<東紀州は上天気>
お正月にしては、暖かく上天気が続きます。
そんな中、丸山千枚田の後は約3Km先の赤木城跡に向かいます。
途中の道端の陽だまりには、早くもツツジが咲いていました。
この所の記録作りの暖かさが、お花の開花も狂わせるのでしょうか?
暫く走りますと標識も良く整備されており、すんなりと到着する事が出来ました。
赤木城は築城の名手、藤堂高虎に依って天正年間(1572年頃 諸説あり)頃、造られたそうです。
往時は熊野古道、奈良、京都に繋がる要衝の地だったようで、北山一揆を抑え込む狙いも有ったようです。
三重県のパンフレットに依りますと、運が良いと朝霧に浮かぶ天空の城になるようです。
写真をパンフから拝借しました。
案外、近場にも天空のラピュタは有ったようですね。
この辺りの朝霧は有名でして、風伝峠では風伝下ろしと言う山越えの霧の流れを見る事が出来ます。
城に向け細い山道を歩きます。
赤木城は初期の城のようでして、石垣に反り返りが見られません。
登りながら駐車場方面を見ますと、バンクスが小さく見えます。
山々が青空を背に映えます。
ここは北山杉の産地でもあるようです。
長閑な風景からは、想像も付かないのですが、北山一揆では首謀者が斬首、その首は獄門に曝されたそうです。
そんな歴史の一場面を想像しながら、更に上部を目指します。
急な道がほぼ直角に曲がり、かつて門が有った礎石が見えます。この辺りも敵の進入を阻止する工夫のようです。息を切らしながら登りますと、虎口(こくち)に辿り着きます。
これは、いわゆる本丸前にある最後の砦とも言えるものでして、通路に当たる石段すら有りません。
当時は階段を掛け行き来していたようです。当然ながら、いざと成れば取り外し戦に備えた物と思われます。この辺りの城壁は、人口的に壊した形跡が認められたそうで、廃城の後、敵に使用される事を恐れたとも言われています。
現在では、修復され往時の面影をしのぶ事が出来ます。
これだけの城壁が有りますと、攻めるのも難しいかったのでしょうね。
現在では三重県 史跡から国史跡の指定を受けている赤木城です。
本丸 虎口からの眺めで、一揆の集が押し寄せて来る気配がします。
今では、本丸には桜の木が植えられており、桜のシーズンには花見が良さそうです。
帰りは南廓(みなみくるわ)方面から下山します。
通常の生活はこの南廓で行われていたそうです。
最後に虎口下を通り、来た道を引き返します。
遠い歴史の彼方に思いを巡らしながら。。
赤木城の後は、熊野辺りで居酒屋さんでも無いかと探したのですが、正月4日では難しいようです。お店その物も少ないようです。
仕方なく、地デジ電波を探しながら帰り方向にハンドルを切ります。
しかし、行けども地デジ電波に出会えないのです。帰ろうと思えば、帰れる距離なのですが、もう一泊する事にしました。
で、結局、「道の駅 大台」まで帰って来たのですが、地デジ感度無しなのです。この辺り一帯の民家の屋根にはアンテナが見当たりませんから仕方の無い所でしょうか。
そんな時は、TVer(ティーバ)ですね。最近は何処に行っても携帯4G電波は拾えるようです。少々古い番組ですが、お茶を濁します。これでNHKも入れば言う事は無いのですが。
鈴木英敬 県知事さん、東紀州に地デジを何とかして貰えないでしょうか?
とかとか思いながら、小さな門松でお正月気分だけは盛り上がります。
ここでしっかり野菜を買い込み、午前中には我が家に到着でした。
まぁ~初乗りキャラバンとしては、天候に恵まれた分、満足満足でしたでしょうか。
こんな気ままな旅が出来るのがキャンカーですね。
なかなか良いですね。
昨年竹田城の雲海も見れなかったので次回は是非!と思っていますが、ここも城跡を見渡せる場所があれば行ってみたいです。
今回はそちら側では見ていませんが、城跡からは本道が見えましたから見渡せられそうですよ。
是非訪問し天正の昔に思いを馳せて下さい。