後の〆の講演会を長年やってこられた水野先生のお姿はすでになく、
我々も確実に10年分トシを取りました(しみじみ)

ということで、『同窓会』が始まったのは2008年から。
ゆえに今回で10年目?!
そりゃ、年もとるわけだな。
(こればっかし)

しかし、気になって記録を紐解いてみたら、
同窓会は10回目ってわけじゃなかった。
最初の4年間(4回)は順風満帆(?)だったものの。

2012年は私事がいろいろあったけど、何とか実家から駆け付けられて、
2013年は6回目の同窓会(これが水野センセとの永遠の別れになるとは知らなかった)
2014年は何と!台風のため実習および、同窓会が中止に追い込まれ、
2015年は水野センセがいなくなった大きな穴を実感しながらの初めての同窓会。
2016年は私が参加できなかったってことで、
2017年は二年ぶり8回目の出場(?)となりました>甲子園か(笑)

2013年までは毎年、実習の最後に水野センセの〆のおはなしがあって、
さあ、実習もおわりですよっていう区切りがありましたが。
センセが急逝されてからはそういうのが無いようでして…。

午後に障子張りをした後は、セミナーハウスで実習生さんたちは
「見学に来た方に説明をする」練習(?)などを人前で披露して、それで終了だったようですが。
やっぱり「お駄賃」的な、講演会は欲しいなあ…と思いましたわ。
(実習生さんたちにとってみれば、最初で最後の実習なので、
それがなくとも、寂しいとか物足りないとかはないんでしょうけど)

その後は近況をちょっとずつ語り合って、集合写真撮って、飲み会へとなだれ込み~♪
例年通り「ノンアルコールドリンク」を「ここから、ここまでいただくわ~」状態で
飲みまくりつつ、食べまくって、しゃべってしゃべって楽しく過ごしました。

酷く暑かった夏の思い出を、これまた夏にわざわざ集まって語り合う。
楽しからずや。

そして、今年の夏は(てか、同窓会に設定された日は)
「涼しかった!!!」(力説)

大阪32度なんて「涼しい」ですよ。
その前の週が35度オーバーなんてゴロゴロしてましたから。
それに比べたら、32度なんて涼しい涼しい(それでも滝汗なのは変わりないのだが)

ここのんところ、暑さにひどく弱くなった(前々からですが)ので、
参加する前は「どうかなあ」って思ったけど。
行ってよかったです。

近況報告の中で、オトモダチが言っていたコトバも心に残りました。
『自分が元気であるだけでなく、自分の周囲のひとも元気じゃないとここへはこれない』
そういうささやかなことが幸せなんだなあと思わざるを得ません。

また来年集えますように。
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奈良大よいとこ一度はおいで

2017年06月17日 | 奈良大学お勉強日記
奈良大からデカい封筒が届いて、中を見ると、
かつて受講した「歴史地理学」の先生が主催する課外セミナーのご案内と、
奈良大からのリーフレットが入っておりました。

そのリーフレットを見ると、
「皆様のお知り合いを推薦してください」
との文言。

「奈良大学校友特別推薦入試」
「面接のみで受験できます」
だそうで。
へー。

”校友特別推薦とは?
本学の卒業生や本学在籍者の保証人等が受験生を推薦し、
提出書類と面接により合否判定する入試制度(専願)です。
お知り合いの方で推薦したい方がおられましたら
一度下記問い合わせ先までご連絡ください。”
ですって。
(詳しくは→こちらで)

面接のみで、入学できるの?
え~?マジすか。
第一志望が奈良大で「どーしても入りたい!!!」って人には吉報なんじゃないかと。

どうですか?
わたし卒業生ですよ(笑)
オトモダチになりませんか?(←アヤシイ人みたいだってか、十分怪しい人だけど)

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奈良大恐るべし

2017年03月05日 | 奈良大学お勉強日記
すでに旧聞に属するハナシかもしれないけど…。

なんちゃら鑑定団(をい)で「すわ!国宝級のお宝現る!」と紹介された茶碗が、
実はつい最近つくられた偽物なんじゃね?
という『事件』がありましたが。

「それホントなん?」ということで奈良大が一肌脱いだ(?)そうです。

”美術品等の鑑定をおこなうテレビ番組で、“国宝級”と鑑定された茶碗。

その後、「あんなものは真っ赤なニセモノだ」という人たちが現れ、
ネット上では真贋論争が盛んに行われているようです。

この茶碗の所有者から、本当にニセモノだと言っている人たちが言うような
モノなのか調べることができないかとの相談を持ちかけられました。
話を聞く中で、ニセモノだと言っている人たちは実物をまったく見ずに
言っていることを知り、文化財調査の原則である、
自分の目で実物を観ることがないまま真贋を云々することに疑問を感じました。

そこで、本学に設置されている対象を傷つけることなく文化財に含まれる
元素を知ることができる「蛍光X線分析装置」を使って、
ニセモノと主張する人たちが言うような発色させるための
釉薬(うわぐすり)が使われているのかを確認しました。

その結果は、発色の原因と考えられるような元素は検出されず、
赤、青、緑、白(黄)、黒のどの色に見える部分も含まれる元素には
大きな違いがないことが分かりました。

http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/02/2017_14882573150769.html

このことで、この茶碗がホンモノであることは証明できませんが、
ニセモノだと言う人達が主張しているようなモノではないことは確実になりました。

文化財学科では、「現地現物主義」という考え方を
大きな柱として日々教育を行っています。

今回の例はほんの一例ですが、文化財の調査に臨む姿勢として、
何かを感じ取っていただければ幸いです。”

(→http://www.nara-u.ac.jp/faculty/let/cultural/news/2017/166)

※いつもは全文コピーはしないんだけど、今回はweb上の文章保存の意味で丸コピしてます。
ということで、以下も丸コピーします>出典も明らかにして。

この話、
発端は、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」

”鑑定番組で新たな曜変天目茶碗か 
テレ東の収録で発見 2016/12/20 22:13

鑑定番組で新たな曜変天目茶碗か 
テレ東の収録で発見
 テレビ東京は20日、鑑定番組「開運!なんでも鑑定団」の収録で、
世界に3点しかないとされる「曜変天目茶碗」とみられる陶器が、
新たに見つかったと発表した。現存する3点はいずれも国宝に指定されている。

 テレビ東京によると、徳島県のラーメン店経営の男性が番組に鑑定を依頼。
大工をしていた男性の曽祖父が、戦国武将・三好長慶の子孫が暮らす屋敷の
移築を請け負った際、買い受けた骨董品に交ざっていたらしい。
 20日夜に放送された番組で古美術鑑定家の中島誠之助さんが
「曜変天目に間違いない」とし、2500万円の鑑定額を付けた。”

(→http://www.topics.or.jp/worldNews/worldMain/2016/12/2016122001001980.html)

すわ!世紀の大発見!!!か?(東スポ風)
な話でしたが、「あれ偽物ちゃうん?」という声が上がったんだそうで。

「曜変天目茶碗」鑑定 
県人所有品に真贋論争 2017/1/27 14:20

テレビ東京の鑑定番組「開運!なんでも鑑定団」で、徳島市の50代の男性が所有する
陶器が世界で4点目の「曜変天目茶碗」と鑑定されたことを巡り、真贋論争が沸き起こっている。
一部の専門家は「鑑定は間違い」「どう見ても偽物」と指摘。
テレビ東京側は明確な回答を示しておらず、批判の声も上がっている。

 番組は昨年12月20日に放送された。男性は、曽祖父が徳島ゆかりの
戦国武将・三好長慶の子孫から購入したという陶器を出品し、曜変天目茶碗と鑑定された。

 番組では曜変天目茶碗と鑑定した理由として
▽陶器の高台や口縁部に中国で南宋時代(12~13世紀)に生産された特徴がある
▽高台に室町時代に将軍が使う食器に記された「供御」という文字が彫られている-
などを挙げた。古美術鑑定家の中島誠之助さんは2500万円の鑑定額を付けた。

 これに対し、専門家から異論が出ている。

 親子2代で70年にわたって曜変天目茶碗の再現や研究に取り組む
陶芸家・長江惣吉さん(54)=愛知県瀬戸市=は、男性所有の陶器は中国で作られる
模倣品と酷似した偽物だと結論付ける。その根拠として、陶器の外側に曜変天目にはない
斑紋があることを挙げ、内側の斑紋の色合いなどから18世紀以降に開発された
化学顔料が使われているとみる。

 沖縄県立芸術大の森達也教授(中国陶磁考古学)は「曜変天目には『供御』の文字が
記されたものは一つもない」と述べ、番組の鑑定結果を否定。
「男性所有の陶器は曜変天目である可能性が低い」と話す。

 一方、三好一族に詳しい四国大の須藤茂樹准教授(日本中近世史)は、
長慶の弟で茶人として知られ、勝瑞(藍住町勝瑞)を拠点とした実休(義賢)や、
一族の宗三(政長)らが曜変天目を所持していたことを文献史料(津田宗達「天王寺屋会記」など)
で確認できると指摘。「真贋については分からないが、三好氏の本拠である徳島に
曜変天目があった可能性はある」と言う。

 テレビ東京と番組の制作会社は徳島新聞の取材に「鑑定結果は番組独自の見解に基づく。
番組の制作過程はお答えできない」と回答した。インターネット上では
「テレビ東京は鑑定の経緯を説明する必要がある」などと、批判的な意見が上がっている。

 男性は「こんな騒動になるとは思わなかった。そっとしておいてほしい」と困惑している。
(→http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/01/2017_14854944555476.html)

で、その後、この男性は奈良大に成分分析を依頼した…と。

徳島市男性の「曜変茶碗」 
化学顔料ほぼ検出されず 2017/2/28 14:10

テレビ東京の鑑定番組「開運!なんでも鑑定団」で、徳島市の男性が所有する
陶器が世界で4点目の「曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)」と
鑑定され、真贋(しんがん)論争が起こっている問題で、
この陶器を奈良大が成分分析した結果、18世紀以降に開発された
化学顔料はほぼ検出されなかったことが27日、分かった。
番組での鑑定結果に異論を唱えていた専門家は、中国の模倣品と斑紋が酷似している
ことを理由に「化学顔料が使われている」と訴えていたが、その主張を覆す結果となった。

 陶器の成分分析は、所有する徳島市の男性(57)が
2月22日に奈良大の魚島純一教授(保存科学)に依頼した。

 魚島教授は、物質に含まれる元素を検出する蛍光X線分析装置を使い、
茶碗表面の色ごとにX線を当て、元素の種類と量を調べた。
その結果、アルミニウムなど10種類の元素が検出されたが、
化学顔料に使われる元素は発色に影響を与えない程度のごくわずかな量しか出なかった。

 魚島教授は「どの色にX線を照射しても、ほぼ同じ成分が検出され、
使われた釉薬(ゆうやく)は1種類とみられる。
この結果が出たことで偽物とは断定できなくなった」と話した。

 分析を依頼した男性は「科学的な根拠が持てて納得できた」と言っている。

 一方、陶器は化学顔料が使われた模倣品だと主張していた曜変天目研究家の
陶芸家・長江惣吉さん(54)=愛知県瀬戸市=は、今回の分析結果について
「これだけでは真贋は分からない。正確な分析に欠かせない器の洗浄が行われておらず、
分析方法に疑念も残る」と話した。

 沖縄県立芸術大の森達也教授(中国陶磁考古学)は「南宋時代(12~13世紀)の
中国・福建省で作られた陶器の成分と比較するなど、総合的な検証が必要。
今回の調査で本物とは判断できない」と話した。

 番組は昨年12月20日に放送され、男性は、曽祖父が戦国武将・三好長慶の子孫から
購入したという陶器を出品。曜変天目茶碗と鑑定され、専門家から異論が出ていた。
【写真説明】奈良大の装置で成分分析される男性所有の陶器(魚島教授提供)
(→http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/02/2017_14882573150769.html)

ちゅうことで、冒頭の奈良大の発言となったのだわね。

しかし、あの検査結果だけでは、偽物か本物かが決まったわけではない。

曜変天目研究家さんは『これだけでは真贋は分からない』とし、
芸術大の教授は『今回の調査で本物とは判断できない』と話したそうですが、
奈良大的にも『この結果が出たことで偽物とは断定できなくなった』とだけしか言ってない。

「絶対に偽物!」というのではなく、
『「絶対に偽物!」とは言い切れませんよ』という現状。

さ。
お次はどうなるんでしょうか。

しかしすごいなー>奈良大。
「蛍光X線分析装置」なんて持ってんだー(って、私が在校時からあったっけ?)
ブツはブツに語らせてナンボだかんなー。

話変わるけど。
天目茶碗なんてものはわたしの興味外にあるものなのですが。

『大工をしていた男性の曽祖父が、戦国武将・三好長慶の子孫が暮らす屋敷の
 移築を請け負った際、買い受けた骨董品に交ざっていたらしい。』

うーん。
売った骨董品に混じっていたって…二束三文、十把一絡げで売っちゃったってこと?
骨董品はよくわからないから、まとめ売りしたら、とんでもないものまで入っていたってこと?
そんなんで売り渡してしまった側の人の心境はいかに?(笑)

そして、三好長慶といえば、奈良検定のおべんきょうの途中で出会いましたっけ。

”1560(永禄3)年には、三好長慶(ながよし)の家臣松永久秀が大和に入り、
筒井氏を攻めて大和を平定し、1562年には奈良市街地の北に、多聞山城を築城した。
1567年三好三人衆といわれる長慶の家臣らが筒井順慶と結んで久秀と戦い、
このとき三好三人衆が陣取った東大寺大仏殿が戦火で焼け落ちた。
1568年には織田信長が京都に入り、久秀は一旦信長に従ったが、すぐに反して、
1577(天正5)年に、本拠の信貴山城(三郷町ほか)で滅ぼされた。”
奈良県の歴史散歩 上 奈良北部 奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編 山川出版 2007

松永久秀といえば、信長に「平蜘蛛くれたら俺に歯向かったことチャラにしちゃる」
と言われて「やーなこった、お前にくれてやるくらいなら、爆発させちゃうもんね」と
それに火薬を詰めて、有言実行。
カレ自ら木っ端みじんになったとさ、というエピソードを思い出すけど…。
(マジなのか?!とは思っているけど)

そんなこんなで。
その時代の茶器というのは、現代ともまた違った価値があったんでしょうな。
件の茶器の真贋はともかく(とかゆうな)
三好長慶との決着はつけんといかんかなあ…。

いや、じぶん、その時代が苦手なもんだから。
奈良検定の勉強でも、なかなか深入りしてなかったもんだからして。

いやー、なんか奈良大学から宿題出されたような気分やわー。
(最初の話とはかけ離れた結論ですけど)
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Cool N.U!!

2016年09月19日 | 奈良大学お勉強日記
ひょんなことから、偶然→こんな映像を目にしました。

ひょえ~!
最後にドドンと出てくる「奈良大学」の文字。

えええ?!
奈良大が作ったの?!
なんだなんだなんなんだ!

慌てて公式サイトをのぞいたら、”美し記”なるものがトップページにあるではないか…。

おおう、奈良大カッコイイではないか。
Cool!!

でもって。
もひとつ発見。

最近NHKでたびたび千田センセのお顔を見ていたんだけど、
肩書が奈良大学教授のみだったので「学長って書いてあげてよ~」とか思っていたら、
この9月から学長職を離れていたんですね!

それも知らんかった…。
昨今、城関係でお忙しそうだったし、
学長業務との兼務ってのは大変そうだなとは思っていたのですが。

ふむふむ。
なんか在校時よりもサイトがかっこよくなっているし、
(しかし、通信教育部のtopは変化ないんだが(笑))

いろいろ進化してるぞ>奈良大学。



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懐かしい校旗が…

2016年07月24日 | 奈良大学お勉強日記
スイッチを入れたとたんにテレビ画面に映し出された
「N」の文字の学校旗。
うわわ、奈良大だよね?と思ったら、
奈良大学付属高等学校の校旗でした。

なんでもフジの27時間テレビでやっている「全国高校生スーパーダンク選手権」
なるものの予選を通過したそうで。
その準決勝進出の模様を偶然目にしたのでした。
おおお!

地方大会はお昼前の時刻で放送してましたが、
準決勝は夕方5時ころからだそうで。
そんなの偶然知ってしまった以上見る気満々。
しかし、大相撲と時間が千秋楽結びの一番と、まさかのバッティング!!

リビングと和室でテレビ二台つけて右と左で違う映像みて対処。
一瞬先に大相撲の結果が出て、その後全力で応援しましたが…。
残念ながら決勝進出ならず(涙)

とりあえず準決勝進出を決めた際のダンクシュートは素晴らしかった!
すごかったよー。点数も高得点だったし。
(学業でもあんなに高得点とったことがない…ないかな、ないかも)

そうそう、そして忘れてはならない高校野球の予選。
奈良大付属は奈良大会ベスト4になったそうです。パチパチパチ!!
こうなったら甲子園行ってくれちゃうとうれしいぞと。

夏休みは始まったばっかりだ!
いろんなことにはじけろ~高校生諸君。

あんど通信制大学生は勉学の夏を楽しんでくださーい♪
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