父 綴ります。
連日の母校見学となりました。
正門を入って、本館・各種の試験棟・資料館などを見ながら直進して、試験場の茶畑に。
かつてとほとんど変わってないような、茶園風景が広がっていました。
でも、我らが寄宿してた建物は元の位置には存在していなくて、別の場所に’3階建て宿舎’として。
土曜日だったので、外から見るだけで失礼しようって感じだったけど。
『お~い!。誰かいないのかぁ!』って、玄関ドアを開けて大きな声で言う奴が、、。
『は~い。』って、中から2人の現役研修生が、、。
『俺たちは、48年前の卒業生で、”同窓会研修”でやってきたんだ。』
『今、ここに何人いるんだ?。どこの県から来てるんだ?。』
遠慮容赦なく質問をするオジサン達に、臆する事無く話に乗ってくれました。
今は、女子も寮生活をしているとか。(おおっ、隔世の観。)
『宮崎でお茶作りすんだったら、このオジサンの名前をちゃんと覚えとくように言っといてくれ。
帰郷してから、挨拶するときっと良いことあるから。』その日不在だった研修生に伝言を、、。
そして私、「ええぇ!。君は岡山県の”梶岡君ってか!。親父さんとは九州研修で一緒になったり、
うちの工場にも、岡山県の皆と一緒に見学に来てくれたりしてもらってた。よろしくお願い言っといてな。」
皆で記念撮影。
その後、誰がうまい具合にコンタクトを取ってくれたのか。
運良く、当直の講師先生に、”試験場の製茶工場内”を見せてもらうことになりました。
建物は、昔のまま。
製茶機械は、それなりに更新されてましたが。
”品種選びのため”の、「少量生産のお茶加工機械」”は、昔のまま?って感じ。
綺麗に掃除管理された工場の機械を見学しながら、ひといきの時間タイムスリップ。
『生まれて初めての機械操作は、何が何だか解からないままで難しかった。』
『業務課の〇〇さんや助手講師の〇〇さんに、ああだこうだって教えてもらったけ。』
「”天皇”(昭和天皇似の’山元くん’の愛称)は、川根出身だけあって、”製揉機の操作”が旨かったなぁ」
『そうだっけかなぁ』って、上の写真の右端に写ってる彼は、照れ気味に答えました。
『そういえば、渡辺と野津は1年でマスターしたみたいで、2年目は居なかったなあ』
言われた方の渡辺君と私は。
「寮生活の酒付き合いで合格を貰えなかったからか?。進級試験に合格できなかったらからか?。
家からの仕送りが期待できなくなったからか?。定かでないよ。」
「でも、せっかく皆んなが言ってくれるんだから、”優秀だったので1年で全てを学んだ”からってことに。」
他愛のない会話に、心温まってると。
『この近くに”寮の食事を作ってくれてた青野ルミ子さんの家があるはずだから会いに行ってみよう。』ってことに。
試験場を出てすぐの所にあるという”青野ルミ子さん90歳?”の家の周りを10数人でウロウロ。
近所の人に尋ねたりしたけど、結局は会うことが出来ませんでした。
もう一人の”寮の食事作りの主任だった”柳川ことばあちゃん”は、とっくに他界されてるだろうし、、。
(しかし、皆が、瞬時に脳内の記憶の引出しから、正確に引っ張り出してくる能力には、老人力の発揮か!)
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