父、綴ります。
小中の同級生、貢くん死去の報せあり。
ショック。。
我が家からちいさな橋を渡って100m程。
去年の11月に偶然出会って話をした折には、
『2月に還暦同窓会が企画されているよ』と話をした。
ずっと何年も人工透析を続けている体だったが、調子は良さそうだった。
定年より少し早く退職しており、よく魚釣りに行くと言っていた。
小さい頃から彼は、スポーツが良く出来た。
道路を使って陣取りゴッコや、ゴム球ソフトも遊んだし、
足も速くて、ピッチャーも、守備も上手く出来た。。
テスト前には、問題を一緒に暗記して、ズバリ的中!
にんまりしあったことも・・・。
俺には、少しまぶしい存在だった。。
歳祝いなのに、大怪我で入院した、俺。
『これは祝いでなく、厄払いになっただ』という、俺。
でも彼は、同い年なのに、突然亡くなってしまった。
悔やまれてしょうがないのは、同級生の皆に報せる役が出来なかったこと。。
葬儀当日に、同級生の誰一人、お別れの焼香がしてやれなかったこと。
本当に、本当に、(。・。・;)ゴメンナサイ・・・。
父、綴ります。
朝7時半、『おはよう、どうですか?』の声。
主治医の嘉本先生が、カーテンを開けられた。
『ありがとうございます。
夕べはコレコレで大変でしたが、手術部分はほとんど痛みを感じません。』
先生がギブスを外して改良してくださるとのことで、ホッと安心して、
朝食をゆっくりと完食した後、気づけば眠りについていました。
…が、目覚めるとまたまた太ももが腫れて、足首の部分が痛い・・・~(>_<。)ゝ
自分で揉んで血行を良くしようと撫でたが、
ずっと寝ているので、尾骶骨辺りが痛くて痛くて…
午後3時に、長女と孫が着替えを持って見舞いに。
足首を揉んでくれた…“ありがたい、ありがたい”
夕方には改良されたギブスが届いて(´▽`) ホッとしました。
父、綴ります。
午前0時半、今度は足首部分に猛烈な痛みが、、。
体の向きを横に変えることも叶わず…
自分ではこの痛みを和らげる術もない
“もうダメだぁ~耐えられない! 助けて~”とナースコール。
『ごめん。やっぱり痛さが堪えられなくて…』
『患者さんが苦しかったらいつでも呼んでいいけんね。
遠慮するじゃないよ。』と看護婦さん。
瞳を凝らすと、黒縁メガネのNさんと
同じデザインの赤縁メガネのOさんの二人の当直看護婦さんが、
ベッドの右側と左側で声をかけてながら、懸命に足首部の痛みを緩らげてくれた。
結局、午前2時半・4時半にも、呼び出しコールに応えてもらった。
きつく締め付けるギブスから足首を出してもらって、
やっと眠りにつけたのは、午前」5時頃のこと。
度々お世話になり、本当にだんだん…。ありがとうございましたす。(-人-;)(;-人-)
夢かうつつか、この夜、俺のベッド脇に舞い降りてきた
まさに”白衣の天使”そのものの若い二人の看護婦さんでした。
~朝になって、二人の背中に、白い羽が折りたたんで付いてないかと
改めて目を凝らした私です。~
父、綴ります。
手術室を出るとき、
主治医の先生に、『今夜は美味しいビールを飲んでもらってください』等と
余計なことを言ったりして…(*'ω'*)
まるで痛みを感じないまま、病棟からの迎えのベッドに乗せられて、
妻も安心しつつ、ベッド周りを整理して、午後9時に家路へ。
点滴の針を腕に入れたまま、間もなく気持ち安らかに、目を閉じて
『おやすみなさい』
…が、10時半頃、麻酔が切れたのか、
太ももがまるで太いゴムひもで締め付けられるような激痛で目が覚めた。
半切りにした固定ギブスの上端が腫れて、
何とか自分で押し開こうとしたけれど、プラスチック製ギブスはビクともしない。。゜゜(>ヘ<)゜
痛みに堪えきれずにナースコール。
処置をしてもらって、何とか少し楽になったものの ・・・ その後も痛みとの闘いが続く…
父、綴ります。
日曜日夕方の救急診療でのレントゲンや、MR撮影。
月曜日・火曜日の血液・尿検査。
心臓エコー、肺活量調べ(4600CC、普通の120%多)等、をクリアー。
なるべく早期に復帰すべく、
自然治癒より金板を固定する方法で手術する事に…(-ω-;)
火曜日午後9時半から飲まず食わずで待機。
ようやく水曜日の午後3時半からストレッチャーに乗せられてイザ~(ι´Д`)ノ
妻に手を振って手術室へ。
背骨に麻酔注射され、腰から下が麻痺…。(・_・;)
主治医の先生や看護婦さんたちの会話を耳にしながら、
痛さを全く感じることなく、
骨が引っ張られる少しの感覚と、骨に穴を開ける音を聞きながら、
左大腿骨に穴あき板が、7本のボルト・スクリューで固定されました。
手術時間3時間40分。出血量も60CCと少なく、終了。
主治医の先生から『手術はうまくいきました』の言葉をいただき、ホッと一安心ε=(´▽`)
スタッフの皆さん、ありがとうございました。
娘、綴ります。
23日、茶工場の機械を、母と父が一緒に移動中、
倒れてきた機械の下敷きになり、父が左足を負傷。
骨折。
入院。。
数ヵ月は家に帰れなくなった。。。
緊急事態です。
でも…(/_<。)
こんな時こそ家族で協力し合って~
助け合っていかなきゃ~(`・ω・)
煎茶の火入れや合組、地域活動や帳簿等…
ケガをした父が行ってきた作業はたくさんあります。
錦峰園へのお茶やお米の受注、発送等、
いつもよりお時間がかかるかと存じますが、
母と共に誠心誠意対応させていただきたいと思っております。
大変ご迷惑をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い致します。
主人は、いよいよ25日が菌床椎茸の全国品評会。
役員としても頑張っています。
娘は2歳の誕生日。
今夜も眠れぬ夜は更けていきます…(-ω-)zzZ