父 綴ります。
先週は、色々と用事の多かったです。
(パソコン室のコンパネ板交換・亡き親父の同級生さんの葬儀。
一泊二日の研修旅行・地元土地改良区の4地区合同の交流会・JAの機械展示会・我が家の分家の一周忌法要。)
今朝、過ぎし日の新聞を、拾い読みしながら整理。
すると、昨日19日付けの”お悔やみ欄”をチェックしたところ、「2月17日夜11時死亡、〇〇 〇。松江市八幡町の69歳。」
ええぇ!。 まさかまさかぁ!。 あの”恩多い先輩”かァ?。 気が動転!。
デモもしかしたら、、、。 とっさに頭の中のファイルを、パラパラパラッ。
結局、先輩と家が近くにある私の農高時代の同級生の’修君家’に電話して確認しました。
すると、やっぱり”私にとって恩が一杯ある先輩”の訃報でした。
『夜、風呂に入ってて”急な心筋梗塞”が命取りだったみたいだよ。つい先日も一緒に飲んだりしてたんだけど、、、。』
去年暮れに、お世話になってるお礼に’お歳暮のお茶’を持ってた折にも。
『公ちゃん、このお茶を飲んでみて勉強してみな。』って、
静岡市から安倍川を30km上がった山間いで造られた”有東木産の手摘み高級茶”をくれました。
又、『松江市内で唯一、”有機野菜セット”を全国に発送してるけど、品揃えがなかなかに大変だよ。』って話してくれました。
「〇〇さん、第一次生産もですけど、農産加工もしっかり工夫しなければって考えるこの頃です。知恵を貸してくださいよっ!。」ってお願いしました。
想い起こせば、20歳過ぎからもう45年もの間付き合わしてもらってました。
初め頃は、農業青年組織「NAC」、(ニュウ アグリカルチャア クリエイション コントラクション)の立ち上げから鍛えてもらいました。
今では全国で大流行の”ゆず栽培”も、40年前に着眼して”徳島県の山の中の上勝町”の、
”種無しゆず「多田錦」”の生みの親を訪ねて、直接の話し聴きを段取りしてくださいました。
(マイクロバス2台に分乗して、高速道路も出来てないので「ルート11」を走って、、。私もクネッタ山道を交代で運転しましたっけ。)
結果、”種無しゆず”は、NAC会員で1000本以上の苗を植えつけたでしょう。
京都市北村の明治時代に海外輸出してた”ゆずの村”の現地視察も企画してもらいました。
(京都の夏の風物である「川床での精進定食」も味わうことが出来ました。)
”ゆず”の青果を出荷するための独自シールや、「原徳ホック」への直販の段取りも、先輩がつけてくださいました。
(冬至頃には、「冬至のゆず風呂」用の、’ネット詰めゆず’を店内でお客さんにサービス配布の体験もしました)
”ゆず”のジャムや果汁加工をする業者の、愛媛県の「えひめ果汁(株)」への、共同出荷の段取りもしてくださいました。
歳が3歳下の私を、個人的にも随分可愛がってくださいました。
松江の産品を使った『松江づくし』の、第3弾商品として声掛けをしてもらった『煎茶』。
開発メンバーによる”お茶摘風景”や、松江市役所記者室での”製品発表”も段取りしてもらって、、”写真付き記事”が新聞に掲載!。
『松江づくし』の題字揮毫者の「小泉 凡」さんの、県立女子短期大学生を引率しての’錦峰園工場’の見学もセットしてもらいましたっけ。
何よりも感謝しなければならないのは、”島根県物産館”(市内の城山前、東京の三越前)への、「出展者の資格」をお世話して貰った事です。
既に「出展資格」をお持ちの、2業者さん以上の推薦がなければ’物産館’への商品ならべが出来ないというハードルを。
「〇〇先輩」の尽力で、「米田酒造さん」・「袖師窯さん」の後ろ盾推挙を頂いて、会員仲間にして頂くことができました。
その後も、「服部珈琲さん」に、”松江づくし煎茶セット”の提案をして頂いたり、、、。
厳寒の2月に行われるようになった「松江食まつり」への参加を促してもらったり、、。(伯太町のわたなべ牧場さんの隣ブースで)
八束町の「由志園さん」に、紹介をして下さったり、、、。(お茶も米も)
数年前には自宅で、雲南市から講師を招いての”本格的などぶろくつくり”にも呼んでもらいました。
(その当時知り合ったばかりの、オランダ人シェフにも私がTeLして一緒にレクチャーを受けましたョ)
今日の午後、「せめて’棺の中のお顔”だけでも見させてもらって」と、自宅にお伺いしました。
祭壇前の線香に火をつけ、鐘を打ち、、、。
棺の中の〇〇先輩を拝顔すると、、、、。
年末に会った時よりも艶顔で、髪も黒くて、数年前の”〇〇さん”でした、、、。
ご遺族にお声掛けしながら、私の顔見知りの弔問客さんと一緒に話をしてると、
『’ご遺影写真’が出来ましたので、持ってまいりました。』の声が玄関で。
居合わせた私たちが目にしたのは、この間まで付き合ってた〇〇先輩そのままの写真でした。
しっかりと正面を向いて、ちょっとお洒落な赤いシャツ。でも顔と額には数本のしわがあって、『わしもがんばっちょうで!』って言ってた姿そのまま。
思わず、「〇〇さん、あんたあんたでしょ。何がどげしたかね。」って、声を出しそうになりました。
『亡くなった日も、皆さんを集めて我が家で”味噌仕込み”をやって。夕方から営農グループでの飲み会に参加して。』って、ご遺族さんが。
はぁ~っ。
明日の葬儀会場で、改めて感謝の数々と、〇〇先輩の意思を少し実現できるようにという意思とともに、冥福を祈ろうと思います。