父 綴ります。
昨日の夕方、突然の『こんにちわぁ』。大海崎町の古藤先輩でした。
『ちょっと小ぶりな物も混じってるけど、食べてごすだわね。』
「えぇ!、(;゚Д゚)。こげんよけな「赤貝」を貰うだぁ!。」
「さっきBSSラジオで、松江の老舗店の人が、’かつて冬の松江の食卓には、
「赤貝」が欠かせなかったですよね。って話してました。」
「でも、「養殖赤貝」を育てるためには、いっぱい手間を掛けないけんでしょうに!。
もったいないです。」
今から60年ほど前の昭和30年くらいまでは、わが家も「赤貝漁」をしてました。
”そりこ船”を操って、”赤貝桁”を引いて海底の砂土に生育してる「赤貝」を採集。
(今の宍道湖の、シジミ漁に似ている感じみたいに)
冬の東風に押されるように船の櫓を漕いで、大人たちが勇んで帰ってきたものです。
選別作業後には、わらで作られたカマス袋に入れて。
大井と大海崎には、松江の野菜問屋さんが三輪トラックで集めに来て、、、。
夕餉時、家々では鍋一杯の”赤貝の煮付け”だった、、、。
その時期には、”あまさぎ(公魚)の醤油付け焼。”白魚と高菜の汁、、、。
どんどん昔が思い出されてきて、古藤先輩と話が弾みました。
もうちょっとで、出荷作業が終わって。
それからは「中海で自然に育まれた”稚貝”」を採集する作業が、始まるそうです。
(まさか、令和の時代に「赤貝の稚貝が自生するなんて!!」)
今朝、娘がスマホを見ながら「赤貝」の御馳走を作ってくれてましたぁ!。