こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

臓器移植と病理診断

2012年07月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
臓器移植に関する病理の研究会に参加した。会場近くの東京駅の丸の内地下街に人がまだほとんどいない時間に着く。プログラムは9時から18時までびっしり。その間、会場内に缶詰め。窓はなく、天気は1日わからない。

移植医療の是非、とくに脳死移植の倫理的、法律的側面について私はコメントする立場にはないが、私が脳死状態になったら、きちっと脳死判定をしてもらって臓器は使ってもらいたいと思っている。
というわけで、臓器提供意志表示カードを持っている。

この臓器提供意志表示カードにある自分の署名を見ると、なんだか不思議な気になる。

というのも、臓器提供意志表示というのは、自分が交通事故や脳出血とかで突然脳死状態になることが前提の意志表示である。
今年の2月ごろに、死に時、ということを考えてみたが、いいタイミングで死ぬということは難しい。

うまい具合に脳死になるなどという自殺はないかと考えてみたが、思い浮かばない。
ということは、この臓器提供意志表示カードを持って、脳死状態での臓器提供を申し出るからには、できるだけ元気に生きていなくてはならない。

人間は必ず死ぬというのは自明だが、死ぬことを自分で決めてしまう自殺という行為は、少なくとも、このカードを持っている人はやってはいけないことなのだと感じる。また、そこいらのチンピラのことを注意して、逆にからまれて殴り殺されるわけにはいかない。
臓器移植が医療として厳然と存在する今、死ぬにも責任を持たないといけないということだ。
自暴自棄になりかけた時は、このカードを見ようと変に納得する。

研究会、終わってみたら、もうたそがれ。
研究会の内容は脳死の是非ではなく、臓器移植の医学的側面の勉強会。皆で集まって、経験を共有する。
提供された貴重な臓器をいかに上手に生着させるかが、医療者の仕事。

私コロ健がやっている病理医の仕事は、その臓器がうまい具合に生着しているかを判定して、臨床医とともに、考えていくことだ。

まだまだ解らないこと、知らなかったことが多くて、今日も半分がっくりきてしまう。道のりは長く険しいけれど、私なりに前に進んでいかないといけない。

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