父 綴ります。
次の視察研修先は、同じ小松島市の「菌床シイタケ農家」の「ますい農園」さん。
ちなみに「菌床シイタケ」は、小松島市の農林水産物紹介にも載ってましたョ。
所在地の櫛淵町が近づくにつれて、ねずみ色の屋根の数棟ずつ連なったハウスが点在してきました。
待ち受けて下さってた「増井さん」は、”サンマッシュ櫛淵協同組合”の50歳台の代表!。
1月には、直径10cm程の”ジャンボシイタケ”の販売促進の為に、米国シアトル市に行ってたとか。
(米国では、肉厚の大きなシイタケを、どんな風に料理して食べるんだろうか?。
まさか、牛肉ステーキ代わりに「ヘルシーきのこのバター焼き」って提案したのかなぁ?)
(小松島市か、徳島県かの「輸出振興団」の一員で行く機会を得たのかなぁ?)
(米国の人、バイヤーさん達はどんな反応をしてたんだろうか?)
気後れの心があって、質問が出来ず仕舞いでした。
でも、「菌床シイタケの発生舎」をはじめ、
生産する組合員7名が持ち寄って「選別・袋詰め・予冷する建物」が、
ガリバリュー厶構造の、栃木県の”シオライ社製”であるのを確認して、チョッとした感動でした。
(かれこれ10年以上前に、”日本農業新聞”の広告で見て、 茶工場の改築計画や米の作業場移設計画案として、
”シオライ社”からカタログを送ってもらってました。)
おまけに排気ファンは、お茶畑の防霜ファンメーカーと捉えてる”フルタ社製”が。
(なので、「石橋叩き」をしながらも結果として、「川渡り」が出来なった頃の自分を、ほろ苦く思い起こしました。
30数年前に、一人で研修に行った「栃木県の”北研社”」。
境港市から取り寄せた魚木箱で、鳥取県溝口町のチップ屑を貰いに行って、、。
ヒラタケ・ナメコ・を自家培養して、ビニールハウスで冬発生させてた経験、、。
20数年前には、流行りだしたシイタケの栽培にもチャレンジした経験、、、。
(いずれも、培養中の「夏場の高温対策」の施設投資が出来ず、腐敗、、。) で、断念!
娘の旦那が、「菌床栽培」で1年中休み無く働いています。
(誰かが、ますい社長に質問しました。
『ええ、正月休みも盆休みもありません。でも休もうと思えば休めます。』)
(いくら、『パートさん達が交代で1年中、働いてくれる体制を作っています。』って言われても、
俺的には、決して真似したくありません!!!!!。)
なので、”唯唯脱帽”でした。
順調な視察先でしたので、午後5時前には宿泊の「サンシャイン徳島」に入る事になりました。
夕食会場に出発するまでの時間に、ホテルの大浴場で一風呂!。ホッ
バス車内に続く“会員同士の交流会”に備えました。