松江のお茶 製造直売『錦峰園』 松江のお米 栽培直販『夢拓人』 野津家のブログ

松江のお茶&お米&椎茸農家。

20代で農業を継ぎ、
Iターン就農の夫と
両親と共に農業に励んでいます。

マニュアルどうりの回復②

2011年03月30日 19時22分02秒 | Weblog

父 綴ります。

 

手術の翌朝6時半、『お早うございまぁす。』と看護婦さんが、

いつもどうりに部屋の戸を開け、部屋の電気を点灯。

『具合はどうですかぁ。』の問いかけに、

「はい、おかげさんで、オナラも出るし、トイレにも行くことが出来ました。

 予定どうりにいってます。」と返事。

『うん、それは良かったね。何かあったらいつでも言ってね!。』

 

手術後2日目の朝食は、お粥にしじみ汁、小松菜和え、おかか和え。

(おかか和えのパプリカが硬かったけど、腸運動促進と思って完食。)

9時には、佐藤主治医の回診があり、順調な推移にマル!。

傷口に貼ってある防水テープには、血液のにじみも無くてグッド!。

「早い処置をしていただいて、ありがとうございました。」

『いやぁ、よかったね。』

 

でも、診療マニュアルに載っているいる、活動の自由・シャンプーОK項目には、

ちょっと挑戦する気が出ず、ベッドで安静の一日としました。

 

 

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お見舞いへGO。

2011年03月30日 12時06分04秒 | 家族の出来事

娘、綴ります。

昨日に引き続き、病院へお見舞いに行きました。

父、元気そうでなにより。ε=((((*´・ω・)

階段を昇ったり降りたり…。

 

 

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マニュアルどうりの回復

2011年03月29日 20時19分06秒 | Weblog

父 綴ります。

 

あらかじめ、診療計画書プリントを渡されていたので、手術から4時間後、

まずは、トイレに挑戦です。

 

傷口が痛くならないよう、頭がクラクラとしないよう注意しながら、

ゆっくりゆっくりと、身体を横に向けるように起き上がって、車椅子に移動。

(あれッ、臀部の感覚が、重ね餅に座ったような感覚だァー)

腰を80度の角度の、ななめ座り状態のまま、指先まで精一杯伸ばして、

部屋の戸を、トイレの戸を、肩で息しながらソロリ・ソロリと開きました。

 

さて次はと、車椅子から腕に力をいれて立ち上がると、少しクラクラ・・。

ヤバイと思いながらも、何とか便器に着座。 ほっ!。

 でも指令回線が繋がってないのか出てきません、、、。

(まだ、膝上ちょっとくらいまでしか、麻酔が解けてないようです。)

 

帰路?約5mも、車椅子を少し少しづつ動かしながら、

気丈さな気持ちを切らせないよう、慎重に々々に、、、。

なにせ人様の力に頼らず、がんばろうの気持ち一心に、、、、。

やっとベッド上に帰還できた時は、ふうぅっ~と大だめいきでした。

 

結局私の場合は、術後6時間ちょっと経った頃、2回目の挑戦。

自力でトイレへ行って、自尿できました。

(用意してもらってた”し尿器”や、尿道への尿管導入処置の

 お世話をしてもらうことなくて、ほっとしました)

 

こうして手術1日目のマニュアルをやりとうせた充実感で、

再び眠りにつくことができたのです。、

 

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いざ手術へ

2011年03月28日 18時42分01秒 | Weblog

父 綴ります。

 

手術の前の日午後4時、電気かみそりを手渡された。

『自分で剃毛してくださいね。』

えぇ?、てっきり看護婦さんにお世話になるものだと思ってました、、、。

ちょうど20年前に、左側を同じ鼠頚ヘルニア手術した時は、

看護婦さんにしてもらったんです。

なので今回、誰になるのだろう?。頼むとすれば誰がいいかなあとか思案。

それなのに 『この頃は、剃刀で摺ると、肌に傷がつく恐れがあるので、

できる人には、自分でやってもらってます。』 とキッパリ。

そこで、言われるがまま、慎重に初めての作業を自分でやりました。

 

その後、手術説明を、執刀医の佐藤ドクターから、妻と受けたまわり、

同意書にサインしました。 夜9時からは、絶食と水分摂取が中止。

 

あくる日朝は、シャワー浴の後、10時まえから点滴を開始。

(翌朝まで500ml袋を4袋、連続で)

そして午後2時40分に、ストレッチャーに乗せられ手術室へ。

3時2分に、半身麻酔の注射を背骨へ、、、。

麻酔が効いたのを確認された後、いよいよ手術がスタート。

・・・下肢の筋肉の弱くなったところから、脂肪や腸の一部などが

   とび出る症状を根治させる施術なんです・・・

20年前と違って、腸壁を縫合するだけでなく、

再手術の確率を100分の1まで下げるため、

最近?は、網を入れて補強するのだとか。

 

手術時間そのものは、約1時間で無事に終了。

佐藤先生に、「ありがとうございました。急なお願いをしたのに、

これで安心できます。」とお礼をいって、オペ室を退出。

待合室で待ってた妻に、『ありがとう、早くやってもらってよかったョ!』

 

 午後4時半、無事部屋に帰還できました。

皆さん、お世話になりました。ありがとうございまぁ~す。

 

 

 

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鼠頸ヘルニア手術決まり!

2011年03月27日 20時10分08秒 | Weblog

父 綴ります。

 

ここ1ヶ月くらい前から気になっていた、右下腹部に出てくる脹らみ

そけいヘルニア(脱腸)の症状が、頻繁になってきて、

看護婦さんにうったえたのが、22日のこと。

そして、23日昼前に外科で診察をうけることになったのです。

 

「このままで3ヶ月程”バンド固定”とかでしのげませんか?」と私。

『う~ん、バンドというものはあるけれど、この病院にはありません。』

「そうですかぁ。」と私。

『都合が良ければ、一週間後に手術してしまうというのはどうですか?』

「ええぇ~。 あのぅその頃には骨折の治りがよくなってて、退院をと。」と私。

『う~ん、それでは明後日の午後、手術してしまうってのはどうですか?』

「はっはい・・」 色々なこと(左足のこと・体調・家族のこと・仕事の可否など)が、

一気に頭の中で駆け巡ってしまった私。

「家のものに連絡してから返事します。」と答えるのが精一杯の私。

『じゃぁこちらは、本当に明後日が手術可能なのか、また後で連絡にいきます。」

ものの10分か15分ほどの間に思える担当の先生との会話でした。

 

突然の成り行きに動揺したままで帰室。

電話で、事の成り行きを長女に連絡・・・。

ほどなくして妻から、

『どうせ帰って直ぐから力仕事もできんし、5月6月とバタバタ世話をやかないけんけん、

 この際、ちゃんとしっかり直してもらった方がいいと思うよ!』のTELが。

本当は、迷ったままだったけれども、

「うん、分かった。ありがとう。」と返事するしかない私でした。

 

午後4時前、担当外科医の佐藤先生が病室に、、、。

『明後日の2時半から手術。、明日4時半から手術について説明します。』

どうしよう、どうしようと考え迷った時間経過に比べて、

あっという間に決まってしまったぞぃ、、、、。

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時間は戻せない、時よ進め

2011年03月23日 18時36分42秒 | Weblog

父 綴ります。

3月末なのに、まだ冷え込みが続く。

震災地に、避難所に寒さが、、。

 

津波の到達」が、もう10分遅れていたなら、、、愛しの人が、、、。

もう少し早く時計の針を進めて、春の暖かさを感じることができたら、

皆んなで、復興の力をもっと発揮できるかも、、、。

 

「水と空気と太陽があれば、農家なので、食べ物にはこまりません。」

と、お金に窮屈な状況でも、踏ん張ってられる心の余裕を持ってる私。

遠く離れたところから、まさかの”シーベルト害”が襲ってきて、、、。

しかも農作物に関しては、まるごと括った県単位の出荷規制。

そして栽培農家自身でさえ、口に入れないほうが良いだって、、、。

 

もう少し地域を絞っての規制や、

生産している野菜個々の測定でもって判断ができないだろうか?

『ある量を、1年間毎日食べ続けても大丈夫です』

と、昨日まで発表していたのに、、。

(大臣がパフォーマンスで、ほうれん草を食べてくれるかな、とも)

外国の向けての”輸出農産物”じゃないんだから、、、。

 

改善には、長い時間を必要とするのだろうか?。                  

この広い指定地域が、日が経つにつれ、縮まっていくことを祈ります。

 

我が身の災難は60日にして、松葉杖1本での歩行練習がOKに!。

でも膝曲げの角度は、110°で一進一退。

 

災害地と同じとは言わないけれど、

各々の持ち場での状況進展には、”時間と日にち”が、

再びの元気と気持ちの癒しとを、もたらしてくれるに違いない。

がんばれぇ~。  がんばろう~デス。

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番茶を作る人。

2011年03月22日 15時19分00秒 | お茶

娘、綴ります。

午後からほうじ番茶を焙じています。

春分の日を過ぎましたが、
松江はまだまだ寒い日が続いています。

世の中にはいろいろな飲み物があり、

多種多様…好みも人それぞれ…。

そんな中で、

“落ち着く、懐かしい香りと味わい”の番茶を作り続けていきたいなぁと思っています。

外で遊んだ後は、出来立てのあったかいほうじ番茶であったまりたい…。

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変化から始動に

2011年03月21日 16時24分31秒 | Weblog

父 綴ります。

 

震災は、激しく日常を変えた。

今は、生き続けていくために、食を・住まいを、、、。

でもやがて、生きゆくための生活手段を構築しなければならない。

 

災害の影響の全く無かった地域に暮らす者の大勢にとって、

3月末は、年度の終わり。4月からの準備の時期。

子供達は、進級。 

大人達は、職場移動や転勤辞令。

大雪、遅くまでの寒さ、震災と続く重苦しさ中だが月日は進んでいく。

 

入院58日目の我が身、我が心。

前年が、厳しい結果となった確定申告数字を考察するに、

お茶や、稲作栽培の面積増や、

新しい品目の栽培への挑戦などに、取り組んでいく必要が、、、。

農業書や野菜栽培書から、知識としての作り方・

作付けのシュミレーションは、描いてみているけれど、、、。

いずれも、田や畑での実践作業に取り掛からなければ、

ただの 「絵に描いた餅」、妄想で終わってしまう、、、、。

農業は、適期に相応な作業をしていかなければならない。

焦ります アセ! アセッ!

 

日本のみんなが、

気持ちの不安や心配を、望みで包み込んで前に

そして前に、、、。、

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不運とだけでは・・・

2011年03月17日 18時57分13秒 | Weblog

父  綴ります。

 

津波発生から6日が経った。

さらに、原発からの放射能被害も、、、。

 

一瞬にして命を奪われるを、運命とされた人。

最愛の伴侶を、子を、親を、兄弟を亡くすを受け入れざるを得ない人。

これからの生活拠点を、生活の糧を、健康のことを考えて途方にくれる人。

 

いくら 「世は、常ならぬもの」と受け入れるも、

「負けずに、頑張って!」とも言えない、、、。

 

例えば、農業者の場合、

丹精込めた田畑が、、、。

農機具が、農舎が、、、、。

再開する種代が、肥料代が、、、。

出荷の方策が、、、。

そして何より、共に働く家族や、地域の仲間の気持ちが、、、。

職業を変えるといっても、年齢とか、技術資格が、、、。

 

少し考えて見るだけでも、頭が混乱して途方にくれてしまうでしょう。

身体を動かしながら、想い廻らすのならまだしも、

避難先で、ただただじっと、時を待ち続ける身ならば、、、。

 

さらには、農業収入だけで家族を養い、子供達を大学まで上げることの

予測が成り立たない、この頃の農業を取り巻く状況なのだから、、、。

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思いをカタチに。

2011年03月16日 14時20分56秒 | つぶやき

娘、綴ります。

松江は雪が降っています。

 

東日本大地震で被災に合った何十万もの方々が、

今現在も寒い避難所などで、家族や友人の安否が分からず、

どれ程辛い思いをされてるか考えると胸が締め付けられそうです。。。

早期の復興を、心より願っています。
 

小さな事でも積み重ねたら大きな力になるかもしれません。

私も、出来る事から一つ一つ始めようと思います。

~ACジャパンのCMより~ 

「こころ」はだれにも見えないけれど

「こころづかい」は見える

「思い」は見えないけれど

「思いやり」はだれにでも見える

あたたかいこころも

やさしい思いも

“おこない”になって

はじめて見える。

その気持ちをカタチに。。。

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