経営コンサルタントへの道

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 7月15日 徒然なるままに日暮パソコンに向ひて 第38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?

2024-06-25 05:44:29 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 7月15日 徒然なるままに日暮パソコンに向ひて 第38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?   

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 

 このシリーズは、数年前に部分的に当ブログに投稿しました。

 その内容を追補したり、新規に加えたりして参ります。

 

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、老いぼれコンサルタントが、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

【 注 】 加筆等再編集して、再掲の原稿を含んでいます。

◆第38段3 名利に使われて 名誉や利欲を求めることは?
 第38段2に続きます。

【原文】 名利に使われて
 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり、誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。
 伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。
 誉はまた毀りの本なり。
 身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。


【用語】
 心: 人格、品性
 誉(ほまれ): 名誉 ←→ そしり:非難
 人の聞き: 評判
 身の後: 死後

【要旨】 名利に使われて
 知恵と心というものは、世間で優れた名誉として見られ、それを残したいというのは人情です。しかし、よくよく考えてみますと、「名誉を愛する」ということは、人の評判を喜んでいるに過ぎません。誉める人も、非難する人も、両者共に、この世に長く生きているわけではなく、
 また、その評判を伝え聞く側の人も、すぐにこの世を去ってしまうのです。
 だれに対して恥じることも必要なく、まただれに知られることを願う必要もないのです。
 名誉はまた非難のもとでもあります。
 死後に名声が残っても何のメリットもないのです。こういう名誉を頗うこともまた、一番好ましくないと考える「高位高官を望む」ということに次いて、愚かなことです。

【 コメント 】 名利に使われて
 この段を読んでいて、マズローの欲求5段階説を思い浮かべました。

 五段階の最高位は、「承認の欲求」といいますか、人から認められることが、人間の欲求の中で最終的なものであるとマーケティングの時間に学び、また、その通りであると思ってきました。
 兼好は言います。
 評価される方も、する方も、長い時の流れからしますと、一瞬のことですので、だれに対して恥じる必要がありましょうか。だれかに良く思われ、それを知られるということを好ましいと思い、それを願う必要があるのでしょうか。
 「人の噂も七十五日」
 人生もまた短いのですから、名誉名声を求めても、悠久の時間の流れからすると塵にもならないというのです。
 そう言われますと、確かにそうなのですが、やはり煩悩から離れることができない自分が、この世に存在しているのです。その矛盾を楽しむことが、人生を楽しむことに繋がると自分を納得させている、自分があります。「いと恥ずかし」

■ 「日暮パソコンに向日て」 バックナンバー

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/eb88c477696adc4e2e78376c81b7274b

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
    この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 お彼岸のお中日に説法を聴く 715

 本日は、お彼岸のお中日です。

 檀那寺(だんなでら:信徒が属す寺)である臨済宗建長寺派の某寺で説法を聴いてきました。

 京都府舞鶴市松尾にある西国第二十九番札所青葉山松尾寺(まつのおでら)の「人生往来手形」の話を聴いてきました。

 人間は、縁(えにし)あってこの世に生を受けた、「この世の間借り人」であるといいます。

 間借り人ですので、好き勝手に生きて良いわけではありません。

  三度の食べ物に文句をいわないで
  美味(おいしい)と誉め

  人と気まずいことがあっても
  我が身の至らぬせいと思い

  愚痴なく、
  怒らず
  むさぼらず

 そして、最後は「ほどよく、この世に暇乞いして、元のあの世に帰る」とのことでした。

 人間は、死ぬと気になって幸せな人生であったかどうかが解ると言われています。

 周囲の人に迷惑を掛けない、良い死に際でありたいものです。


■ お中元と盂蘭盆会、宗教というのは複雑ですね

 7月15日は、お盆の「お中日」です。この日は、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」でもあります。

 先祖を、偲びあう仏教の重要な行事です。【Wikipedia】によりますと「父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事」とあります。

 この時期には「お中元」の贈答を行う人が多いでしょう。

 このお中元ですが、仏教の関連かと思いきや・・・


 7月13日に盆入りで、迎え火を焚いてご先祖様の霊をお迎えしましたが、7月16日は、そのご先祖様をお送りするために送り火が焚かれます。

 京都の大文字焼きは送り火のひとつとしての行事です。

 迎え火は、ご先祖の霊が、キチンと自分達のところに帰って来て下さるように、その目印として焚きます。

 送り火は、ご先祖様が帰ってきて下さったことへの感謝の気持ちを持ち、見送るということを表しています。

 送り火は、夕方に同じ場所で、焙烙にオガラを折って積み重ねて燃やします。

 お墓で迎えたり送ったりするのが正式といわれています。

 お迎えの時には提灯に明かりを灯して、霊を家まで導いて帰ります。

 近年は、マンションなどでは火をたけませんので、盆提灯を迎え火や送り火の代わりと見なせるそうです。

(ドアノブ)

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 本日は、明細リストからではなく、下記の総合URLよりご覧下さるようお願いします。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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