kenyのキャンピングカーライフ!

キャンピングカー遍歴からの楽しみ、苦しみ、整備などに付いて思い付くまま綴ります。何かの参考に成れば幸いです。

大黒屋光太夫 記念館

2015-03-05 09:40:50 |  中日本

<近場の大黒屋>

ソーラーのお話が続きましたので、今日は近場にお出かけです。

以前から気に成っていた「大黒屋光太夫 記念館」(だいこくや こうだゆう)に行って見る事にしました。

場所は三重県 鈴鹿市にあります。

国道23号線 バイパスから県道に入り、狭い道を走ると若松小学校の前に有りました。

平日のせいか、車はコルドバンクスのみです。記念館は小じんまりと住宅街の中にあり光太夫の故郷に位置します。

記念館の入り口には、光太夫の銅像が立っています。

台座は船の形をしていますね。

大黒屋光太夫のうんちくを捻りますと。

江戸時代後期の回船の船頭で、ここ鈴鹿市 白子町(しろこちょう)の浜より江戸に向け、船出したのですが、嵐に遭いアリューシャン列島まで漂流しました。アリューシャンの小島アムチトカ島で約5年間過ごし、ロシア語を習得しました。

その後、日本に帰りたくユーラシア大陸を横断し、時のロシア帝国の帝都サンクトペテロブルグまで行き、女帝エカチェリーナ2世に謁見し帰国を願い出ました。

帰国は認められ、再度ユーラシヤ大陸を横断しカムチャッカ半島から根室に上陸する事が出来ました。

帰国まで約9年間を要し、帰国後は江戸に停め置かれたようです。ただ一度だけ帰郷が許され、船主、母親の所に挨拶廻りをし、母親の所でロシア語の鶴と言う文字を、墨で書いたフクサが残されています。

当時、ユーラシア大陸を2度も横断するとは、並大抵の忍耐では有りません。カムチャッカ半島からサンクトペテルブルグまで、モスクワの更に西にあるのですから信じられない距離です。

館内は撮影禁止ですから、パンフレットですが見て下さい。赤丸がフクサの墨ロシア文字です。

光太夫の人柄が窺われる文字ですね。

キャンカーなど無い時代ですから、電力不足だ、ソーラーだと言っている小生は恥ずかしく成ります。

ここの白子の浜は、徳川家康も追ってから逃れる為に、小舟で伊勢湾を渡ったと言う浜ですから、昔から偉人に縁があるのでしょうか?

そんな思いに浸りながら、現代の白子港に移動します。

今日はなんとか青空が覗いています。

風は強いのですが、陸風ですので海はまずまずの穏やかさです。

港内の波間には、カイツブリが浮かんでいます。

最近は、何時も見る事が出来るようです。

本日の我が家のリビングはこんな感じ。

ソーラー発電、蓄電状況をつい確かめてしまいます。

ソーラー発電電圧 21.6V 開放電圧とほぼ同等。

電流 1.2A サブバッテリーがほぼ満充電ですので、電圧が高く電流は小さめに出ています。

サブバッテリー電圧は、14.5V アブソーブモードで充電中です。この状態はまだ満充電とは言えません。

この状態でもコントローラーの残量計は、「FULL」に緑LEDが点灯しています。左下のLEDが点滅に変わりますとフロートモードに成りますから、満充電と成ります。

BM-1 サブバッテリーモニターの状況です。

電圧 14.4V  電流 0A サブバッテリーメインスイッチOFFで電気は使用して居ませんから、0A表示です。ここでコントローラーは、1.9A 充電ですからBM-1も充電表示が出ても良いのですが、回路中のシャント抵抗の位置が影響しているのかも知れません。今後、調べてみる積もりですが。。。

光太夫に思いを馳せながら、波間のカイツブリを眺め青い空と、ロシアの雪原を思い遅い昼食としました。

伊勢の国は恵まれていますね。

 

本日も読んで下さり、ありがとう御座います。

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