松江のお茶・製造直売『錦峰園製茶場』 野津家のブログ

松江のお茶&お米農家。

20代で農業を継ぎ、
3人の子供を育てながら
両親と共に農業に励んでいます。

地上6mの樹上で、神との交信 ①

2015年03月29日 21時28分30秒 | 

父、綴ります。

この前の投稿から2週間程の間が出来てしまいました。

原因は、今年の3月の年度末が、人生始まって以来の”本当に多忙!”でしたから。

 

今年も、昨年一昨年に続いての”田んぼの中からの石拾い”作業。

(今年も、肥料袋に30袋以上の中・小の礫を拾って、、、) 

かれこれ20年以上取り組んでなかった”田んぼ脇の45cm幅の排水路の泥上げ作業”。

(たまたま、私の所有するミニバックホーでの作業が可能なことを発見、、。)

(ヘドロ状態の土が堆積して、ヨシやマコモの太い地下茎が繁茂してて、人力作業は不可能!状態)

(幅90cmの畦を慎重に歩ませながら、結局200m超の長さを、延べ2日半掛かって。)

 

農業関係の役員会や総代会にも出席して。

役所への、提出書類の作成作業に頭を煩わせて。

彼岸明けからは、茶の樹の幼木園の”草取り・もみ殻マルチ”に、皆んなで精出して。

 

なのに、町内会役員としての肩書き上、”老朽化した野菜出荷所”の解体作業をしなければならないことに。

(ちなみに、出荷組合の代表名義が亡き親父だったことなどの因縁もあって、、)

(出てきた預金通帳の残高と、記録ノートに現金の残が記されてて、合計金額が約29,000円。)

15日(日)の定例町内会総会で、解体撤去と、若干の費用補助。

撤去跡に、リサイクルゴミの集積小屋を、新設することを決議してもらって。

 

今年の天気は、例年よりも春が遅い状況で、気温が上がりかねてる中。

昨年12月からの”変な咳ばらい”が治らないまま約4ヶ月、、、。

『もう俺は、長くないです。肺炎で肺が真っ白なので、もうちょっとで死んでしまいます!。』って、

臆面も無く、話すような体調なのが、自分で感じてるのに、、。

 

”人が良いよくって、馬鹿なオジさん”は、又しても体を酷使して、

目の前の課題に取り組む気持ちを、奮い立たせたのでした。

(親しい友人や、妻の協力をアテにして、、。)

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”運勢欄”に、背中押されて春作業

2015年03月16日 21時52分58秒 | 

父 綴ります。

毎年定例、3月第3日曜日の午前9時からの「町内会の総会」があります。

今年は、全然想定だにしなかった”3っつの報告書提出と、発表”をすることになっちゃいました。

なので、先週の(木)(金)(土)は、仕事の合い間や仕事を終わってから、、。

 

既に、2っつの件については先月末に、”総会資料”に綴られる資料報告書の提出を済ませていました。

(一つは、一緒に係りを受けてた委員長が12月に急逝されたために、代理で報告。

 もう一つは、これも12月に立上げられた「県道拡幅工事」のための、代表委員長として報告。)

各〃の1年間の活動と会計状況。 そして総括文。

その言葉表現に、頭を結わえながら幾日も頑張りました。

 

3っつ目の、ず~と置きまんまにしてた難題の「老朽化した”野菜集荷所”」の件については、

町内の皆さんに、協議をしていただく文章を作って用意をしなかればならないことに、、。

(残されてた綴りを参照しながら、昭和53年発足以来の変遷と。

 撤去解体?か、修繕活用!かの選択を問いかけ。

 世話人をしていた亡き親父の名代として、預かり金28,000円程の使いきり方策の問いかけ。)

いや~、難しかったのです。何度も文章を変え、文の並びを変えたことか。

やっとこさ納得出来る文章をプリントアウトして、町内会長宅に提出できたのは、前日の昼前でした。

 

前の晩には、いつになく緊張してたのか、時折目覚めて、、、。

当日朝も、既に提出してた報告書の裏付け資料整理に目を通すために小1時間。

本番出は、ナカバヤシ開き直った気持ちで発表できました。 

 

でも、夕方の6時からは、「JA興農班」の集落班長として、年度末総会に!。

活動報告書と会計状況報告書。

ここ10年間の、JAからの手当の減額の変遷と、各年の総会費用を記した一覧表を準備。

勿論、総会後の懇親会の酒・ビール・肴の用意も、、。

2時間ちょっとの、10名ほどの参加でしたが、皆んなが楽しくて和気あいあい。

何だか本当に、日頃のストレスが解消できたようでした。

 

今日月曜日は、天気は晴れ。 気温予想は17度C。 風は穏やか。

中央新報の「今日の運勢」の1月生まれの欄には、

   『嫌なこと苦手なことから先に片付けて』

なので、ホッとして疲れてる気持ちを奮い立たせて、トラクターの作業機を”コンポキャスター”に付け替え。

”米ぬかと発酵鶏糞”の散布作業を、”傳さん”と”將くん”の力を借りて行いました。

ここ4年ほど私が専任でやってた運転作業を、初めて二人交互に行ってもらいました。

 午後作業を行う頃には二人共バッチリで! 

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”3、11”です

2015年03月11日 21時36分26秒 | 

父 綴ります。

3月11日、4年前の午後2時46分に発生し、その後に起きた”大津波”と”原発放射能害”。

60歳の厄を受けて、左足骨折で入院・リハビリ治療中の出来事でした。

今、NHKラジオで流れくる「震災で生き残り、辛さを改めて思いながら生きる人達の声」を聴いてます。

その人達の、「4年前に身内を失った”悲しみ”の中からの言葉」を聴きながら、

”予期せなかった突然の別れへの無念”に、私も改めて自分の今・これからを考えました。

「家族」・「社会との関わり方」、「これからの生きてく道しるべ」・「人生の終末」、などなど、、、、。

 

日々様々に沸き起こる課題に翻弄されながらも、”自分の生き方”を胸に問いかけ続けたいと改めて、、、。

記念追悼式典での、天皇陛下の『国民皆が寄り添っていくことが大事だと思います。』。

遺族代表の『これからも、私たちが頑張って生きていくことが大事だと思います。』

 

”3、11”の今日一日だけでも、「人として、懸命に生きる」って事を考えました!。

70年前の、”3、10東京大空襲”を、忘れないように、、。

朝ドラマ「マッサン」の、”終戦前後の出来事”を視るにつけ、、、。

ふぅっ~って、はぁっ~って、、、。

 

昨日は、雪が舞い・北西の強風が吹いて、真冬に逆戻りの天候でした。

でも、カレンダーの日付はもう3月中旬に移ろうとしています。

農作業も、追い立てられるように始めました、、。

 

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今年も変わらず「認定農業者協議会研修会」に参加⑧

2015年03月05日 21時50分37秒 | 

父 綴ります。

”コウノトリの郷公園”と”コウノトリ文化館”の冊子とともに、

「コウノトリ育む農法」についてのリーフパンフレット3冊が配られた上、DVDを2本観賞。

その後に、営農組合長さんのお話がありました。

 

昭和30年ころの「コウノトリ」の群れが餌をついばみ舞う情景から、やがて昭和46年の絶滅。

平成元年の雛の誕生から平成17年の放鳥開始。

その間、「コウノトリの野生復帰」に、”豊かな自然生態系の環境つくり”への挑戦的な取り組み。

秋から始まる田んぼの管理、冬・春・夏の水管理作業など。

ひと握りの農家達の頑張りに、やがて町や市も。

そして、志に賛同した周りの農家への広がりや、子供たちによる「田んぼの生き物」との触れ合い!。

物静かな語り口調ながらも、現在の結果に充実感を持たれているのが、しっかりと伝わりました。

 

なので、参加した仲間からは、沢山の質問が投げかけられました。

『秋の有機質資材の散布や、冬期の水張りによる”トロトロ層”の抑草効果は?』

『難除草種の”コナギ草”や、”ヒエ”等の発生状況は?』

『稲作中期の”中干し作業”の時期は、慣行栽培と比較して遅らされるようだけど、頃合いの見定めは?』

『小魚が田んぼに出入りできる”簡易魚道”の、設置位置や安価な資材は?』

『”コウノトリ米”の販売価格。”自家消費米や縁故米”の頒布価格は?』  ・・・・・・。  

 

”開始後90分間の講義”は、その後の質問を締め切った、心残る形で終わりました。 

 (後日参加した全員に、別様の「コウノトリ育むコシヒカリ栽培暦」が、郵送されて来ましたゾョ。)

 

文化館の外にある公開ケージに出て、6羽のコウノトリを目の前にしながら、

”飼育管理”や”その生態”、”鶴に纏わる「故事表現」などのせつめいも受けることができました。

”直売所”での、コウノトリグッズやコウノトリお菓子の買い求め。

出発するバスの乗車ギリギリまで、普及員さんに質問を投げかける会員の姿も!。

 (関西・関東域圏に、農産物を送るシステムを構築してる会員さん。

 松江市「有機農産物栽培研究会」の会長さんや役員さんや会員さん。

 集落営農組合で、”こだわりの農産物”を作っていこうと模索する会員さん。)

実践のヒントを貰われたように感じました。

 

30分走って、出石市にての”そば定食”で昼食。(蕎麦の店数が多い町)。

その後、「天空の城跡・出石城」の城下町を、、ボランティアガイドさんに連れられて約50分。

途中からミゾレが降り出して、、。 (私を含む4~5人は、資料館のヒーター脇に避難 弱クソ共)

 

 

”暗いトンネル状況に入った農業環境に、立ち止まって迷ってもイカン。

作物は、もう季節の到来を告げようとしてますョ!って、教授を受けたように思えてきました。 

『今年は、時間にゆとりをもたせた視察研修会にしました。』って、事務局さんが言ってたけど。

例年と同じように、次から次と勉強を重ねる濃密な2日間でした。    

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今年も変わらず「認定農業者協議会研修会」に参加⑦

2015年03月04日 22時50分23秒 | 

父 綴ります。

2日目は、旅館の女将さん達に送られて、9時に旅館を出発しました。

(到着時の案内から、夜の宴会の世話と後かた付け。 朝飯の給仕、寝巻きや夜具の始末

 そして笑顔での見送り。 「中居さん」達には、トッテモお世話になりましたョ。

温泉街の中ほど川向こうに、”黒い焼け跡の姿そのままの5~6軒”を、改めて見て心痛めながらも 、、。

 

15分ほどで、「コウノトリが舞う里の米」の視察先に着きました。

まるで、我々が来るのを察してたかのように”2羽の大型鳥”が、携帯電話中継塔にヒラリ~。

整備された「コウノトリの郷公園」の、「コウノトリ文化館」内は、

正面玄関ロビーを入るとすぐに、空を舞い、翼を広げ、餌を啄むコウノトリ達の”はく製”が展示されてました。

木造りの館内は、明るくってゆったりとしてて、展示も説明パネルも豊富で、親しみを覚えました。

 

”コウノトリと共生する農業”を実践する、地元の「祥雲寺営農集団」の代表組合長さん。

そして、研修意欲満々の我々の為に、兵庫県の農業普及員さん。

「コウノトリ文化館」の館長さんが、研修ルームでみっちり学習時間を設けてくださいました。

 

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今年も変わらず「認定農業者協議会研修会」に参加⑥

2015年03月03日 21時48分54秒 | 

父 綴ります。

バスは、円山川に出て日本海の方角に北へ!。

(あ~っ、かなりの川幅を持って流れてる~。)

と突然の、45年前の静岡からサイクリングで帰省の折り、綾部市の先輩家で泊まらせて貰った後、香住ユース

ホステルを目指して、福知山市経由で城崎温泉を目指してペダルを漕いで行った時も、川幅が広いのに河口

になかなか辿りつけなくって、エラカッタ~っていう記憶が甦って、、、、。

 

なので勿論、正月明けの「城崎温泉街の火災」のニュースは、衝撃でしたし。

(昭和40年頃にも、大火があった?って覚えも甦って)

志賀直哉が書いた「オオサンショウウオ」の物語も、温泉街の中心を流れる大谿川が題材?だった筈で。

その川の狭い幅の道り路を、大型バスは軒屋根スレスレにゆっくりと走って泊まり旅館前に到着しました。

そこは、創業   年の木造3階建ての”千年の湯、古まん”。

 (認定者会の常の泊りは、ホテルのシングルルームなので、畳部屋の四人相部屋は珍しい)

 

城崎温泉での宿泊は、人生初めてで、少々感激!って。

なので、夕食兼懇親会の飲み放題が始まる前の”温泉湯”は、下駄をつっかけての”外湯”へ

”7つの外湯”の中で、温泉街奥に位置する「不老長寿・夫婦円満の利約湯”鴻の湯”」へ。

「城崎温泉ロープウェー乗り場」を過ぎて、「薬師堂」前で一礼参拝して、カラコロ〃〃〃〃、、。

下足を預けて「男湯」に。 

おお~っつ!。 

30ばかりの着物ボックスがある脱衣場には、湯上りの20代の若者の裸〃〃〃〃〃。

ひとしきり、彼らの着衣を待って私は脱衣。 浴室に、、。

そこにも、体を洗う若者。 浴槽にも。 露天の湯にも若者。

は~っ。 (初めて経験したけど、イイよねェ。 何だか若さが羨まし~いって感じたりしたもんネ。)

 

天然湯で、体の芯から温まって満足感100%!。

私より少し前に来てた4人のメンバーと遭遇。

『さぁ~宴会に向けて帰ろう~』って下駄を履こうとしたら、サッ~って白いものが混じった雨☂。

『冬時雨だから、10っ分も待ってりゃ止むョ。』

 

・・・・・・・・・・。 (ここにいる誰もの「日頃の行い」が悪くってか?)

10分経っても、15分経っても止む気配はありません。

『会長と副会長2人が此処にいるんだから、開宴チョッと前に帰れれば良いじゃんヨネェ~。』(’-’*)

『松江市みたいな”蛇の目傘”の貸し出しって用意されてないのかなぁ。』

『旅館に、ここの公衆電話で連絡して迎えに来てもらおうか?』 

 

待合ロビーの、男女の人達の数も少しずつ少なくなって、、、。

私も含めた5人。誰もが携帯電話はもとより、10円玉の一つも持ち合わせて来てませんでした。

 

窓の外の「冬の夕暮れ」が、あっという間に「夜」に。 開演まであと20分!。

さすがに、会長・副会長2人は、意を決して”オレンジ色のバスタオル”を頭に覆ってゴー!!!。

仕方なく私と一人も、裸足で下駄履きに頭にバスタオル姿で続きました。

怪しいバスタオル頭のオジサン5人が、一団となって走り出しました。

(往く道の時には遠~いって感じてたのに、帰り道は下りってこともあって思った以上に近くって。)

 

その夜の{カニずくし・但馬牛料理}の懇親会は、楽しかったです。

2時間の宴会後には、1室に10人程が集まって。(^∇^)(^∇^)・・・。 

時計の針が午後11時を回った頃、各部屋に帰ろう!って解散。

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今年も変わらず「認定農業者協議会研修会」に参加⑤

2015年03月01日 22時11分51秒 | 

父 綴ります。

古民家レストランで、充実した研修時間を過ごした後、バスで15分ほど走って。

大きな白波を上げるシケの日本海脇の、賀露町に位置する「JA直売所”わったいな”」の見学。

広~い店内には、鳥取県内の西から東までの「農漁村産物・加工品」が、いっぱ~い販売されてました。 

(”カニ”を買って自宅宛に託送便手配をかけたり、”砂丘長芋”でそば打ちをしようと土産に買い求めた人も)

 

そしてルート9を走って「蒲生峠」を超え、吉永小百合主演”温泉芸者物語”の「湯村温泉」を経て、香住町へ。

(中国山地へ向かう国道を通るのは、20~30年振り?。米子自動車道の開通後はず~っとご無沙汰。)

(峠近くの曲がりくねったカーブ道や小さなレストラン跡。湯村温泉の旅館建物群には見覚えが、、)

(19歳から30歳くらいまで、中国山地を越えて福知山市経由で、京都・滋賀方面以東へ行ってました。)

(若かった頃の情景を、あれこれと”走馬燈”のように思い出して、感慨ひとしおでした。

(横席のMさんや、前席のS君とも、「其々の青春謳歌時代」の話で盛り上がることができました。

 

やがてバスは、香住町の造り酒屋「香住鶴㈱」に到着しました。

この頃の、国内外での”日本酒ブーム”や、米価安下での”酒米生産”を勉強することは必需ですからネ!。

「香住鶴㈱」は、創業290年ということ。 昭和20年12月に、同業4社が合併。

「但馬の地酒」として”品質第一”・”地域第一”・”真心第一”の経営方針とのこと。

でも、案内された酒造りの蔵(工場)は、鉄骨作り建家。 デッカイ醸造タンクが、沢山~並んでいました。

11年前に、高付加値商品開発と企業力強化を目指して、現在地に全面移転を決断。

今は、地元の但馬地区に68%。後を京阪神・丹後・鳥取・東京・米国・英国・韓国に販売とのこと。

正面入口の広い、ショップ兼・ショールーム兼・試飲スペースに、意気込みを垣間見ました。

 (試飲では、『心の残し無く味わってください』の案内だったのに、試飲小コップに1cm程の、、、。)

 (やっぱり、「出雲ワイナリー」の試飲飲み放題は、今更ながらスッゴ~い!)

 

予定にしてた30分をオーバーしたものの、其々の土産の品を買って乗車。

宿泊先の「城崎温泉」へと向かいました。 

 

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