チャップリンに『犬の生活』という映画があったが、あれに出てくる犬は放浪者と一緒だったので、その人(犬)生は結構大変だったろう。あの犬はもともと野良犬だったのか?それとも、もともとはどこかの飼い犬だったのが、何かの理由で野良になって、放浪者と一緒になったのか。
うちの犬は二頭ともそれなりの犬生をおくっているのではなかろうか。と、人間サイドから勝手に想像する。
休みの日であれば、娘にボールを投げてもらい、それをくわえて戻ってきたり。
妻に海まで連れていってもらって、渋滞の134号を眺めてみたり(今日は、3連休の最後、大雪のあとの晴天、ということで、実際、鎌倉はすごい人出だった。私も休みをこの日にとっておいたくらいなので、当然と言えば当然だが・・・)。
朝晩2度の食事もあり、夜といえば、マルチーズのコロは娘と一緒に寝、フラットコーテッドレトリーバーのナイトも居間のクレートのなかで、大人しく寝る。
彼等は、なにを思って毎日過ごしているのだろう。
日本では犬の殺処分は年間10万頭におよぶとのこと、いろいろな理由で、殺されるのだろうが、人間が毎年10万人無作為に殺されたらどうだろう。問題になるに違いない。
犬を殺す理由も、病気とか、老衰とか、(飼い主の立場上)止むに止まれぬ(?)理由もあるようだが、人間である自分がもっと上位者から有無をいわさず殺されるようになったらどうだろう。
辛いに違いないし、その不条理さを受け入れることは困難だろう。
我家の犬が幸せかどうかはわからない。
私たちは引き取った以上、大切にして暮らしていきたいと思い、噛まれても我慢し、糞を拾って歩く。
当たり前のことだ。
家族と一緒で、私が病気や事故で稼ぎが無くなったらどうするのか、そういったことまで考えないといけない。
犬に対して生殺与奪の権利を有するわけだが、そのことの意味は、重大だ。
飼う前には十分考え、いったん飼い始めたからには真剣に飼わなければならない。
ところで、ペットショップのこれ、虐待か?