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奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

青のストラップ

2016年03月20日 | 奈良大学お勉強日記
東大寺二月堂の修二会・12日の籠松明を見に行くとき、
大仏殿の北の下り道(私にとっては上り坂)で、とある一団とすれ違いました。

「何でこんなスペシャルな日に、東大寺から帰っちゃうの~?!
もったいないじゃない?”観光バス”観光だから仕方ないの?」
とか御一行様とすれ違っていたら…。

なにやら、見慣れたものを、御一行様の首に発見。
青いネックストラップに、名札を下げて…。

嗚呼!
奈良大学の皆様@学外スクーリングでしたか!
ヲヲ、後輩たちよ(笑)←って、偉そうなセンパイである。
ウケケケケケ。

金土日の三日間でのスクーリングだから、二日目ですかね。
スクーリングの授業としては16時ほどで終わりだから、
一旦そこで解散して、あとは各自ご自由に方式だったんでしょうか。

そういえば、こんな時期にスクーリングがあったんだっけ?
と思ったら私が受けた奈良文化論はスクーリングの最終版3月第三週(?)にありましたもんね。
こんな年度末ギリギリまでスクーリングってやってたんだ~。

スクーリングには全国各地からお越しになるので、
せっかくのお水取り期間中なんだから、夜中まで楽しんで(?)いって欲しいと思いましたが、
次の日も授業(学外授業)となると、夜中のお水取りまでは見れないですかね。
(あたしなら見ちゃいますけど>日本人の悪い癖で、一度に沢山を盛り込んじゃう)

いいなー、スクーリング★
あたしも何か受けたいなあ。
まあ来週、奈良ひとまち大学の授業受けに行ってきますけどね。

春は勉強を志すにはいい時期であります。
(日本人なもんで>桜咲いたら一年生~♪ですから)


大学へ行こう!

2016年02月22日 | 奈良大学お勉強日記
にゃんにゃんにゃんってことで。
今日は猫の日です。

ってことで、にゃにかを始めたい春です(←きっつい起承「転」結)
春に始めるといえば、そう、お勉強でしょう。

てなことで本日は宣伝宣伝(?)

奈良大学を始めたい人、今が初め時ですよ~。
先日来、新聞広告に地味ぃ~に奈良大が登場しているのですが、
奈良大は申込期間が短いことで有名(?)

4月入学生の申し込み期限は3月4日(金)必着です。
1年次入学ではなく編入を考えている方は、卒業証明書などが必要ですので、
そろそろ用意しないとこの春の入学は間に合わないことになりますのでご注意下さい。
詳細は→こちらから。

また一方、わたしのもうひとつの母校、法政大学は奈良大とは逆に、
申込期間が長いことで有名(?)です。

今年の前期入学申込期間は2月1日~5月26日までなんだとか(笑)
これまたまた長いわね。
5月って春スクも、GWスクも終わってるじゃん。

でも、一旦諦めた後でも、やっぱり入りたい!と思えば、
一年のうちの大多数の期間が申し込み期間だから、
「思い立ったら」ができるのも強み。

「文化財」にこだわらないのであれば、
法政の文史って選択もありかなって方は→こちらを参考に。

あ~またどこかで何かの勉強したくなってきたなあ。
(除くCAD)

春になるとどうも勉強の虫がモゾモゾしはじめます。

二年ぶりの学芸員同窓会

2015年07月27日 | 奈良大学お勉強日記
奈良大の学芸員の同窓会に行ってきました。
日中(午後から)は学芸員実習のお手伝いをして、夜は飲むというパターン。
お手伝いといっても猫の手レベルの手の出し方しかしてませんので、
大したこともしてないんですけど>ワタシの場合。
草取りをして、掃除して、ゴミ捨てしたくらいです。

この同窓会。
実は存続の危機(?)に瀕しているという時期でございました。(←大袈裟や)

それというのもこの同窓会。
ちゃんとした同窓会組織として成り立っているものではなく、
「勝手に」同窓会という名称でやっているだけの「勝手連」です。

2007年の博物館実習に参加した人たちが、
「あの暑い中、勉強したり、実習したりして、なんとか無事に終わったねの思い出話を語る会」
をしようと、次の年から有志が参加して始めた会です。
ゆえに「会長」がいるわけでも、「会則」があるわけでも、「会費」が発生するわけでもない、
勝手に「同窓会」を名乗って活動(というか、実施)しているだけの「会」です。

とりあえず音頭とっていただいているIさんが「実習の最終日に乱入させてください」(をい)
というのを申し込んで、実習先にお願いしているだけなので、学校はノータッチ。

各年の実習の最終日に「OBで~す」といって掃除に参加して、
その後行われる最終日総括の水野正好先生のお話を拝聴するというお駄賃をこそっとタダ聞きする。
そして、夕刻からは一杯飲んで盛り上がるという三点セット。
だったのですが。

先刻ご承知のとおり、水野先生急逝につき、今年は実習をしめくくる水野センセのお話は無く。
思えば去年は台風のため、予定していた日程での実習も出来なかったようで、
(民家博物館の見学すらできなかったようです)
水野先生の講演を聞けた同窓会はその前の年の2013年実施が最後だったという…。
返す返すも残念でした。

なので今年はどうなるのかなと思いましたが、
それに代わる、別の先生のお話も無かったとのことで、なんだかしまりのない終了でありました。
(実習生は掃除の後、休憩を挟んで、”反省会”をして終了だったようです)

例年は水野先生の講演を聞いている時間がぽっかり空いてしまったので、
その時間を使って「今後のこと」が話し合われました。

・こういう会はなんらかの形で続けて欲しい
・しかし暑い時期の開催は勘弁して欲しい
・水野先生の御話が聞けなくなったのは残念
・こういう形で同窓会を続けていくかどうか

などなどが話題となりました。

元々は「思い出話を語る会」として始まった会ですが、
次第に実習生にも声をかけて、夜の懇親会への参加も呼びかけるように。
しかし「最終日に懇親会があるといわれても…時間の都合で参加できない」
「実習生がとつぜんそんな会に参加しても…」などなどの声もあり、
当日参加を呼びかけるのではなく、実習初日、もしくは開始前にやったらいいのでは?
という声も出ました。

確かに地方からやってくる方は、往復ですでに指定券を取っていることでしょうし、
暑くて疲れているからさっさと帰りたいって方もいらっしゃるでしょう。
急に最終日に「これから飲み会有りますけど…」って言われても、
近郊の方じゃないとなかなか参加できないよなってのもあります。

ゆえに、「懇親会がありますよ」ってのは事前にアナウンスしておいた方がよいということに。

だけど日付に関しては。
「何故この日だったのか」というのを思い出せば、この日しか無いわけでして。
実習の最終日だから、この日に集まって、ちょこっと手伝ったあと、
水野センセの話を聞き、一杯飲むという集まりだった筈なので。

日付は毎年一定ではないけれど、
博物館実習の最終日、というのは毎年同じ。
7月末か、8月上旬の日曜日というのは「決定している」ので、
日程調整するにも「そこらへんということは毎年決まっている」。

他の日となると、すべての人のOKな日程というのは現実的にはムリなので、
となれば、あえてこの日に設定するというのもアリかなと。

水野センセの話はなくなってしまったけど、
やるのであれば、「この日」というのは一番いいのではないかと。

あと、「会の方向性」なんていう私の頭の中にはなかったハナシがありましたが。
「実習の手伝い+懇親会」ではなく、他のテーマでの勉強会とか、
どこかへ行って勉強するとか…そういうことは個人的にはあんまり興味ない(キッパリ)
何かの催しに個人的に(もしくは誘われて)参加ってのは、
別の団体とか、会とか、そういうのでやってもらえればいいと思うし。
お世話役をやっていただいているIさんには申し訳ないけど、
「そんなコーショーな会じゃない」と思っているので(へへへ)

「虫さされたねー」
「暑かったねー」
「疲れたねー」
っていいながらビールを飲む会だと思ってますし。
それでいいと思っているので。
(まあ、時折おりに話題は変わり、有意義なハナシも沢山聞ける会ですが)

ゆえに「勉強会」とか「探求会」とか「研究会」とかがメインの会になっちゃったら
はっきり言って参加しないと思います。
そういう会を運営するのだって大変ですし(継続は力ですけど、その力がないとできひん)
そこまでしっかりした組織でもないですし、そもそも組織すら存在してないし。
(いえ、お世話役のIさんと、飲み会の会計をしてくださるKさんはいますけどね)

ってことで。
こういう会はまだ続けたいというのが結論。
そして、日程としては、やはりこの日程がベスト。(実習の最終日)
年に一度だけ、この日だけ、集って飲みましょうって会。
これがよいのではないかということになりました。
水野センセの御話がなくなってしまったのは非常に寂しいことですけどね。

同窓会側がそれを残念だと思うのは別にして、
実習生側の立場としては「誰かのお話を聞く」ということは楽しい&ためになることなので、
今年のように「何も無し」→「終了」になるのは寂しいでしょうってことで。
来年以降は誰かにお話を依頼して欲しいという希望は出しておきましたが。
(誰かのお話を聞くという”お駄賃”をワタシが欲しているだけという節も否定しませんが)

ちゅうことで、来年以降も「同窓会」は実施の予定です。
日付は確定しておりませんが、7月下旬または8月上旬に実施される博物館実習にあわせて、
その最終日に行われる予定です。

そういう会に参加してみたいなって思われる奈良大博物館実習を受けたことがある方は、
どんな方でも参加可能です。
卒業生・在校生の区別なく、卒業or中退の区別なく、実習年度も問いません。
とりあえず「奈良大学の通信教育部で行われている博物館実習を修了した方」ならば
参加資格があります。
そういうの参加してみたいなって思われる方は、どうぞお越し下さい。
来年時期が近づいたら、またここでアナウンスさせていただきます。

そして毎年お世話になっております>Iさん&Kさん。
来年もよろしくお願いします。

奈良から新年度開始

2015年04月11日 | 奈良大学お勉強日記
朝四時に起きて(!)始発に乗り、イザ奈良へ!
日帰り旅行のはじまりです。

4月1日といえば、新年度最初の日ですから。
入社式に出るらしい新入社員や、
入学式に行く新入生やらもワラワラと見ましたわ。
そんな中で、人生のイベントに乏しいワタクシとしては、
「年の初めは奈良でしょう」(謎)で対抗(何故に張り合う)

ってことで、スーツに着られた新入社員と思しき青年の脇で
ウキウキワクワクしているあたくし。
奈良いくねんで~♪
うきゃきゃ。

それはさておき。
4月1日より春日大社本殿が特別公開ってことで、のこのこ出かけてきたんですのよ。
第六十次式年造替行事で、3月27日に仮殿遷座祭が行われたので、
神様御一行様は移殿に遷座されて、御本殿は現在「空き家」状態。
神様がおられないので、そこを狙って(をい)公開してくださるとのことなので、
こりゃいっとかなきゃいかんでしょう。

しかも、御神宝特別拝観が3月29日~4月5日まで行われていて、
その上!4月1日~5日までは、国宝御本殿も併せて拝観いただけます、だそうで。

え?御神宝特別拝観が特別拝観料1000円!
加えて、御本殿特別拝観で、拝観料プラス1000円じゃないの?!
千円ポッキリ(ってゆうな!)で、どちらも見れるの?!

…いつ行くの?
(せーのっ!)
今でしょっ!!

ちゅうことで、狙ったのでございます>4月1日。

残念ながら小雨の降る中の移動だったのですが、
それこそ勝手しったる他人の庭みたいな場所ですから、別段問題なく。
それでも雨の中歩くのがしんどかったのと、
時短のためにバスなど乗って、お手軽に春日大社本殿前BSまでサクッと移動。
初めて近鉄奈良駅前からバスなんて乗って春日大社行ったかもしれない。
(いつもはドコへでも歩きだしね)

楽にお膝元まで到着しましたので気分的にはとっても楽。


こんな門が出来てました

二週間ほどで再訪問となった春日大社。
こんなに頻繁に来るのは初めて。
前回も特別参拝しましたが、今回ももちろん特別参拝です。

前回は「遥拝所&後殿開扉」だけの見学でしたが、
今回はもりだくさんなのだ~。

今回は砂ずりの藤の奥のスペースに警備の人が立ち、
「特別参拝の受付はこちらです~」とスタンバイ。

そこで初穂料をおさめて、ガイドブックと記念品を受け取り、
イザ進むと右手にあるたてものが移殿(うつしどの)。

ここは元々、神様に奉仕をする内侍(神様に奉仕する女性)が控えていた建物。
それが式年造替の時には、神様のお引越し場所となるので、
移殿(うつしどの)と呼ばれていんだとか。

ここは特別参拝しなくても、西の回廊の清浄門(せいじょうもん)から見えます。
現在は神職の通用門となっている門ですが、
かつては僧正門と呼ばれ、興福寺の僧侶が参入していた門だとのこと。


移殿です

移殿の中からは神事の声が聞こえていていました。
ここは特別参拝が出来るというのだけど、
この建物の中に入れるんだっけ?(調査不足です)
神様がおられない時に、中に入った方が写した写真があるけど。

まあ、入れたとしても現在は神様がおられるので、
内部の写真撮影はダメだろうなあ。

左の写真は移殿の内部で2000年6月に撮影したものであるが、2002年9月には内部は撮影禁止になっていた。
なる記述も見かけたし…。

まあ、入れるとしても、今回は神事を行っているので今は入ることはできませんし。
次回の訪問時に入れたらいいな、ということにしよう。
外からパンパンだけしておきました。

そして後殿へ向かう階段を登ると…。
おおお、前回訪問した時はここの門が開いているだけでしたが、

<前回の訪問時>
扉は開いているものの、棒が渡してあって入れません


<今回>しかし、今日はは入れる!

門をくぐって中に入ると、そこは本殿の後ろの空間。
そして、霊験新たかな神様たちのお社が並ぶ空間でもありました。

一応、空間の真ん中に仕切りの棒が渡してあって(写真中にも写っていますが)
ぐるっと列が出来ていたので、すり足で進みながら各お社を見て(拝んで)まわっていると…。
笑えるご利益が…。(っていったら失礼か)

今まで実際に目にしたことがなかったお社がありまして、
中でも笑った(失礼!)のが、杉本神社。

杉本神社(御祭神:大山咋神)のご説明書きでは、
『もともと山岳信仰の神さまだったものが転じて、
 高層マンションで生活する人(!)や、
 高層ビルで働く人(!!)など、
 高層階で生活する人の安全を守る神様として信仰されている』んだとか。

世は歌につれ…だけど、神様も世の中の変化に合わせて
守備範囲を広げていらっしゃるわけね。

あと、電話とか、電気の神様ってのもいらしたのよ(笑)

八雷神社(御祭神:八雷大神)
雷の神様ってことで電力(!)や電話などの関係者の信仰が篤いとか(ははは)

栗柄神社(御祭神:火酢芹命)
出入り口を守る神様で、除災の神様として信仰を集める。

海本神社(御祭神:大物主神)
水の神様で五穀豊穣や食の安全を守る神様(守備範囲広いなあ~>大物主)

佐軍神社(御祭神:布津之霊大神)
石上神宮の御祭神と同じ神様。悪縁と「ぶつっ」と切ってくれるんだとか。

などなどの神様のお社を回って、イザ、御本殿の裏へ。
ここは残念ながら写真撮影は出来ませんので写真はなしです。

まずはお賽銭入れがある辺りでパンパン(笑)
その後、四殿をじっくりと観察。

本殿の裏から眺めると、四殿の高さが微妙に違いました。
山の近いほうから、次第に低くなっている気がする。
その高さの違いは、第一殿→第二殿→第三殿→第四殿の格の違いなのか?

あと、よく見てみると、後年つけたと思われる雨どい(ものすごい太い)が
一殿とニ殿の間、ニ殿と三殿の間、そして三殿と四殿の間にあって、
この高さが四殿に向かってどんどん低くなっている…。

以前から行われていた、正面からの特別拝観では、
中門の内側は拝見することは叶わなかったけど、
こうして裏から見てみるとものすごくよく判ります。

一殿の後ろには榊、二殿と三殿の後ろにはモッカク(だっけ?)、
四殿の後ろにはヒメサザンカの木が植えられているとのこと。

そしてそれらとこちら側を隔てる菱垣が囲み、
後殿の敷地内には、殿ひとつに対してひとつの大型灯篭があがっているのでした。

しかし、それらの燈籠の間に巻き簾(?)が巻かれた立てに細長い棒状の建築物があって、
「これなんですか?」と警備の人に聞いている人がいた。
はてと思って見上げたら、「(火事があった場合の)スプリンクラーです」とのこと。

あらら~目の付け所が違う人がいてよかった(笑)
そんなものがこっそり(?)立っているとは思わなかったもんで。
(茶色い棒状のものです。忘れずに見てみて下さい)

国宝といえども、というか、国宝だからこそ、
現代はこういうものが必要なのか。
どうか、これが放水することがありませんように…。

そして、初公開の「磐座」を見なくちゃいけないんだった。
(前の親子連れさんが子供に説明していて、思い出したさ)

これは第一殿と第二殿の間にある白い石、神秘の磐座のこと。
しかし春日大社に伝わる文章や絵巻物にも記載がない謎の石。
第一殿と第二殿の間の足元にあり、その石の先には回廊外の浮雲峰遥拝所、
そして山中の磐座へと続くラインの上にあるものらしく、
どんないわれがあるかは判らんものの、本殿が何故そこに建つのかという
創建に深く関わりがあると考えられている石。

なにやら、水晶の原石が、トゲトゲ尖ったままの塊のような姿で、
磐=岩って感じではないのだけど。
写真が撮れないのがちょっとイタイ。

写真はないけど、絵はありました。
確かに→こんな感じのものでした。

後殿の空間内は行列しなくても見られるはずのものなんだけど、
まず「パンパン」する際には一列になって参拝の順番を待つような形になっちゃっててました。
(初詣なんかでも、「いちばん前で拝む」ってのをやりたがる人が多いから?)

団体客相手のバスガイドさんは「もう少し早く進めませんか~?」ってキレてた(笑)
私は時間制限がないので、一度サクッと見た後で、
再度”列”に並びなおして、二度見してきました。

後殿を堪能した後は、そこを出て、北御廊に入れてもらい、
いよいよ、御本殿正面からご対面の場へ。


ちょっとだけ見えるスプリンクラー(縦長の建築物がソレ)

北御廊から、西御廊へ折れて、ここでも行列。
(当然、後ろのガイドさんはイライラ~(汗))

それでもちゃんとガイド活動をしてくれていたので、
もれ聞こえてくる内容をタダ聞きしていたら(笑)
「本殿に入る直前にホント短い橋(というか欄干だけって感じ)がかかっており、
これを一位の橋と申しまして、この橋は正一位の方や皇族の方しか渡れません」

おおお、そういえば早朝の神職と参る春日大社の行事で、
「位によって渡れる橋が決まっていた」って話聞いたっけ。
「その時は、若宮おん祭の競馬はここから出走するんですよー」ってことを
馬出橋で聞いたなあ。(ここは八位の橋というらしい。八位の人でも渡れた橋なのね)

その時は「一位の橋なんてどうやったって渡れないじゃん!>本殿の前だし」って思ったものの、
今こうして、その橋を渡ろうとしているなんて…ジーンときてしまいました。

御正殿への入り口の向かい側に建つ建物(右側が東御廊で、左側が西御廊)は、
昔は興福寺の僧侶が御経をあげた場所だったとのこと。
ここは障子張りの戸で囲われていて、直接神様にお経をお聞かせしないようになっていたとか。
(何故?)

僧侶といえど、神様のまんまえには出られなかったのね。
そして僧侶でも、一位ではない者は、神前に進み出ることはできませんから。
それなのに、とある坊さんがちゃっかり神前で読経していたら、
神様に無礼をたしなめられたってエピソードもあるんだとか。

そして、見ましたよ~。
この目で、御正殿を。
四つ並んだ御正殿を。
おおおお。

すごーい。
一つ一つのお社は小さいのだけど、コンパクトにまとまった春日造りの本家本元を
こんなにちまちまと、四つ並べて、ひとまとめにしてしまうなんて。
なんて可愛いのだ~!!(をい)
春日移しがひとつうちにも欲しい!
(現在はムリです、てか一般家庭にはムリですから>お下がりをもらうなんて)

そしてここは社殿と社殿の間にある御間塀には絵が描かれており、
それが唐獅子と牡丹だったり、馬だったりするのです。
馬の絵といえば「絵馬」。
そのルーツとも言われているんだとか。

そして、唐獅子と牡丹。
唐獅子牡丹ってそんな時代からあったもの?
(このお社と絵のデザインは平安時代あたりから変わってないようだけど)

ここもざくっと歩きながらの見学だったので、
もう一回チャンスがあれば、見てきたい(一度といわず、二度三度)
そして、名残惜しいけど中門から退出。

そこからは林檎の庭を見たり、
後は、先日訪問した時にも入った浮雲峰遥拝所へ行ったり。
ここは二度目だからね、余裕です(謎)

遥拝所から山上を思ってパンパンし、
回廊をくるっとまわって、特別参拝終了です。


南門の外の桜。雨でしなって、重そうです

…ということで、今回の参拝はすごいおトク感がありました。

は~なんだか、ドキドキ感が止まらない。
慶賀門から退出したら…そうだ、榎本神社を見ておこう。

前回、御田植神事をここで見たときに、素通りしてしまったから。
ってんで、すぐ左手にまがればそこが榎本神社。

小さいお社なんだけど、回廊の内側にあるため色は綺麗に残っていて…。
社の土台に目をやれば…。
なんとそこには、さっき見た唐獅子牡丹とそっくりな絵が描かれてました。
おおお、さっきは写真撮影禁止だったけど、ここは撮れるよ~。


榎本神社


南西隅にあります


ここの唐獅子牡丹が本殿の絵と劇似!(写真ピンボケだ)


お社はこんな感じ

ってことで、ここも今回は必見の場所かと。

あとは、御神宝の公開だ~ってことで、
看板に従ってあるくと…。
内侍門から階段を下りた建物が、その公開場所だとのこと。

え?
あそこって、桂昌殿の場所じゃないの?
えええ?あそこで公開するの??
ええー、あの建物って入れるの???

すでに大興奮です。
桂昌殿はその名の通り、五代将軍・綱吉の母、桂昌院が奉納した建物。
天下国家安泰の御祈祷所として使用されており、
かつては神職のお籠りにも用いられていたとのこと。

これを今回の式年造替の時に公開するとかどこかで見た記憶があるんですが…。
まさか、今回ここで入れるとは思ってなかった。


桂昌殿ですよ~


門構え

中では「鹿島立御神影図」と「鹿島立鉾」が公開されておりました。
「鹿島立御神影図」は、御祭神である武甕槌命が鹿に乗って大和に降った際の姿が描かれております。
右隅にはお供が二人。
鹿島大社の神官の中臣時風(なかとみのときふう・左)と中臣秀行(なかとみのひでつら・右)です。
お二人は、春日大社の宮司となったとか。

お飾りされる際に、「あまりに畏れ多いので」
紙垂で顔の部分を隠してお飾りされるとのことなんだけど、(→こんなふうにね)
お顔をこんなに拡大して掲示してある展覧会もあったんだとか(ははは)

なんだ~美術館でも見られたものなのかって思ったけど、
太刀は初公開なんだってことでヨシです。

これらの御神宝は31日までは直会殿で公開していたというけど、
ぜーーーーったいに桂昌殿での公開の方がよかった(笑)
こっちの建物に入れるだけでも、ポイント高しだもん。

桂昌殿の裏手には集会室みたいな建物が建て増しされており、
そこではお土産物を売っていたので、
「鹿島立御神影図」の絵葉書を買ってきました。
(これは、顔の部分は紙垂で隠れてなくてもいいのか?(笑))

はー。
桂昌殿も、御神宝も堪能してきました。

そこを出たら、近くに見慣れない石碑が建っておりまして…。
はて?こんなのいつ建ちました?

みやれば「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」の歌碑でした。


安倍仲麿の歌碑

前のたて看板にはまたまた馴染みのお名前が…(笑)


上野センセの説によればとあります(^^)
ふふふふふ♪

桂昌殿からまた回廊沿いに戻ろうかと思ったら、
警備の人が人払いをしながら神職さんを先導してくるのでみやれば、
花山院弘匡宮司が内侍門から参拝するところでした。
それに合わせて、あたくしもパンパン。

終わって退出されていく先を見送ると、
社務所へお帰りのようでした。
時刻はすでに12時を過ぎていましたから、お昼休みですかね☆


神職さんとみかんこさんもおさがり


おかもち…ってことはお昼ごはんですかね(笑)

今回はこれにて失礼いたします。


仏教美術資料研究センターの桜が綺麗


奈良ホテル遠景


奈良町の家の軒先にはおたいまつ燃えさしが

午前中は春日大社を満喫いたしました♪
(つづく)

奈良を感じる

2015年04月06日 | 奈良大学お勉強日記
ひょんなことから(謎)テレビチャンネルをザッピングしていたら、
なにやら見慣れたお顔が画面に…。

上野誠センセでした。
小さき神々のハナシ…って内容らしいのですが、
「日本の神様は実に人間くさい」とか
「嫉妬もすれば罪も犯す」っていう日本の神様たちのハナシ。

また新しい講座でも始まったのかと思ったら、
NHK「視点・論点」ってものだったらしい。
しかも、たった10分の番組。

放送は、
4月6日(月)←今日だ!
[総合]午前4時20分~(寝てた!)
[Eテレ]午後1時50分~  ←見たのこれだ!

だったそうで。
偶然ですが、拝見できました。

おおう、テンション上がったよ~(笑)
おべんきょうしよー。

奈良大付属頑張った!

2015年03月23日 | 奈良大学お勉強日記
わが母校、奈良大の付属高等学校が春の選抜野球大会に出場しました。
奈良大学卒業生&もと奈良県民としては応援しなくちゃでしょう!

まあ、結果は……惜しくも初戦突破ならずではありましたが、
頑張って投げて、打って、取ってくれました。

卒業生としてはその校章が全国に映ったってのが、
とっても嬉しかったですよ。
アリガトウ!

校歌は大学のものに似てたけど、
「秋篠」って言葉が入っていたのが超魅力的♪
そうかー、秋篠かあ(ウフフ)

奈良大をゼーゼーしながら卒業して、はや6年(?)
月日の流れるのは早いもんだ。

若人たちよ、ありがとう。

水野先生ありがとうございました

2015年01月28日 | 奈良大学お勉強日記
わたしの愛してやまない、水野正好先生が27日、心不全で亡くなられたと知り、
かなり混乱しています。

昨日、水野先生と歩いた場所を、ブログ内で読み返していたばかりだったので、
また暖かくなったら、ご一緒したいなあと思っていたのに。
もう叶わないなんて信じられません。

水野先生、今まで奈良大入学以来十年間、本当にありがとうございました。
今はただそうお伝えするのが精一杯です。


おひさしぶりね

2014年11月01日 | 奈良大学お勉強日記
「奈良大学」と書いたデカイ封筒がひさびさにやってきました。
なんだ?なんだ?何ごと?

在校生だった頃はたびたびこの封筒が我が家に届いて、
阿鼻叫喚(謎)だった日々もあるのですが。
卒業してからはとんとご無沙汰。

中を見たら、奈良大学報(NUNAVI≒ぬなび)が二冊入っておりました。
そういえば、卒業しても一年間はぬなびを送ってくれるといっていましたが、
卒業してはや幾年。
そんなものが送られてこなくなって久しいのだけど。

「明年、学校法人奈良大学は創立90周年を迎えます!」
と表紙にあった。

あー、そういうことね。
ピーン!

そして、その封筒に中に、小さな封筒を発見し、
何故これが送られてきたのかを理解しました。

「奈良大学報」等の送付について、
なる文章には以下のようなことが書いてあった。

『卒業生さま
 おひさしぶりです。
 来年奈良大は90周年を迎えるんですよ。
 その計画を載せたぬなびを送るので是非見てみてね。
 これまで送ってなかったぬなびもHPから見れるから見てね。
 そして、なんか気がついたら教えてちょ。
 次号のぬなびも送るから、次号以降もよろしくね。
 だからこれからもご支援お待ちしてるわ。

 そうそう、末筆になっちゃったけど、
 「創立90周年記念事業募金趣意書」とかいう難しい名前の書類も
 一緒に入っているんだけど。早い話が「お金ちょうだい♪」
 ってことだからね。何かわからないことがあったら連絡ちょうだい。
 すぐ説明させていただくから。』(以上、スーパー意訳)

………。
そうですかそうですか(笑)

送り状のタイトルが

「奈良大学報」の送付について

だったけど、実は「等」の方が重要で、ぬなびはおまけだったわけね(ははは)

趣意書には、これからやりたいことが列挙してあって、
そのためにはお金が必要だから、よろしくねってことらしい。

そっかそっか。
卒業して疎遠になっていた同窓生から突然電話があったら、
「鍋買わない?」「保険に入らない?」「投資しない?」
みたいな話と一緒か(笑)

そうか。
通信教育部生って、同じOB・OGとはいえ、
うんと年がいっている人の割合が高いし、
金持っている人多いもんね~。

学部生&院生のOG・OBよりも財布の紐はゆるいかもしれないし、
財布そのものも立派(中身もイッパイ)だろうし。
こりゃ、通信教育部生の卒業生をアテにしない手はないだろう。
ま、アタクシは無い袖は触れない(振れない)のですが…★

余談ながら。
そういえば、春日大社からの冊子「春日」も最近届かないなあ…。
最後に檜皮の寄進をしたのはいつだろう。
あの、冊子楽しみにしているんだけどなあ。
また寄進にいってこなくちゃいけないのか。
(それは本末転倒なんだが)

100億くらい資産があったら、喜んでポンポン寄付・寄贈・寄進するんだが。
いつの日にか、あちこちに喜捨して歩く、そんなひとに、わたしはナリタイもんです(願)

飛鳥のピラミッド

2014年08月18日 | 奈良大学お勉強日記
ここ数日、話題になってきた「都塚古墳」

何でも方墳のみならず、それが階段状に石葺きになっていて、
まるでその姿はピラミッド状だったのでは?!ってやつ。

なんか聞いたことある~って(そういうレベルじゃいかんやろ>奈良まほろばソムリエのクセに)
…って、ほら、アタクシ”コフンスキー”じゃないしさ(開き直るな)

しかし、確かあれじゃなかったっけ
>金鳥塚(きんちょうづか)と呼ばれていたってやつ。

毎年元旦にこの塚で金鶏が鳴くという言い伝えがあるため
金鳥塚と呼ばれていたらしい、っての。

おお、思い出した思い出した。
そういえば、奈良検定の勉強でやったっけ。

お盆休みの週末、ここが現地説明会で混雑してたというニュースを見ました。

こちらは、曇り時々豪雨って天候でしたが、
奈良の方はかろうじて晴れていたようですね。
現地説明会ってのも久しく行ってないなあ~。

しかも、今まで行ったことの無い場所ゆえに、
こんなチャンスがあったのなら参加したかったのになあ。
ぶちぶち。

それはともかく。

都塚古墳は明日香村内で唯一家形石棺が見学できる古墳だとのこと。
それでも普段は玄室手前に柵があって、中へは入れません。
それが、この説明会では開いていたようで。
ううう~見たかったなあ、家型石棺。
コフンスキーではないものの、現物を見るのは嫌いではない、
てか、むしろ、本物を見るのはやはり興奮するし。

この古墳が発見されたときは、
中は調査されたものの、外見については調査が及ばず、
「うーん、方墳?」ってレベルのことしか知られてなかったらしい。
それがここしばらくの調査で「うん?階段状の石が積まれている?」
「すわ、東洋のピラミッドか?」ってことになったようで。

エライ先生たちが「○○の墓ではないか?」「いや△△の墓であろう」と
具体名を挙げて諸説乱れ飛んでいる状況は楽しからずや。

飛鳥には「推理する」とか「推察する」とかって余地が残されていて、
楽しい場所ですわね。
真夏の飛鳥に行かれたかた、お疲れ様でした。





連続記録停止残念

2014年08月10日 | 奈良大学お勉強日記
例年この時期に行われている、奈良大学の博物館学芸員実習。

そこにもぐりこんで、猫の手を貸したフリして、
水野先生の講義を聞いて、後は冷えたビールの飲み放題をやる会に参加する、
ってのが年に一度の楽しみだったのですが。

今年は予期せぬ台風のために、博物館実習も、もちろん同窓会も、
中止になってしまいました。

年に一度のことなので、「織姫と彦星」並に楽しみにしているのに、
まさか、台風で中止になるとは思わなかったなあ…。

毎年暑さとの戦いで、日焼け止めとか、虫除けスプレーとか、
そういう心配はしていっても、
台風で中止なんて、思ってもみなかった。

まあ、中止になってしまったものはしゃーないので。
また来年集いましょうぞ>皆様。